先んずれば人を制す -1
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nullは光の粒の前で、システム画面を見つめていた。画面にはひとつのダイス。それをタップすると、宙にふわりと浮かび上がり、ゆっくりと手のひらへと降りてくる。
「えーいっ。」と、軽快な声と共に放ったダイスは、空中をコロコロと転がり、小気味よい音を響かせながら、やがてぴたりと止まった。
出目は――6。
「やったー、ラッキー♪」とはしゃぎながら、ステータス画面に目を落とせば、そこにはいくつかの選択肢が表示されていた。
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【獲得可能報酬】
・アイテム:ミスリル・コア
・アイテム:フォール・オーブ
・アイテム:タイド・スケイル
・アイテム:ヘイズ・ルーン
・アイテム:セラ・ドロップ
・装備 :スモルタ・ヴェール
・装備 :アーク・ガントレット
・装備 :サンクトゥス・ペンダント
・G
・経験値
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「6つ選べるってことね……うーん、どれも聞いたことあるけど、詳細が分かんないのがずるいなぁ。」
その画面には、アイテム名だけで性能は表示されない。タップしても「?」マークが浮かぶだけで、ヒントすらない。nullは腕を組み、唸りながら思案する。
(……名前の響きで決めるか、直感でいくか。)
しばらく考えた末に、ぱちんと指を鳴らして選択した。
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・アイテム:ミスリル・コア
・アイテム:フォール・オーブ
・装備 :アーク・ガントレット
・装備 :サンクトゥス・ペンダント
・G
・経験値
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「よっし!」
ご機嫌な声を上げるnull。その様子を横目で見ていたヘリアデスは、わずかに眉を寄せて小さく息をついた。帰路を歩きながら、二人の間には穏やかな沈黙が流れるが、やがてヘリアデスが口を開いた。
「……先ほどの件ですが。」
「…ん?さっき…?」
首を傾げるnullに、ヘリアデスは一拍置いてから言葉を続ける。
「全部、知っていたんですか?」
その声音には、疑いというよりも純粋な疑問が混じっていた。
どこまで読んでいたのか。どこから情報を得たのか。あるいは、裏切りも含めて、最初から計算のうちだったのか。
nullはそんな彼女の視線を受けて、ほんの少しだけ首をかしげた。柔らかな笑みの裏に、何もかも見透かしたような光が一瞬宿る。
「なにがですか?」
「……彼らが仲間だった、ということです。」
ヘリアデスの言葉に、nullは一瞬だけ目を細める。そして小さく息を吐きながら、何でもないような口調で返した。
「仲間、というより――同類に見えましたけどね。」
「同類……?」
どういう意味なのかと、ヘリアデスの表情がわずかに険しくなる。眉間に寄った皺が、彼女の思考を雄弁に物語っていた。
nullは、ゆっくりと歩きながら淡々と続ける。
「さっき、戦闘の形跡がないって言いましたよね?
でも、恐らく戦闘はあったと思います。それも一方的な形で。
――先ほどの女性は、男たちの仲間というよりは、契約関係…かなぁ。」
「契約……?」
「ええ。正確には、話に乗った、が近いかな。 利があるから受けた、そんな関係に見えました。」
ヘリアデスは腕を組み、眉を寄せたまま考え込む。しばらくの沈黙のあと、彼女はnullへと視線を戻した。
「つまり、彼女は……自分のパーティを裏切った、と?」
nullは軽く肩を竦めた。
「恐らく、ですよ。私は何も見てませんし、聞いてもいません。ただ、さっきのやり取りを見て不自然だなと感じただけです。」
「……確かに、辻褄は合いますね。 しかし、仲間を裏切るなど、冒険者としては死活問題では?」
真っ当な意見だ、とnullは思う。
だが、本当にそうだろうか?プレイヤーは、そこまで考えてこの世界を生きているだろうか?
それはこの世界を現実として生きる者の視点だ。プレイヤーという存在は、もっと軽やかで、もっと利己的で。そこに面白さを見出せば、なんだってやるんじゃないかと、nullは考えていた。
それこそ、この世界の善にも悪にもなるのがプレイヤーだろう。しかし、それを彼女にどう伝えるか。彼女にとってこの世界はゲームではないのだから。
「そうでしょうか? 罪は償えますし、許すかどうかは、本人たち次第です。それに…、全く関係のない人が、過去の言動までずーっと責め続けることって、あまりありませんよ。」
(とはいえ、それ相応の報いは受けることになるだろうけど…。私もつい最近、そのネタで遊んだばっかりだし。)
「…………。」
「だから、そういうのも含めて――冒険者なのかもしれませんね。」
にこりと笑って締めくくるnullに、ヘリアデスは複雑そうに目を細めた。その笑顔の奥にある本音を探ろうとしても、そこにあるのはただの無邪気な探究心だけに見える。
「あ、冒険者だけじゃなかったですね!人それぞれですね。」
nullが軽く笑いながら言えば、隣を歩くヘリアデスは少しだけ肩の力を抜いた。
「そういえば…、騎士団では冒険者間の事件の調査を行っていると聞いています。でも、今後はもう少し範囲が広がりそうですよね。特に、ヘレニア近辺なんかは。」
もうすぐ、この世界《To the Light》で初めての公式イベントが始まる。それに備えて、多くのプレイヤーが最奥都市であるヘレニアへと集結していた。少しでも力をつけようと、素材を集め、装備を強化し、情報を共有する。そんな熱気が各地で広がっている。
現状、攻略班と呼ばれるプレイヤー集団でさえ、次階層への道をまだ見つけられていない。
だからこそ、ネット上では「今回のイベントが、次階層への突破口なのではないか」と囁かれている。つまり、このイベントがどれほど重要なのか、プレイヤーたちは痛いほど理解していた。
「そうですね。」
ヘリアデスは静かに頷き、少しだけ視線を遠くへ向ける。
「最近は、ヘレニアを目指して旅をする冒険者が増えていると報告を受けています。恐らく、幻月が関係しているのでしょうね……。」
そう言いながら、彼女はちらりとnullを見上げた。その瞳には、探るような光がある。だが、nullにとっては痛くもかゆくもない話題だった。
表情ひとつ変えず、むしろこのタイミングでその言葉が出てきたことに内心ほくそ笑む。
「幻月……ですか?」
わざとらしく首を傾げ、初めて聞いたような顔で尋ねる。
ヘリアデスの視線を受けながらも、内心ではすでに整理を始めていた。「幻月」そのワードには覚えがある。
『オルフィス祭・幻月の英雄』――。公式イベントの中でも注目度の高い、大型バトルイベントだ。
最初はただの限定イベントだと思っていた。けれど、もしかしたらこの「幻月」という存在自体が、この世界そのものに根付いた意味を持っているのかもしれない。
「ご存じありませんか? 幻月とは、あの星のことです。」
ヘリアデスが言いながら、薄暗くなってきた空を見上げる。nullもつられて視線を上げた。そこには雲ひとつない空に、大きく輝く白い月がぼんやりと浮かんでいた。
「あれは神々が造ったと言われている星です。――そして、あの星には女神オルフィスがいると伝えられています。」
「女神、オルフィス……。お伽噺、みたいなものですか?」
nullの問いに、ヘリアデスはゆっくりと首を振る。その表情には、淡い懐かしさと、どこか痛みを含んだ影があった。
「いいえ。お伽噺ではなく――昔話です。」
「……昔話?」
尋ねれば、ヘリアデスは小さく頷き、そして声音が一段低くなる。静かな夜気の中で、その響きがゆっくりと、どこか重く感じられた。
「大昔のこと。この星では、かつて神々と人々が共に暮らしていたそうです。けれど、ある大事件が起こり、神々はこの星を離れてしまった……。」
「大事件、ですか?」
nullの問いに、ヘリアデスは目を伏せ、ほんの一瞬だけ沈黙した。そして、静かに、けれどきっぱりと首を横に振る。
「……ええ。 それが何だったのか――今は、まだお話しできません。」
その声音は静かでありながら、どこか断固とした響きを持っていた。
ルシアンとの繋がりがあろうと、nullがどんな立場であろうと、揺るぎはしない。そう言外に告げるような断言だった。
「そうですか。」
nullが短く返すと、ヘリアデスは小さく頷いた。
「はい。神々がこの星を離れたあと、この地はゆっくりと衰退していきました。――それを嘆いた女神が、あの星から私たちを見守るようになったと、そう伝えられています。」
彼女の視線の先には、夜空に浮かぶ大きな月。その淡い光を見上げながら、nullはふと、自分の装備を思い出した。
(女神、か……。私の武器も確か、女神武器シリーズって書いてあったっけ。)
「幻月とは、その女神様がこの地へ干渉する際に起こる現象だとされています。そして、その時には様々な恵みがもたらされる……。人々はそう信じているのです。」
「なるほど……」
(神々の干渉って、つまりシステムイベントってこと? それともその現象もストーリーに関係あるのかな…?)
nullは内心で眉を寄せながらも、表情には出さない。
プレイヤーにとってはただのゲーム公式イベント。けれど、NPC――この世界の住人たちにとっては、それは現象であり信仰なのだろう。
そしてもし、このイベントが実際に世界の構造に影響を及ぼすものなら。それは確かに、物語の核心に繋がっているのかもしれない。
「その幻月というのは、どんな現象なんですか?」
穏やかに問いかける声の奥で、nullの心は高鳴っていた。単なるイベントの一端なのか、それとも――真実への扉なのか。このイベントが次の階層へのカギになるという噂も、それほど遠くないのかもしれない。
「そうですね……。 月が変色し、白から蒼へ、そして青から金色へと輝きを変えるのです。 やがて朝を迎えるころには、再び蒼から白へと戻っていきます。」
「へぇ~……それはまた、幻想的な光景でしょうね。」
「ええ、とても。」
淡く微笑むヘリアデスの横顔は、どこか遠い記憶を見ているようだった。
nullはその表情を横目に見ながら、ほんの少しだけ胸の奥がざわめくのを感じた。この世界の幻想は、もしかすると本当に生きているのかもしれない。
そうして話しているうちに、二人の前方にヘレニアの街が姿を現した。石造りの外壁が微かな夕日を受けて柔らかく光り、街門の向こうには人々のざわめきが微かに響いてくる。
ヘリアデスは、これから軍へ報告に戻るのだろうか。それとも、また調査のために外へ出るのだろうか。nullはそんなことを思いながら、バングルへと視線を落とした。
自分には、自分の任務がある。素材を届け、次の準備を進める。それが今の役目だ。もう少し情報収集をしたい気もするが、ヘリアデスの邪魔をするわけにもいかない。
「それでは、お気をつけて。」
「はい。ヘリアデスさんも、どうかお気をつけて!」
互いに短い言葉を交わし、二人は分かれた。ヘレニアの街中へと向かって歩き出したnullは、ようやく安堵の息をつく。
やっと集め終えた素材は、予定よりも早く届けられそうだ。最初にリストを見た時は、終わる気がしなかった。だが、思った以上の成果だ。
満足げに、nullの口角が緩やかに上がった。
次回:先んずれば人を制す -2




