漁夫の利 -1
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wave2が終わると、プレイヤーたちは次々に別のフィールドへと移動を始めていた。
次の収縮アナウンスがどのエリアを指すかは完全にランダムだ。今いるフィールドがその対象になれば、進行を邪魔するモンスターを倒しながら、急いで次のフィールドへ向かわなければならない。
だからこそ、事前にフィールドの境界付近まで足を進めておく者がほとんどだった。
荒れた草原エリアは、障害物が少なく見晴らしが良い。しかしその分だけ、モンスターの襲撃も苛烈だ。囲まれれば逃げ場を失い、否応なく消耗戦に突入する。
逃げるか、戦うか。それは、プレイヤーのスタイル次第。
そんな中、nullは未だに荒れた草原の中央付近で、淡々とモンスターを狩り続けていた。
……いや、正確には、狩っていたはずだった。しかし気づけば、数人のプレイヤーたちに囲まれていたのである。
「おう、おう、おう、おう~……」
耳障りな声が、乾いた風に乗って響いた。先頭に立つ男が、にやりと口角を上げる。
「nullさんよォ。これじゃあ――逃げ道もねぇなぁ?」
その言葉に合わせて、取り囲むように立つプレイヤーたちが、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
荒れた草原の風が強くなり、砂が舞い上がった。緊張と熱気が混ざり合い、空気がわずかに震える。
nullは、わずかに首を傾げた。その表情には、焦りの欠片もない。
(……なるほどね。)
風が、再び吹き抜けた。
図体の大きいスキンヘッドの男が、いかにもPK常習といった風貌でニヤリと笑う。手には鈍い光を放つ大型の斧。彼の足元では、草がその重みに潰れている。
「へっ……余裕そうな顔しやがって。 あの時のこと、忘れたとは言わせねぇぜ?」
低い声と共に、後方にいた別の男が前に出た。
nullがその男に視線を向ければ、確かにどこかで見たことのある顔――いや、装備だ。けれど、いくら記憶を探っても、はっきりとは思い出せない。
(……どこだったっけ? うーん。)
小さく唸るように首を傾げる。その仕草が挑発と受け取られたのか、男のこめかみに青筋が浮かんだ。
「てっめぇえッ!!!」
怒声が響き、周囲の空気が一気に荒立つ。だが、nullは変わらず静かにその男を見つめるだけ。
本気で思い出せないらしい。もしかして、人違いなのでは?そう言いかけた瞬間、スキンヘッドの男が片手を上げて彼を制した。
「まぁ、待て。」
低く、唸るような声。その一言に、他のプレイヤーたちも動きを止めた。
悔しげに舌打ちしながらも、そのスキンヘッドの男に素直に従うあたり、先ほど怒鳴った男よりも立場は上らしい。
nullはちらりと周囲へ視線を走らせた。
半円を描くように取り囲んだ男たちは、皆、武器を片手に構え、刃先をこちらへと向けている。小さくため息を吐くと、nullは大袈裟に口を開いた。
「うーーーん、ちょっと待ってね。 もうすぐ思い出せそうな……出せなさそうな……?」
頭上に浮かぶ名前を順に眺める。「ネムタロウ」に「ユキダルマ」、「サイコゥ」と「アイアンメイデイン」と、やはりどれもこれも記憶にない。
とはいえ、彼らのネームプレートは全員が真紅に染まっていた。PK集団であることに間違いはない。
(んーー? なるほど、そういうことか!)
確かに、PKプレイヤーに出くわした記憶はある。だがその時の相手は――
(……いや、でも確か……あれは大剣使いの男だったはず。 逃げようとして、ヘリアデスにあっさり捕まってた人? うーん、でもあの時とは武器も装備も違うし……んー、誰だ?)
nullが眉を寄せて思案していると、怒鳴り声が草原に響いた。
「あの女騎士と、てめぇだけは許さねぇ!!」
怒りに震える拳がnullを指す。その名前を見れば――「ネムタロウ」。
その言葉で確信しつつも、やはり釈然としない。首を傾げながら、思い出すように口を開いた。
(あぁ、やっぱり。あの時の人か。でも…)
「んーー? あの時の人は、確か大剣を持ってて、 金ぴかの軽鎧に、空色メタリックの籠手と靴だったよね?」
「てめぇのせいで全部没収されたんだよ!! このアマが!!!」
雷鳴のような怒声が響く。ネムタロウの顔はみるみるうちに真っ赤に染まり、血管がこめかみで脈打っている。
思わぬ返答に、nullはこてりと首を傾げた。その表情はまるで、「なんで?」と額に書いてあるようだった。
一方で、取り囲んでいた男たちは、そのやり取りに腹を抱えて笑い始める。
「うはははっ、やっぱネム、ザコかったもんなー!」
「女騎士に負けてアイテム没収って、ダセぇ~!」
砂を蹴りながら笑い転げる連中の喧騒が、風に混じって草原にこだまする。
怒りに震えるネムタロウの肩が、わなわなと揺れた。その様子を、nullはどこか冷めた目で見つめる。
(……うん。これはもう、面倒くさいやつら確定だね。)
風がひとつ吹き抜け、草原の空気がぴり、と張りつめた。
「おい、笑ってんじゃねぇ! あの後、牢屋に入れられた俺たちはな、七十二時間牢屋で過ごした後、装備一式、アイテム一式ぜんぶ没収されたんだよ!!お前のせいでな!!」
ネムタロウの怒声が荒野に響く。その目は血走り、今にも剣を抜きそうな勢いだった。
しかしnullは小首を傾げ、あくまで穏やかな声で問い返す。
「それ……戦利品じゃなくて?」
「あぁん? 俺が勝ったんだ。俺のだろうが!」
なるほど――と、心の中で納得する。
つまり、彼は戦利品をそのままメイン装備にしていたらしい。それを没収された腹いせに、復讐しに来たというわけだ。
nullは軽く息を吐き、ふわりと微笑んだ。
「まー、そのプレイスタイルなら仕方ないよね。うん、諦めて?」
にこりと、愛らしく首を傾げる。だが、その笑みが火に油を注ぐ結果となった。
ネムタロウのこめかみがピクリと引き攣る。
「ふっざけんなああ!!!」
怒号と共に、剣が光を反射する。
「……だめか。」
肩を竦め、困ったようにため息を吐いた時、視界の端にシステムアナウンスが流れ込んだ。
【⚠ WAVE 3 :モンスターを掃討せよ ⚠】
【 残り時間:10:00 】
「わぁー、ウェーブ始まっちゃったよー? ほら、囲んでる場合じゃなさそうだよ? ね?」
のんびりとした声に、周囲の空気が一瞬だけ揺らぐ。だが、ネムタロウは鼻で笑い、剣を構え直した。
「お前を倒してからモンスター狩ればいいだけの話だろうが!」
ニヤリと笑みを浮かべると、振り上げた腕で号令をかける。
「――やっちまえ!!」
その合図と同時に、nullを取り囲んでいた男たちが一斉に飛び掛かってきた。
「……はぁ。」
小さなため息とともにnullの姿がふっと沈み、次の瞬間、地を蹴るようにして軽やかに跳び上がった。
「――エアダッシュ。」
空気を切り裂くような風音。身体が真上へと弾かれる。
まさか上方向へ逃げるとは思っていなかった男たちは、衝突を避けきれず互いの武器を掠め合い、自らダメージを負っていった。その真下を見下ろしながら、nullが指を鳴らす。
「――ライトニング・コード!」
瞬間、稲妻が空気を裂いた。青白い雷光が上空から奔り、下にいた数人の男たちを一斉に貫く。バチバチと響く電撃音。金属の焦げる匂いが漂い、地面が淡く焦げる。
彼らが動きを止めたその刹那、nullは身体をひねって着地点をずらし、地面へ向かって左手を突き出した。
「――ロック・プリズン。」
轟音とともに、大地が隆起する。突き上がった岩の柱が、痺れた男たちを包囲し、まるで檻のように彼らを閉じ込めた。
僅か数秒の出来事に、驚愕し目を見開くスキンヘッドとネムタロウ。その反応を見て、nullは淡く笑う。
「……っと。」
それでもすぐさま正気に戻ったネムタロウは、怒りを堪え切れず、剣を構え直して突進してきた。
「てめぇえええ!!!」
彼の剣が光を帯びる。スキル発動だと瞬時に見抜いたnullは、それでも一歩も動じず、静かに息を吸った。
「――ゲイル・インパクト。」
次の瞬間、風が爆ぜるように吹き荒れる。突風が円を描くように放たれ、ネムタロウの身体を数メートル後方へと吹き飛ばす。
砂煙の中、nullは素早く銃を構えると、黒銀の銃口――《リゲル》から、鋭い弾丸を放つ。
――パン、パン、パンッ。
着弾の衝撃がネムタロウの動きを鈍らせる。彼は地を滑り、必死に体勢を立て直そうとするも、白金の銃を構えたnullが、静かに呟く。
「――クレイ・バインド。」
スキルが発動するとともに、地面が震え足元の土が生き物のように盛り上がる。巻き上がった土塊が、蛇のようにネムタロウの身体を這い、そのまま全身を拘束した。彼はそれを振りほどこうと身を捩るも全く動くことが出来ず、悔しそうに座り込んだままこちらを見上げていた。
「ぐっ……! はっなせよ!! ごらぁっ!!!」
もがくネムタロウを見下ろし、nullは軽く首を傾げた。
「突然襲いかかってくるからでしょー? 別に返り討ちにしてもいいけど……ほら、もうすぐそこまでモンスター来てるし?」
nullが軽く指を差すと、全員の視線がその先へと揃った。
風がざわめく草原の向こう。砂塵の中――そこにいたのは、これまでのモンスターとは明らかに異なる個体群。
体躯が大きく、皮膚は黒鉄のように硬そうだ。群れの奥で、ひときわ強そうな中型個体がいくつも蠢いている。
ウェーブが進むごとにモンスターも強化されている。この草原エリアで群れを成されるだけでも厄介なのに、強個体が混ざるとなれば、分の悪さは明白だ。
(うーーん……あの数は、正面突破するには面倒だよね。)
nullは片眉を上げ、ほんの少しだけ口角を上げる。
(だったら、囮と壁を用意するだけ。)
「どーする? もう退場するか、それとも、もうちょっと頑張ってポイント稼ぐか?」
にっこりと笑って見せると、その笑顔とは裏腹に、空気がピシリと凍りついた。
男たちは顔を見合わせ沈黙する中で、スキンヘッドの男がふいに肩を震わせ、次の瞬間、腹の底から笑い声を上げた。
「ふっ……あっははははは!」
「っ……?」
囚われた男たちの視線が一斉に集まる。彼は武器を軽く担ぎ直すと、口角を吊り上げた。
「いいねぇ、気に入った! 共闘と行こうじゃねぇか! 一旦な…。」
その声に、ネムタロウを含む数人の男たちが顔を見合わせる。状況を理解したのか、渋々ながらも頷き合った。
スキンヘッドの男が一歩前に出ると、その背を見つめながらnullは小さく息を吐く。苦笑と共に仕方なくその場から数歩下がると、彼らの拘束を解き、両の手の拳銃を構えなおす。
「ふふっ……了解。一旦共闘ね。約束だよ~? じゃないと、後ろからバンバン撃っちゃうからね~?」
軽やかな声。だが、その瞳には一切の冗談がなかった。
クスリと笑えば、空気がひやりと張り詰める。彼女の背後に立つだけで、汗が流れ落ちるほどの圧。
一斉に襲いかかっても歯が立たなかった相手を、背にしたまま戦うという意味を、ようやく全員が理解した。
「ほらほら~来たよ? 前衛さんたち♪」
nullが指先をくいっと上げる。
その合図の直後、草原の奥からモンスターの群れが轟音とともに突進してきた。
「うおおおおっ!?」
「来た来た来た来たぁぁぁっ!!」
悲鳴にも似た声を上げながら、男たちは肉壁のように前線へと走り出す。
nullは満足げに頷き、両手の銃――《ミラ》と《リゲル》をゆっくりと構えた。
「うん、いい配置。じゃ、私は後方支援ってことで。」
パンッ、パンッ――。
乾いた銃声が空気を裂く。撃ち出された弾丸が、次々とモンスターの急所を撃ち抜いていく。
その精密さと速射は、もはや支援の域を超えていた。群れの中央にいた強個体が倒れるたび、nullのスコアウィンドウが静かに跳ね上がる。
「さて……このウェーブも、稼がせてもらおうかな。」
風に乗るような小さな呟きが、銃声にかき消されながら、草原に溶けていった。
次回:漁夫の利 -2




