漁夫の利 -2
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10分間のモンスターウェーブが終了する直前、nullはそそくさとその場を後にし、PKプレイヤーたちから距離を取った。
これ以上、彼らと争うのは面倒だ。無駄な消耗――特にMPの浪費は避けたい。
(あんなの、相手してたらきりがないもんね。)
風に髪をなびかせながら、nullは中央地点。封鎖エリアの方角へと足を向けた。
すると、静かな草原にシステムアナウンスが響く。
【⚠ フィールド収縮開始 ⚠】
【廃都市エリアが解放されました。 廃都市エリアへ移動してください。 退避制限:10:00】
「……やっぱり、そっちかぁ。」
思わず肩を落とす。
廃都市エリア――それは、まさに今nullが向かっている場所だ。
つまり、先ほどの男たちも同じ方向を目指す。このタイミングで収縮が始まるということは、逃げ場は、もはや一つしかない。
(となると……追ってくるよね、やっぱり。)
軽く息を吐き、ペースを上げる。足音を消すように、慎重に、しかし確実に。けれど、しばらくもたたないうちに、背後から地を揺らすような怒声が響いてきた。
「おい!! 見つけたぞ!!!」
「いけ!! 今度こそやれぇっ!!!」
荒い息と共に、複数の足音が近づく。振り返ると、さっきのPK連中が武器を構えながらこちらへ突っ込んでくるのが見えた。
nullの頬がぴくりと引き攣る。
「……早すぎない?」
なぜ位置がバレたのか、一瞬分からず眉をひそめたが、すぐにあるルールが脳裏を過ぎた。
(――あ、そうだった。ランキング上位者の位置って、丸見えなんだっけ。)
つまり、どこに逃げても追跡される。隠れることも、撒くこともできない。
(……はぁ。仕様、エグいなぁ。)
逃げるか、倒すか。その二択なら、選ぶのはいつだって後者だ。
nullが腰のホルスターに指をかけたその瞬間、視界の端に再びアナウンスが流れ込む。
【⚠ 強力なモンスターが発生 ⚠】
【ランキング上位者の現在地付近に、強力なモンスターが出現します。】
走ってきていた男たちの足が、ぴたりと止まった。
画面上に浮かぶ警告文を見て、全員が一瞬息をのむ。判断を仰ぐように、男たちが後方見やるもそこには誰もいない。
「……マジかよ。」
好機か、それとも地獄の予兆か。
画面の警告文字が赤く点滅し始めた瞬間――ピピピッ、と耳障りな電子音が鳴り、地面がドンッ、と鈍く震えた。
「……今の、なに――」
ドシン。ドシン。ドシン。
地を叩く振動が連続し、砂埃が舞い上がる。やがて、森の端が揺らぎ、巨大な影が姿を現した。
――ズゥゥゥゥゥンッ。
それは、恐竜のようなシルエットをしたモンスターだった。
全身は黒鉄の鱗に覆われ、尾を振るたびに風圧で草がなぎ倒される。裂けた口の奥で赤黒い光が明滅し、一歩ごとに大地が悲鳴を上げた。
「……げ、でっか……」
呆然と呟く間もなく、その巨大な顎が最前列のプレイヤーを丸呑みにした。
「うわああああっ!!」
「ひっ……!? やめ――」
咆哮と同時に、音が消えた。爆風のような息が吹き荒れ、近くの木々がなぎ倒される。
nullは数歩後ろでその様子を見つめ、手を合わせて小さく呟いた。
「ご愁傷様です。」
軽く一礼。だが、その姿を見たPKプレイヤーたちが一斉に叫んだ。
「おい!! お前のモンスターだろうが!!」
「ふざけんな!! うわっ、こっちくるな!!」
「おい、null!! てめぇでどうにかしろ!!」
逃げ惑いながらも怒鳴り声を飛ばす彼らに、nullは肩をすくめて、手をひらひらと振った。
「がんばれー!! いけいけー! そこだー! ナイス回避~♪」
まるで観客席からの声援のような明るさ。全く戦闘する気のない態度に、怒りの矛先はますます燃え上がる。
「この女……!」
だが、今はそれどころではない。目前のモンスターが一歩踏み出すたびに、空気が震え、地面がひび割れていく。
遅れて到着したネムタロウとスキンヘッドの男が、その混乱した光景に目を見開いた。
「おい! お前ら何やってんだ!!」
「……こりゃあ、どういう状況だ……?」
モンスターの咆哮が再び轟き、空気が震え、風が巻き上がると草原が波のように揺れた。
頼りになる兄貴分が来たことで、男たちは一斉に泣きついた。その光景を見て、スキンヘッドの男は深々とため息をつく。
ネムタロウはというと、血管が浮き出るほどの勢いで怒鳴り散らした。
「あの女になすりつければよかっただろうが!! この馬鹿どもが!!」
「まぁ、その前にこいつをどうにかしねぇとな……。おい、お前ら、構えろ!」
スキンヘッドの男が先陣を切り、武器を構えて突進する。刃が閃き、巨大な鱗を斬りつけた。が、カキィン!!と、硬質な音と共に、刃が弾かれた。スパークが散り、手の中の武器が震える。
「なっ……硬ぇ!」
続いて他の男たちも、魔法やスキルを次々と放つが、炎も氷も刃も、その鱗に阻まれ、まるで通らない。むしろ、こちらのMPと体力の方が先に削られていく。
(うーん、やっぱり硬いねぇ。どうしたら首取れるかなぁ……)
少し離れた場所で、nullは両手に銃を構えたまま戦況を観察していた。
今のままでは、あのモンスターのHPは微動だにしない。そして全員が退場した後、次に狙われるのは、当然自分だ。
(攻撃パターンは噛みつき、尻尾の打撃、腕の薙ぎ払い……どれも物理。 属性攻撃をしてないってことは、逆に魔法が効くタイプか?)
nullは視線を細める。
サーチ魔法の射程には少し遠い。しかし近づけば危険。ならば、別の方法で確かめるしかない。
口角を上げ、nullはひらりと手を振った。
「ねーー! それじゃいつまでたっても倒せないよーー?」
戦闘音と爆風に混じる、のんきな声。
ネムタロウが鬱陶しそうに眉をしかめるが、スキンヘッドの男は一瞬動きを止め、モンスターから距離を取るとnullを見やった。
「ならば、どうすればいい?」
その素直な問いに、nullはにこりと笑い、指先を一本立てた。
「鱗は固いけどねー、火と氷を交互にあてれば、脆くなるかも?
あとはー、関節に電気系。風で足を狙ってバランス崩したあとに柔らかいとこ狙う、とか?
――やりようはいくらでもあるよ?」
軽い口調とは裏腹に、その助言は的確だった。スキンヘッドの男は小さく息を吐くと、短く指示を飛ばす。
「右三人は火、前衛! 真ん中三人が氷、火に続け! 左の前衛が雷。関節を狙え! 残りは風。右足を狙え!」
号令一閃。男たちは迷いなく陣形を組み直し、それぞれが魔法の詠唱を開始する。
炎が舞い、氷がきらめき、雷光が迸る。何度も繰り返される連撃で、次第にモンスターの黒鱗がポロポロと剥がれ落ちていった。
「……よし、通る!」
「今だ、ネム!!」
スキンヘッドの叫びに応じて、ネムタロウが前へ躍り出た。
「ここだぁあああ!!」
咆哮を切り裂くように、剣が振るわれる。鱗の剥げた箇所へ鋭い刃が何度も突き立てられ、ようやくダメージらしいダメージを与えることに成功した。
「やっと入ったか……!」
歓声が上がる。その中で、nullは遠巻きに眺め、満足げに頷く。
(うんうん、いい感じ。思ったよりも統率もとれてるね。)
銃をくるりと回しながら、再び声を張った。
「足ばっかりじゃー、致命傷は与えられないよー? 首元狙わないとー!」
男たちが一斉に振り向き、「うるせぇ!」とでも言いたげな目を向ける。だがnullは気にする様子もなく、にこにこと笑みを浮かべたまま続けた。
「じゃないとー……時間、もう足りなくなっちゃうよー?」
視界の隅で、タイマーがじりじりと赤く点滅する。退避制限は残り三分弱。
まだ少し先にある廃都市エリアまで辿り着くには、早々に決着をつけなければならないのに、モンスターはまだ元気に暴れまわっていた。風は焦げた匂いを運び、地面はモンスターの暴れた跡で深く抉れている。
このままでは確実に間に合わない。
スキンヘッドの男は歯を食いしばり、nullの言葉を飲み込むように短く叫ぶ。
「おい! 首元狙え! 魔法班、照準合わせろ!!」
男たちが渋々動く中、ただ一人、ネムタロウだけは不満げに叫び返した。
「じゃあ、お前も戦いやがれ!!!」
「えー? いいのー??」
「いいも何も、こいつはお前の――……くそっ、なんで俺たちが戦ってんだよ!!!」
怒りに任せて吠えたネムタロウは、風スキルをまといながら一直線にモンスターの足元へ突進する。
ザシュッ――!っと風の刃が地を薙ぎ、巨体の脚を裂いた。バランスを崩したモンスターは大きく体勢を崩し、ドスンッ、と大地を揺らしながら倒れ込む。
その衝撃で舞い上がった砂塵の中、スキンヘッドの号令が飛ぶ。
「今だ! 首を狙えっ!!」
炎、氷、雷――あらゆる属性攻撃が一点に集中する。首元の黒い鱗が音を立てて剥がれ、柔らかい皮膚が露出していく。
そこへ、ネムタロウの剣が閃いた。
「ここだぁああ!!!」
怒りと共に振り下ろされる剣。
何度も、何度も、その刃が閃くたび、モンスターの体力ゲージがみるみる削られていく。半分を割り、残り四分の一を切った、その瞬間。ネムタロウの頭上に、巨大な影が落ちた。
「……あ?」
影がゆっくりと膨らみ、光を遮る。見上げた空に広がっていたのは、幾本もの光の剣だった。空間を埋め尽くすほどの光が、青白く、黄金に輝きながら漂っている。
「もーーらいっ♪」
遠くから聞こえた、楽しげな少女の声。
ネムタロウが振り返るより早く、キィィィィィィン――ッ!!と甲高い音を響かせて、無数の光の剣が流星のように空を裂き、地上のモンスターへと一斉に降り注いだ。
ドォォォォォン――ッ!!
爆風。閃光。大地を焼き、風が渦を巻く。閃くたびに鱗が砕け、体力ゲージが一気に溶けていく。
一本、二本――すべての光の剣が突き刺さり終えたとき、モンスターは雄叫びを上げる間もなく、光の粒子となって、跡形もなく消えた。
つい先ほどまで苦戦していた相手が、まるで幻のように。
一瞬の静寂。
そして、勝利のアナウンスが視界に浮かぶ。
【 モンスター撃破 】
【 ラストアタックプレイヤー:null / ボーナスポイント獲得 】
「……てめぇぇぇぇぇ!!!」
ネムタロウの怒声が草原に響き渡り、勝利の余韻に沸いていた男たちの表情が、一瞬で怒りへと変わった。
「えーー、攻撃していいって言ったくせに~?」
肩をすくめて笑うnull。
次の瞬間、彼女はくるりと背を向け、軽やかに足を蹴り出した。
「それじゃ、廃都市でまたねーー♪」
風を切って全力で駆け抜ける。
背後から響く怒声と爆音を背中に受けながら、nullは笑い声を上げて、廃都市エリアへと疾走していった。
次回:閑話休題 side シカク -1




