縁は異なもの味なもの -1
毎週、月曜日と金曜日に更新中!
11月4日(土)16:35――
ログインを終えると、いつもとは違う淡い光の画面が静かに浮かび上がった。
背景には金と白の文様がゆらめき、柔らかな旋律が耳をくすぐる。
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【 Now Loading... 】
【 To the Light の世界へようこそ 】
現在、メインサーバーはメンテナンス中のため
特設サーバー《オルフィス》へご案内いたします!
【 ただいま オルフィス祭 開催中! 】
開催期間:2130年11月4日(土)0:00~23:30
※詳しい内容は公式サイトの特設ページをチェック!
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「おぉ~、特設サーバーか。やっぱ雰囲気違うなぁ。」
nullは小さく笑みをこぼし、舞い上がる光の粒子を見上げた。ロード中の数秒が、妙に長く感じる。
「オルフィス祭かー。いいねぇ、楽しみだなぁ♪」
軽く指を鳴らした瞬間、世界が音もなく白に包まれた。ふわりと身体が浮くような感覚。
次の瞬間、瞼の裏を金の光が走り抜け、現実と幻想の境界が静かに溶けていく。
目を開けると、そこはいつもの宿屋ではなかった。
天井には繊細な装飾が施され、白いカーテンが微風に揺れている。重厚なシャンデリアが柔らかく輝き、足元には深紅の絨毯が広がっていた。
そして、身体を預けていたのは、ふかふかのベッド。それはまさに高級寝具だ。
「うわぁ~、ふかふかで気持ちいい……。やっぱベッドはこうじゃなきゃね。」
思わず頬をすり寄せながら、nullは笑みをこぼす。
「いつかこの世界でも、毎日こんなベッドで眠ってやる。」そう密かに気合を入れ、勢いよく上体を起こした。
足元のカーペットも、ふわりと沈む。部屋の内装は華美すぎず、それでいて整然とした上質さを湛えていた。
どこか非現実的なまでに整った空間。まるで現実の高級ホテルに泊まっている気分だ。
窓の外を覗けば、祭りの賑わいが見下ろせた。
きらびやかな光の粒が通りを流れ、人々の笑い声と音楽が風に乗って届く。ただ眺めているだけでも、胸の奥が自然と弾んだ。
さらに驚いたのは、部屋の構造だった。ベッドルームにリビング、ダイニングキッチン、そしてシャワールームまで完備されている。
「ゲームの中で、ここまでリアルに……?」
nullは思わず感嘆の息を漏らす。
この身体で入浴するという発想自体が新鮮で、その好奇心に負けて、つい湯を張ってみることにした。
備え付けのアメニティを眺めていると、香りの異なる入浴剤がずらりと並んでいた。その中から「Rose & Cherry Blossom」のバスオイルを手に取り、お湯へと静かに注ぐ。
照明を少し落とし、棚に置かれていたキャンドルをいくつか選んで火を灯すと、ゆらめく炎が壁や天井に淡い影を描き、花の香りが空気に溶け部屋を包む。
「うわ、すご……。これ、ほんとにゲーム内…だよね?」
湯面の揺らぎとキャンドルの火をぼんやりと眺めながら、心の奥から力が抜けていくのを感じる。
バスタブの「バブル」ボタンを押すと、細かな泡が立ち、甘やかな香りがさらに広がった。
幸福とは、きっとこういう瞬間のことを言うのだろう――。
そんな満ち足りた時間の中、気がつけば三十分以上が経っていた。
「……やばっ! もうこんな時間!?」
慌てて湯から上がると、火をすべて吹き消す。
濡れた髪と肌に、かつて覚えた乾燥魔法を唱えると、一瞬にして水分が霧のように弾け飛んだ。
装備を整え、ドアノブに手をかける。
「いけない、いけない……。つい、うっかりのんびりしちゃった。」
軽く頬を叩いて気合を入れ直すと、nullは軽やかな足取りで部屋を後にする。ふーっと息を吐きながら扉を押し開けると、外は眩い光に包まれていた。
ロビーの大理石は磨き上げられ、天井のシャンデリアが虹のように反射している。
受付カウンターには、制服姿のNPCたちが並び、まるで本物のホテルスタッフのように丁寧な笑顔でプレイヤーを見送っていた。
「うん……だよね。快適さが段違いだったもんね。」
ホテルを出て振り返ると、建物は白金の外壁に金の装飾をあしらった堂々たる姿をしていた。光を受けて輝く壁面は、まるで神殿のように気高い。
その隣には、さらに高級そうな塔がそびえている。装飾が繊細すぎて、思わず「貴族専用か何かかな……?」と呟いた。見ただけで、そこが恋愛プレイヤー御用達の施設だと察しがつく。
「また時間を消費するところだった……。危ない、危ない。」
首を振り、視線を前へ移せば、賑わう音と香りが、風と共に流れてくる。
広場へ出ると、そこはまるで別世界だった。
中央の噴水では、神々を模した彫像から金色の水が舞い上がり、光の粒が霧のように漂っている。
その周囲をぐるりと囲むように、数十の屋台が立ち並び、焼き菓子の甘い香りや香草の煙、鉄板の焦げる音が入り混じっていた。
通りを行き交うプレイヤーたちの笑い声、そして夜空に弾ける魔法花火の音。
そのすべてが、この世界の今を祝福しているように思えた。
「……すご。ほんとにお祭りって感じだ。」
芝生の上にはベンチやテーブルが並び、プレイヤーたちが軽食を取りながら談笑している。生産職は自作アイテムを宣伝し、商人プレイヤーは客引きに奔走。
どこを見ても、ゲームの枠を超えた生の熱気があった。
「さーて、最初はセレスタドームに行こうかなー♪ オークション、楽しみだったんだよね。」
広場の先、星明かりの向こうに見える巨大な建造物。金と蒼のドームが月光を反射し、宝石のように輝いていた。
nullは胸を高鳴らせながら歩を進める。ドームの入口が近づくにつれ、そのスケールと豪華さに――思わず息を呑んだ。
「……!」
周囲を見渡せば、同じようにぽかんと口を開け、煌びやかな天井を見上げているプレイヤーが何人もいた。
自分だけじゃないとわかって、nullは小さく息を吐く。
目の前に広がるのは、想像を遥かに超えるスケールだった。半透明のドーム天井からは、ゆらめく光が降り注ぎ、床一面に星を散りばめたような反射がきらめいている。
ドームの最奥には、ひときわ目を引くステージがあった。
背後に設置された巨大なメインモニターを中心に、両脇には中型のサブモニターが二枚、さらに会場の各所には小型スクリーンが浮かんでいる。
どこにいても映像を確認できるよう、細やかで実用的な設計が施されているのが一目でわかった。
「……本格的すぎでしょ、これ。」
思わず苦笑が漏れる。
すでにステージ前には多くのプレイヤーが集まり、誰もが期待に満ちた表情で開始を待っていた。
普段なら縁のない競りの場。それだけに、興味本位で足を運んだ者も少なくないようだ。
見上げれば、上階にも豪奢な衣装を身に纏ったプレイヤーたちの姿。
装備の意匠や立ち居振る舞いからして、恋愛ルートのプレイヤーたちなのだろう。冒険者ルートの客席とは、明らかに雰囲気が違っていた。
(さて、どうしようかな……)
興味はある。だが、実際に競りに参加するかは品次第。
そう考えたnullは、会場中央付近に並ぶ白いテーブルクロスのかかった丸テーブルへと視線を向けた。
(うん、後ろの方でいっか。)
前方は、すでに意気込みに満ちたプレイヤーたちでぎっしりと埋まりつつある。
今にも前のめりで競りに挑もうとするその熱気に、会場の空気が微かに震えている。
nullはその様子を横目に、少し離れた後方のテーブルへと静かに歩を進めた。
白いクロスがかかった丸テーブルの端に立ち、前方のステージをぼんやりと眺めていると、背後から聞き覚えのある賑やかな声が響いた。
「ナルだーー!!」
「やっぱり来てた!」
「おぅ、調子はどうだ?」
名前を呼ばれ、思わず振り返る。そこに立っていたのは、見慣れた三人――レーネ、エト、バルトだった。
三人とも少しフォーマルな装いに身を包み、普段の工房姿とは違う“晴れの舞台”の雰囲気を纏っている。どこか誇らしげで、それでいて少し照れくさそうな笑みを浮かべていた。
「うん、三人も来たんだね。私も満喫してるよ。」
「そろそろ始まりそうか?」
腕を組みながらステージを見上げるバルト。その横で、レーネはどこか落ち着かない様子を見せている。
(この感じ……何かある?)
「もしかして……何か出してる?」
nullの問いに、三者三様の反応が返ってくる。それだけで確信を得たnullは、口元に笑みを浮かべ、さらに軽く問いを重ねた。
「へぇ~? 何、出したの……?」
「い、いやっ……! な、何にも!?」
一番わかりやすい反応を見せたのは、やはりレーネだった。目を泳がせ、手をばたつかせながら、だらだらと汗を流している。
「武器? 防具? それとも……アクセサリーとか?」
「ち、ちがっ――」
「そっか。じゃあアイテムなんだね。」
その瞬間、レーネとバルトが同時にピクリと肩を揺らした。nullはクスッと笑い、確信を深める。
「ナル、止めてあげて。二人ともそんなに動揺して……まったく。」
やれやれと呆れるエトの声に、レーネとバルトは「うぅ……」と情けない声を漏らして頷いた。
「そうだよ! ナル! 意地悪だー!」
「なんで分かったんだよ!?」
二人の不満げな顔を前に、nullは笑いを堪えきれず肩を揺らす。
「ごめん、ごめん。……ほら、もう始まるみたいだよ。」
ステージを指さすと、会場の照明がゆっくりと落ちていく。ざわめきが波のように広がり、空気がぴんと張り詰める。
黄金の光がステージ中央へと収束し、華やかなファンファーレが高らかに鳴り響いた。
次回:縁は異なもの味なもの-2




