虚と実のあいだ -1
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「どうぞ、お掛けください。」
藍色の瞳がこちらを冷たく見上げながら目の前の椅子を進めてくる。
ここは、セカンダリア中央図書館にある一角。
nullはシカクと合流後バーの店主の元へ行くと、流れる様にここへ連れてこられた。
最初は図書館に話し合いができる様な場所があるのかと戸惑いつつも何も言わずに付いて行けば、地下3階の資料保管庫の更に奥にある部屋へと通された。
途中、明らかに一般人が入れるような仕組みではなかったように感じたが、まぁいい。
それよりもだ。気になるのは、通された部屋にいた二人の男性。
一人は優雅さが際立っている水色の長髪を一束に結い前へ流した藍の瞳の男性。涼しげな美貌はひと目をひくだろう。明らかに一般人ではない。貴族だろう。しかもただの貴族でもなさそうだ。その理由は、彼の後ろに静かに控える様に立っている男の存在である。
こちらもまた雰囲気のある男性だ。明らかに武人。彼の護衛の役割をしているのだろう。
ローブの下に帯剣しているだろうことは、予想が付く。何せ物凄い威圧感のある立ち姿だ。こちらを警戒していることがありありと感じる。
そしてこの男もまた、見目が良い。
黒髪に青い瞳は鋭く、しかし冷静にこちらを監視しているように一瞬の隙もないように見える。背が高くローブ越しでも分かる体格の良さ。その体格からして、相当な筋肉量を誇っているのだろう。そんな彼も恐らくただ者ではない。
これほどの護衛を従える水色髪の彼は、さらに上の存在なのだろう。すべて想像に過ぎないが、彼らがこちらにすんなりと素性を晒すとは思えないので仕方が無い。
さて、そんな彼らと今から交渉?本当に頭が痛くなる。
しかし、同時に面白いとも思った。このためにサブ職業のレベルを上げてきたのだから。
もちろん、シカクもいい仕事をしてくれた。
合流前に少しの打ち合わせをしたが、まさか隠し種まで用意してくれるとは想像以上だった。
「失礼します」と声をかけて椅子に腰を下ろしたnullとシカクは、自然と目の前の男に視線を奪われ、その出方を静かに伺っていた。
「さて――彼から報告は受けているが、君たちは何か“発見”したと聞いた。事実か?」
彼らにも、こちらにも属さない中立の立場――そう見えるバーの店主に視線を向けたが、彼はこちらに一瞥すらよこさない。
まるで「自分は無関係だ」と言いたげな態度すら感じられた。だが、そんなそっけない態度にも動じず、むしろ微動だにしない目の前の男は、こちらをじっと観察していた。
さて、まずはこちらの空気を少しでも引き寄せなければならない。
「初めまして、私はつい最近ここへやってきたばかりの冒険者、ナルと申します。隣の彼は、私の友人でシカクです」
にこやかな表情を作りながら、ナルは隣のシカクに目を向けて促した。
「どうも、同じく冒険者のシカクと申します。彼女とはこの街へ向かう直前の関所で知り合い、行動を共にするようになりました。今回の件も、その延長にある出来事です」
「ほう、それで?君たちは何を見たのかな?」
相手は話を早く進めたがっているようで、こちらのペースに乗る気配はない。
実に手ごわい相手だ――シカクが次の言葉を紡ぐしかない。非常に頭の切れる人物だ。
「はい、自分がこのセカンダリアに到着し、散策をしていた時のことです。
とある金貨の価値が乱れているという噂話を小耳にはさんだのです。
真偽が気になり、市場を歩き回っていたところ――彼女を見つけたのです」
シカクは穏やかに語り終えると、横に座る私に視線を向けた。どうやら、ここから先は私の担当らしい。
……できれば、もう少し喋っていてほしかったのだけれど、彼の笑顔が若干引きつっているのを見れば、無理も言えない。仕方なく、バトンを受け取る。
「私は、自作のポーションを市場で売っていたんです。
彼に出会う少し前、ある男性が私のポーションを買い、満足そうに一枚の金貨を手渡してきました。
それがお礼だと言って、何の説明もなくそのまま立ち去ってしまったのです。
私はその金貨について何も知らず、どう扱えばいいか困っていたのですが――ちょうどその時、シカクと再会しました。
彼と共に調べを進めた結果、私たちはとある店へ辿り着きました。
そして、そこで得たのが……“金貨の行方”と、“その金貨を保管していたはずの金庫が丸ごと消えていた”という情報です」
話を大幅に省いたにもかかわらず、正面の男は表情一つ変えない。だが背後に立つ護衛の眉が、かすかにひそめられたのが見えた。
――まずまずの出だし、だろうか?
「――それで?」
「ええ。この金貨をお返しに参りました。
――こちらは、貴方方が管理・所有されていたものではありませんか?」
nullはそう言って、手にした金貨をそっとテーブルへと置いた。だが、それを相手へと差し出すことはせず、自らの手元から動かすことなく、ただ見せるように留める。
相手が手を出せる距離ではない。後方の護衛が不用意に近づくはずもないと踏んでの行動だった。
護衛という立場上、対象から離れることはないし、目の前に置かれた金貨に仕掛けがない保証もないのだから。
「――それか。確かに見覚えはあるな」
一瞬だけ視線を落としたその男の藍の瞳が、次の瞬間、射貫くような鋭さでこちらを捉えた。
どうやら、まだ何かが足りないらしい。
自分が彼の立場ならば、何を最も嫌がるか。
――収穫なく時間を無駄にすること?
不都合な事実の拡散?
それとも、金貨や金庫の流出が広まること?
いや恐らく、どれも彼にとっては“看過できない”ことだろう。
ならば――今取れる作戦はこれしかない。
「おや?貴方はこれに見覚えがおありなのでしょう?
お確かめにはなられないのですか?」
あくまで困ったような表情を浮かべて、痺れを切らしたふりをする。
その瞬間、相手の眉間に微かに皺が寄った。どうやら、彼の好みではなかったらしい。
「――それが本物だという証拠は? それが罠だったら? 君たちを信用してここへ呼んだわけではない。」
信用していない相手を呼び出し、それでも対面の場を設けた――なぜ?
私はそっと視線を横へ流す。
答えは、おそらくこの男――バーの店主だ。
彼が誘導し、彼の言葉で彼らをここへ呼び寄せた。それだけの力がある重要人物に違いない。私たちはその付属品にすぎないのだろう。
「であれば、致し方ありません。私たちは不要のようですね」
私は淡々と答え、金貨を引き寄せて仕舞う。椅子から立ち上がることはせず、静かに座りなおした。権力者の前で勝手な行動は無用だし、今この場で選べる手など、そう多くはない。
沈黙。
相手は少しだけ間を置いて、短く答えた。
「――そのようだな」
にこりと微笑み返すと、男の藍の瞳がじっとこちらの様子を窺っていた。
その視線を意識しつつ、私は一度、部屋をぐるりと見回す。
まるで倉庫のようなこの部屋には、飾り気も目を引くものも見当たらない。ただ、床や壁に刻まれた幾重もの魔法陣が淡く光を帯びて重なり合っている。それだけで十分、この空間に特別な“何か”を感じさせる。息を呑むような神秘――それが、この空間の重さを物語っていた。
「――いいだろう。しかし、君たちが盗んでいないという保証はどこにある?」
「盗むとは、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。金貨を盗み、市場へ流したのが君たちである可能性もある」
なるほど。今度は罪を被せる方向に話を持っていくつもりらしい。
だがそれは困る。“やった”証拠は用意できても、“やっていない”証明は常に難しい――今回は、少し勝手が違うにせよ。
「では、お調べになればよろしいのでは?
その間にも、真犯人は嬉々として金貨をばら撒き続けるでしょうが。
…貴方が、私たちが犯人だとお決めになったのであれば、私たちに抗う手段などありません。どうぞご随意に。」
私は静かにそう返すと、口を閉じて椅子にもたれた。
捕まるとしても、プレイヤーである自分たちにとってそれは大した問題ではない。むしろ、現実では決して体験できないようなイベントが起きるのだとしたら――少し、好奇心がくすぐられる。
無実だからこそ、堂々とできる。
実際、金貨を流出させたのは私たちではない。私たちが問われるとすれば、せいぜいあの研究ラボに勝手に踏み込んだことくらい。いや――そこから情報を持ち出した件も含まれるか。
「では、話はここまでだな」
「そのようですね。私どもをお連れになりますか?」
両の手を素直に前へ差し出すと、目の前の男はあからさまに嫌そうな顔でため息をついた。
どうやら、本意ではないらしい。――流れのままに会話をしたというのに、まったく自分勝手な御仁だ。
「其方らを連行するのも、時間の無駄だ」
――其方ら、ねぇ。
取り繕っていた仮面が少しずつ剥がれていく。それは、こちらにとって悪くない兆しだった。
「では、罪には問われないということでよろしいでしょうか?」
にこりと微笑んで返すと、彼はわずかに眉をひそめ、苛立ちを滲ませた。
……ようやく、彼のペースが崩れ始めたようだ。
「ああ、それでいい。だから――知っていることを話せ。」
nullはシカクへと静かに視線を送ると、小さく頷いた。それを合図に、シカクは無言でインベントリから数枚の紙を取り出し、テーブルの上へ一枚ずつ並べていく。
それは、彼がラボで収集した情報。
nullが探索を行っている間に、ひそかにコピーしていた記録の写しだった。そして今、それらの中には、彼らが求めるものが必ず含まれているはずだ。
nullは目の前の男たちの表情を注意深く観察する。
どの書類で眉が動くか、どの瞬間に視線が止まるか。情報の価値を見抜くには、相手の反応を読み取るのが一番早い。
そして、それは的中した。
一枚の報告書に視線が留まり、藍の瞳が僅かに見開かれる。ほんの一瞬。だが、確かにそこに“動揺”があった。
それは――【ZC-216:管理記録ログ】。
null自身も、その書類には何か引っかかるものを感じていた。だからこそ、あの瞬間の反応には妙な納得があった。だが、彼らはそれをどう見たのか。それこそが、今いちばん気になるところだ。
「よくわかった。それで、君たちの目的は?」
動揺していたはずの彼は、いつの間にか澄ました顔でこちらを見ていた。
書類で見せたあの一瞬の反応――それを押し殺して、逆に冷静さを取り戻そうとしているのかもしれない。彼がこの場に自ら赴いた意味が、少し分かる気がした。
「私たちはただ、市場が安定してくれれば、それでいいのです」
「…君たちがそれを望む理由が、分からないな」
疑いを含んだ視線。――当然だ。
私たちが損をしてでも市場を安定させたい理由なんて、常識的に考えれば腑に落ちない。だからこそ、そこに“利害”を絡めることにした。
「理由なら、いくつかあります。
この街には、これから多くの冒険者がやってきます。
我々のような者たちは、儲け話や怪しい噂にいとも簡単に飛びつく。
金策になるとわかれば、秩序なんてあっという間に崩れます。
…でもそれは、私たちにとっては望ましくないのです。
混乱の中で誰かが得をすれば、誰かが損をする。
下手をすれば、街そのものの信用が落ちる。
今、面倒の芽を潰せるなら、それに越したことはない――というのが、私たちの目的ですね。」
少しだけ笑って、言葉を続ける。
「本音を言えば、この件で少しでも貴方方からの覚えが良くなれば、さらに嬉しいですが。…信じていただけなくても、構いません」
実際のところ、狙っているのは名声、褒賞、そして――将来への“繋がり”。つまりパイプである。それが得られれば、この作戦は成功だ。
「――ふむ、それで? 君たちは、どうしたいんだ?」
「先ほど申し上げた通り、市場が安定すれば、それで構いません。
他の冒険者が入り込む余地がなくなるなら、それが一番です。
もちろん、金庫探しに協力するというのなら、可能な範囲でお手伝いもします。
…ですが、私たちは国に仕える者でも、市民でもない。
どこまで踏み込むべきか──その判断には、正直迷いがあります。
いえ、正確に言えば…既に少し、踏み込みすぎた気すらしているのですが…。
この辺りで手を引き、あとは貴方方にお任せするのが妥当な流れかと。」
「つまり──金庫を探す意志はあるが、その大義名分が欲しい…ということか」
男の低い声が、まるで独り言のように響く。
声には思考の重みが滲んでいた。私たちの意図、扱い方、それが国の利になるか──あらゆる可能性を計算しているのだろう。
私たちとしては、できれば金庫探しなんて面倒には巻き込まれたくない。
私の戦い方は、シカクにも明かしていない。そんな中で、国お抱えの騎士と共に行動するような展開になれば、不都合が増えるのは明白だ。
隠しきれるか、守りきれるか──それを常に意識しなければならなくなる。
だったら、そっちで上手く片付けてもらって、ここまでの報酬を貰って「はい、解散!」の方がありがたいと言えばありがたい。それに、ここまでで必要な顔つなぎは、ある程度できたはずだ。
「お言葉ですが、これ以上、ただの冒険者が深入りするよりも、貴方方の手で処理された方が良いのではありませんか?」
「その通りだ。だが、現状ではそれも難しい。…しかし、この件は早急に対処せざるを得なくなった。であれば――力のある君たちに、協力を仰ぐべきなのだろうな」
緩んだ口元。その一瞬で、私は悟った。
やりすぎた。こちらの言葉が、逆に“彼に決断の後押し”を与えてしまったのだ。
「というわけで、君たち二人に正式な依頼を出そう。
失われたものを取り戻した者には、それ相応の礼を。
……だが、途中で逃げるのであれば、それもまた相応の対応を取る」
彼の視線が鋭くなる。
「君たちの器量を測るには、ちょうどいい案件だ。――どうするかは、君たち次第だ」
いつの間にか、主導権は完全に彼の手に渡っていた。しかも私たちが望んで提案したかのように、話は組み立てられている。…つくづく、やり手だと実感する。
「金庫の奪還、ということでしょうか」
「その通りだ」
うん、言質は取った。
あくまで“金庫の奪還”――中身の金貨については責任の範囲外だ。…その程度なら、妥協できる。
「分かりました。ご協力いたしましょう。…とはいえ、金庫はどうやって持ち帰れば?場所については、そちらの書類にも記載されていますし」
私がそう尋ねると、藍の瞳がふいに逸れて、背後の護衛へと向けられる。男はわずかに頷くと、懐から小さな装置を取り出し――無造作に放ってよこした。
ポイ、と。反射的に手を伸ばして受け止める。受け損ねはしなかったが、雑にもほどがある。
「これは?」
視線を落とすと、護衛の男が初めて口を開いた。低く、重みのある声。その一言で、場の空気が引き締まる。
「転移装置だ。金庫を見つけたら、それを貼り付けてスイッチを入れろ。魔力を多少消費する。魔法使いである君が使うのが妥当だ」
「…どのくらい消費するんです?」
「さて、な。使う者次第だ」
ぶっきらぼうな返答に、思わず眉をひそめそうになったが――そこはぐっと堪えて、代わりに静かに頷いた。
「さて、これで話し合いは終了だな。何かあれば、そこの彼を通じて連絡をしてくれたまえ」
「分かりました。お時間、ありがとうございました。」
私が立ち上がって礼をすれば、シカクもそれに続いて丁寧に頭を下げる。二人が頭を下げたのを見届けた後で、彼はふと思い出したように呟いた。
「そう言えば…私は、ルシアン。
彼は、カイリス。不用意に名前を呼ばないことを推奨するが――まあ、任せる」
そして、今度は手を振ってみせた。それが退出の合図だった。どうやら、こちらに選択権はないらしい。わざとらしく肩を竦めてみせると、ルシアンの表情がふっと緩む。――多少なりとも、好感度は稼げたようだ。
私たちはバーの店主と共に部屋を出て、廊下に出たところでシカクと顔を見合わせる。共に自然と深いため息が漏れ、苦笑が零れた。
長く張り詰めていた緊張が一気に解け、体から力が抜けていくのを感じた。
「にしても、ナルさんすごいなー。どこであんな交渉術身につけたの?」
苦笑しながら話しかけてくるシカクを、私はジト目でにらむ。
「いやあ、私も尊敬するよ、あのキラーパス」
「いや、それは…結果的に正解だったし」
本当は、もう少し様子を見てからタイミングを見極めたかったんだけどね。
そんなことを考えながらも、今の関心は――先頭を歩く男のことだ。
あの男は、明らかに警戒されていた。しかも、私たち以上に。彼が何者なのか。今、それを確認する術はない。
聞いたところで、答えてくれるとは限らない。だからこそ、タイミングを計らなければならない。
今は“協力者”という形で並んで歩いているけれど
――いずれは、その正体を見極めなければならない存在だ。