蒔かぬ種は生えぬ -2
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「ここ、セクター・ノワールでは――」
エルディンは姿勢を正し、軍人らしい調子で説明を始めた。
「本区域は王国直轄の“素材集積地”です。
数百年にわたる人々の活動や魔力濃度の蓄積、魔物の影響……それらが複雑に重なり合い、自然発生的に形成された土地でして、極めて稀少な素材が多く採取できます」
指先で机を軽く叩き、区切りを入れる。
「ただし――採取は容易ではありません。ここに棲む魔物は、通常の冒険者が相対する敵よりも危険度が高い。
加えて採取場ごとに“許可区域”が定められており、時間制限を過ぎれば強制退去となります」
nullは「やっぱり」と内心でため息をつきつつ、黙って頷いた。
「ですが――」
エルディンはそこで声を和らげる。
「null様がお持ちのその手形は、通常とは権限が異なります。基本的にどの区域でも自由に出入りいただけますし、時間制限もありません。もし必要であれば、人員を派遣してお手伝いすることも可能です」
「……本当ですか!」
思わず声が上ずる。今一番欲しかった提案だった。
nullは困ったように笑みを浮かべる。
「実は依頼されている量が膨大でして……一人で集めるには途方もなく、時間的にも厳しいと考えていたところなんです」
エルディンはゆっくりと頷き、真っ直ぐに視線を向けてきた。
「そうでしたか。それでは人員を手配いたしましょう。――ただし、特別規制区域での採取については、こちらが立ち入れない場所もございます。もし必要であれば、null様ご自身で足を運んでいただくことになります。……具体的に、どの素材をご所望でしょうか?」
なるほど。軍の管理下でも踏み込めないほどのエリアがあるというわけだ。
今回そこへ行く必要があるかどうかは、彼に確認してもらった方が効率的だろう。
だが――問題は素材の一覧だ。
レーネから送られてきたメッセージをそのまま見せるわけにはいかない。とはいえ、書き写すには量が多すぎる。
どうするべきかと考えたところで、nullの脳裏にひとつの妙案が閃いた。
「少しお待ちいただけますか?」
「勿論です」
確認をしてから、nullはレーネのメッセージをコピーし、アイテム欄から小瓶を取り出した。
そして顔を上げ、エルディンへ尋ねる。
「すみません、書き写すための紙をいただけますか?」
「どうぞ。こちらでよろしければ」
彼は懐から紙束を取り出し、机に置いた。
「ありがとうございます」
一枚を受け取り、nullはそこへ小瓶の中身を数滴垂らす。
液体はじわりと紙全体へ広がり、古紙のような色を透き通る白――ほんのり金の光を帯びた色へと変えていく。
満足げに頷くnullに、エルディンが目を丸くする。
「あの……それは?」
「実はこれ、調合をしていた時に偶然できた失敗作なんです」
nullは苦笑しながら説明を続けた。
「データ上の内容を、この紙へ直接写し取れるように変質させるポーションでして。冒険者として外を回る私には使い道がないと思っていたんですが……こういう場面では役に立ちますね」
エルディンは感嘆の息を漏らした。
「なんと……! それは素晴らしい品です。我々も日々、多くの記録をデータで管理しておりますが、書類に起こす作業には時間を要します。もしそのようなアイテムが普及すれば、王国にとっても大いに役立つでしょう」
羨望を隠さず瞳を輝かせるエルディンに苦笑しつつ、nullの頭には別の疑問が浮かんでいた。
――この世界に、印刷技術はないのだろうか?
あまりにも現実に似た世界。中世ヨーロッパ風の要素も多いが、技術の一部は現代以上に進んでいる。
例えば腕のバングルは、日本の技術を軽く越えているのに、シカクと訪れた研究施設には古いコンピューターが放置されていた。
最先端と旧世代が奇妙に混在するこの世界で、印刷だけが存在しないというのは不自然に思えた。
規制なのか、失われた技術なのか。あるいは、最初から概念が違うのか――。
nullは内心首を傾げながら問いかける。
「書き起こす仕組みのようなものは、存在しないのですか?」
その疑問の中には、このポーションが思いがけず高値で取引されるのでは、という期待も混じっていた。
エルディンは少し眉を下げ、困ったように答える。
「……あることにはあります。ただ、入力や出力に手間もコストもかかるため、下位の者が使うことはまずありません」
視線を再び紙へ戻し、真剣に観察する。
「数滴垂らすだけで紙質まで変えるとは……これは相当に高価なものでしょう。下の者には到底使えませんが、もし普及すれば――用途や価格、流通範囲まで多くの可能性を考えずにはいられません」
苦笑を浮かべるその顔には、日々の苦労がにじんでいる。
それでも諦めず考え続ける姿は、間違いなく“出世株”に見えた。
nullはふと口にする。
「エルディンさん、たしか隊長の位でしたよね」
「ええ、その通りです」
「その隊長であっても……既存の仕組みは扱いが難しいのですか?」
エルディンはわずかに首を傾げ、不思議そうにしながらも真っ直ぐに答える。
「そうですね。私の地位であれば使用は可能です。……ですが、こうした作業は本来、部下が行うもの。私が使えたところで、大した意味はありません」
やはり――とnullは思い、視線をポーションへ落とした。
「このポーション、一度ルシアン様へお贈りした方が良さそうですね」
その言葉に、エルディンは苦笑しながら小さく首を振る。
「……null様はお人が善い。私どものような下位の者にまで気を配ってくださるとは。しかし、どうかお気になさらず。我々は与えられた範囲で職務を全うするだけです」
「ですが、効率化できる部分は、すべきでしょう?」
nullはふっと笑みを浮かべる。
「不要な作業を減らせば、その分もっと有意義に時間を使えるのに……と、つい考えてしまうんです」
問いかけに、エルディンは肩をすくめて笑った。
「……そう、かもしれませんね」
理想を口にしても現実は変わらない――そう言わんばかりだが、あくまで穏やかに接してくれるのは、余計な負担をかけまいという配慮なのだろう。
nullは紙へと目を落とし、作業を再開する。
レーネからのメッセージを少し編集するとそれをレーネへと送信する。その後すぐに、「メモ」と付け足すことで彼女の疑問も解消することを忘れない。
送ったメッセージを選択し、変質させた紙へ当てると――金色の光がじんわりと文字を描き出し、数秒で素材調達一覧が浮かび上がった。
「エルディンさん。こちらが必要な素材です。……ご確認いただけますか?」
「拝見いたします」
紙を受け取ったエルディンは、質感や文字を指でなぞりながら目を通す。
しばらく小さく頷き、頭の中で計算をしているようだったが、やがて視線を戻した。
「……この中の四点は通常区域では入手が困難なものですが、規制区域であれば比較的容易に揃えられるでしょう」
「ありがとうございます。規制区域の素材は私が何とかします。そのほかをお願いできますか?」
「承知しました。では、早速ご案内いたしましょう」
立ち上がったエルディンは扉を開け、通りがかった兵へ簡潔に指示を飛ばすと、再び振り返った。
「――参りましょう」
nullは黙って頷き、その後をついていく。
何度も角を曲がり、奥へ奥へと進むにつれ、施設の雰囲気は変わっていった。
壁に掛けられた看板の文字は「注意」から「危険」へ、そして「立入制限」から、ついには「立入禁止」へと変わっていく。
喉の奥がひとりでに鳴り、nullは無意識に足を少しだけ緩めた。――どれほど危険な場所なのか。胸の内に小さな怯えが広がる。
やがて、エルディンが静かに立ち止まった。
「この先からは、レベル50以上の魔物が出没します。……くれぐれも油断なさらぬよう」
その言葉に、nullはちらりと自分のステータスを確認する。
――Lv.37。何度見ても数字は変わらない。
今までLv.50以上の魔物と戦ったことはないnullにとってその強さは未知数だ。それでも必要な素材はこの先にある。
イベントまで時間もない。ならば――ここで戦い、ここで鍛えるしかない。
決意を固めて頷くと、エルディンも真剣な瞳で応じた。
「それでは、開けます」
鉄と魔力で補強された分厚い扉が、重々しい音を立てて開かれる。
隙間から生ぬるい風と湿った土の匂い、草花の香りが押し寄せ――目の前に広がったのは、施設内とは思えぬ濃密な森。
頭上には枝葉が天蓋のように茂り、わずかな光が緑に染まって差し込んでいた。
「ここが……ガイア区域なんですね」
圧倒されて立ち尽くすnullに、エルディンは短く「ええ」と答え、先を促す。
重い扉が背後で閉じ、退路が断たれる。
杖を握り直したnullが身構えると、隣のエルディンが剣を抜いて言った。
「null様、お目当ての魔物はこちらです」
思わず呆気にとられる。まさか同行してくれるとは。
「そこまで良いんですか?」
「先ほど申し上げた制限は、部下に命じる場合の話です。私であれば基本どこへでも入れますし、腕にも自信があります。……どうかご安心ください。」
思わず見とれてしまうほど頼りがいのある言葉と笑みに、nullは心が躍るのを自覚した。
「それは、頼もしいですね。私はまだまだ弱いですから……レベル上げも兼ねて、お時間いただけますか?」
「ええ、存分に」
そう言葉を交わす間に、茂みの奥から蠢く影。現れた魔物に、nullは口角を上げて呟く。
「サーチ」
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【エメルブランチ【Type:樹妖】】
種別:精樹変異体 (魔樹種) | 属性:土 / 毒
Lv:32 | HP:26000
耐性:物理攻撃中耐性・毒無効・鈍足無効
弱点:火
特性:HP一定以下で物理無効の防御モードに移行。火属性範囲魔法で解除可能。
スタイル:中距離拘束+花粉散布による持続ダメージ型
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nullがステータスを確認しているその間に、エルディンはすでに動いていた。
剣を片手に駆け出し、大きく跳躍すると、鋭い斬撃がエメルブランチの幹を裂く。その一撃は重く、魔樹の注目を一瞬で彼に向けさせた。
怒り狂ったように、無数の蔓が鞭のように襲いかかる。だがエルディンは素早く身を翻し、数本は剣で弾き、数本は切り落とす。
まるで慣れた舞のように淀みのない動きに、nullは思わず息を呑んだ。
「ファイアーランス!」
構え直したnullの杖から、炎の槍が一直線に放たれる。
灼熱の刃はエメルブランチの中心を貫き、燃え盛る炎が幹を舐めるように広がった。
魔樹が怯んだ隙を逃さず、エルディンの剣が大きく振り上げられ、一閃。巨木のような体をバッサリと真っ二つに切り裂いた。
「……素晴らしい攻撃ですね」
穏やかに言いつつも、視線は周囲から逸らさない。敵が潜んでいないかを探りながら、nullに声をかけていた。
「エルディンさんこそ。あの剣の腕前、とても頼もしいです」
「まだまだこれからです。前衛は私に任せてください」
鋭く剣を構える背中。その姿はとても頼もしく、やる気が溢れてくる。
nullにとって初めて自分よりも強く、安心して前衛を任せられる人と組む。
まさかその相手がNPCだとはnullも予想していなかったが、悪くないと思いながら、二人で素材採取という名の狩りを行うのだった。
次回:油断大敵 -1




