刃を研ぎ、知を磨け -1
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「よし、このくらいでいいかな」
ステータス画面を閉じ、nullは満足げに頷いた。
本日は平日ということもあり、当然彼女も仕事場へと向かったのだが、昼過ぎあたりには仕事を終わらせて早々に帰宅していた。
帰宅後すぐにログインした彼女は、やっておきたかった“ある準備”に精を出していた。
――サブ職業のレベル上げ。
当初は“お遊び”で選んだ職業だったが、今回の件でその重要性が急浮上した。
相手が誰であろうと情報戦で優位に立てるように。nullはその職業の可能性を見極めながら、黙々と経験値を稼ぎ続けた。
(あとは作戦、だね)
頭の中で段取りを確認する。シカクとの約束までは、ゲーム内時間でまだ一時間ほどある。
(……アカデミー、行っとこうかな)
ふと、未消化の課題を思い出したnullは、スキルを呟いた。
「アカデミー」
唱えると、視界が一瞬淡い光に包まれ、次の瞬間には白亜の建物の前へと転移していた。
建物の前には数名のプレイヤー。多いとは言えないが、以前よりは増えているように見える。
受付を済ませると、すぐにニヒルが笑顔で現れる。軽く挨拶を交わして、いつもの試験場へと向かう道すがら、nullはふと問いかけた。
「冒険者の数、増えました? 初めて来た時は、私ひとりだった気がするけど」
「ええ、少しずつではありますが、数名ほど登録されています」
「数名、か……ここで教えてもらったスキル、結構役立ってるんですけどね?」
そう言って首を傾げると、ニヒルはくすりと笑った。
本当に、ここで得たスキルはどれも実用的だった。戦闘の中で命拾いした場面もある。加えて、自分のスタイルに合った魔法を選んでくれるというのも、大きな魅力の一つだ。
それなのに、どうやら他のプレイヤーたちは、あまりこのアカデミーに価値を見出していないらしい。
「序盤でお教えできるスキルは、基本的に購入できますからね。それほど需要がないのも頷けますよ」
ニヒルの穏やかな説明に、nullは「ふーん」と曖昧に相槌を打つ。
そういうものだろうか――いや、むしろそれならなおさら、この場所はもっと注目されてもいいのでは?
けれど、ふと思い当たる。
この場所が混み合わない今の空気は、どこか心地よい。
自分のためだけに整えられたような静けさと余白。試験もスムーズに受けられ、時間を気にすることもない。
(……もしかして、みんな知ってて“広めてない”のかも?)
他人に教えたくない“攻略法”は、どのゲームでもある。ここもその一つだとしたら――それは少し、楽しい秘密を共有しているような感覚だった。
「まぁ、私としては、試験がスムーズに受けられる今の状況はとてもありがたいですけどね」
「私としても、多くの受講生を持つと研究の時間が減りますから、今くらいがちょうどいいかと」
そう言われて、nullは思い出す。
ニヒルは隣接する研究棟で、魔法理論の実験と応用開発を担当している研究員だった。試験官はあくまで兼任――つまり、本業は研究者というわけだ。
であれば、試験をこなすたびに彼の時間を奪っていることになる。少し申し訳ない気もするが、とはいえ彼がこの役を引き受けたのも自分の意志だろう。
「研究と試験官の両立か……ニヒルさんも、お忙しそうですね」
そう言うと、ニヒルはふっと小さく笑みを浮かべた。
「ええ、ありがたいことに。研究だけでは生活は立ちゆきませんから。
試験官の仕事は、収入の確保と実地データの収集、両方を満たす理想的な副業なのです。特に――」
彼は歩きながら少しだけこちらを見る。
「あなたのような“規格外の適合者”が来てくれるのは、私にとっても非常に価値があります。ですから、どうか遠慮せず、いつでもいらしてくださいね」
nullは思わず苦笑する。「褒めすぎですよ」と返しそうになったが、やめた。
彼にとって自分の存在が「価値あるサンプル」なのか、それとも単純に「生徒」として評価されているのか。それはまだ、わからない。
けれど、この場所に“歓迎してくれる人がいる”という事実だけで、十分だった。
にしても、試験官のお給金はどうやらプレイヤーのランクに伴って変動する方式らしい。
いわば半分歩合制――ってところだろうか。初級レベルの試験なら楽だが、その分、報酬も微々たるもののはず。
となれば、私にできるのはたくさん試験を受けて、少しでも早くランクを上げること。
ついでに言えば、ニヒルの今の評価ランクを追い抜いてみせるのも、ちょっとした目標に悪くない。
「さて、今回はD-Ⅰからとなりますが、よろしかったでしょうか?」
「はい。今日はあと30分くらいしか時間がないので……進められるだけ進みますね」
「承知しました。それでは――開始しましょうか」
ニヒルはそう言うと、軽く腕を上げた。
彼の魔法が発動したのだろう。目の前に現れたのは、数体の案山子やゴーレム、そして火や水の塊だった。どうやら今回の的は、それらのようだ。
「まずは、この的をすべて破壊してください」
にこりと微笑むニヒルは、どこか楽しげに言った。
その表情から何か仕掛けがありそうだと感じたnullは、まずはいつものように魔法を唱えて周囲を確認する。
「サーチ」
==
【木製案山子】
タイプ: 無属性(物理構造体)
構造: 乾燥 / 繊維質(燃焼性あり)
弱点: 火属性(+200%ダメージ)
耐性: 水・土(効果薄)
特殊反応: 風属性で揺らぐ(命中率減少)
【粘土ゴーレム】
タイプ: 土属性 / 魔法生命体
構造: 粘土核+砂鎧(湿気で崩れる)
弱点: 水属性(+200%ダメージ)
耐性: 火属性(反応拡散・ダメージ減少)
特殊反応: 強火使用時、蒸気噴出で視界妨害発生
【魔力浮遊体】
タイプ: 火属性 / 不安定魔力体
構造: 過飽和魔力核+空気媒介浮遊
弱点: 風属性(+150%ダメージ / 安定化)
注意: 火属性で過剰反応 → 爆発(範囲:小)
無効: 水・土・雷(魔力拡散 / 無効化)
【水流幻影】
タイプ: 水属性 / 半実体系
構造: 流動魔力膜 / 高拡散性
弱点: 土属性(+200%ダメージ / 吸収)
耐性: 風属性(拡散による命中減)
無効: 火・雷(魔法干渉せず)
==
「不安定魔力体?」
火の塊――あれはどうやら、酸素と魔力の混ざった危険な球体らしい。火属性を当てれば爆発する。使い方次第では、便利そう。
ただ、ゴーレムの方は性質に気をつけないと面倒なことになりそうだ。
「ま、やってみなきゃ分からないよね」
軽く口角を上げ、詠唱する。
「ファイアーランス」
火の塊が連なり、しかも一直線に並んでいたため、そこを狙って一気に撃ち込んだ。炎の槍が標的に命中した瞬間――ドンッ!!
爆音が試験場に響き渡り、すぐさま爆風が巻き起こる。
nullはかなり距離を取っていたが、それでも身体を押すほどの風が通り抜けた。的が密集していたこともあり、かなりの規模で爆発したようだ。
風が抜けた後には、的は一つも残っていなかった。代わりに、地面が大きく抉れている。
「……なるほど。危険、だね」
そう呟いてニヒルに視線を向けると、彼は苦笑いを浮かべたまま、この状況を静かに見つめていた。目が合うと、彼はひとことだけ口にする。
「…合格です、ね」
確かに、“すべての的を壊す”という条件は達成している。実験のつもりで放った魔法だったが、まあ――仕方ない。
「まさか、こんな風に突破されるとは思いもしませんでした」
「……なんか、すみません」
「いいえ」
ニヒルは首を横に振ると、再び腕を上げる。同時に、さっきと同じように目の前に的が出現した――が、今度は少し数が少ないようだ。それに、緑色の的が混じっている。
「では、次の試験です。D-Ⅱでは、緑色以外のすべての的を破壊してください。準備はよろしいですか?」
問いかけに頷いて、nullは目の前の的をじっと見つめる。
先ほどのサーチで、それぞれの属性と弱点は把握済みだ。あとは、誤って緑色の的に当てなければいい。
「ウィンド」
風魔法を放つと、火の塊が吹き飛ばされ、霧散した。どうやら正しい属性で処理できたらしい。
次は水の塊、水流幻影である。一旦、どういう挙動を見せるのか確かめてみようと魔法を放つ。
「ファイア、ウィンドカッター、ウォーター」
ファイアを放つと、水の塊に呑み込まれて、霧散したのは魔法の方だった。ウィンドカッターは、水を切るだけで破壊には至らず。さらにウォーターでぶつけても、水に吸われて消えるだけ。
「……現状の手札じゃ、これ壊せないか」
小さく呟きつつ、視線を動かすと、近くにある木製の案山子が目に留まった。
あれは乾燥した構造だったはず――吸水性が高いってことは……
(オルガス戦で使った、あれ……いけるかも)
「ウィンド」
魔力操作スキルを併用しながら、風魔法を操る。狙いはもちろん案山子――ただし、風属性によって揺らぎが生じるため、的確なタイミングで命中させる必要があった。
水流幻影が案山子の背後を通過する、その瞬間を見極めて魔法を放つ。
風を受けた案山子は狙い通りバランスを崩し、そのまま水の中へと突っ込んだ。すると、水が一気に繊維質へと染み込み、重みで案山子はぐらりと傾き、地面に向かって崩れ落ちる。
たっぷり水を吸ったそれは、泥のようにぐしょりと地面に刺さって沈んだ。
(これなら、火魔法はもう通らない)
そう判断して、別の魔法を選ぶ。
「ウィンドカッター」
鋭い風刃が水気を含んだ案山子を斬り裂き、ばさりと音を立てて倒れ込んだ。これで破壊判定が取れるはずだ。そう判断して、次の的へと目を向ける。
次のターゲットは――粘土でできたゴーレム。
「ウォーター」
放った水弾が命中すると、粘土の外殻がじわじわと崩れていく。とはいえ、一発では崩しきれない。続けてもう一発をぶつけると、ようやく全身が崩れ落ち、魔力の光を残して消失した。
(効いてるけど、ちょっと時間かかるな。もっと効率よく処理したい)
試し撃ちは十分。破壊の仕組みは分かった。ならば次は――より早く、より正確に。
周囲にはまだ、各種の的が数体ずつ残っている。ここからが本番だ。
「ウィンド!!」
粘土ゴーレムへ風を放ち、同時に水流幻影へとぶつける。
ゴーレムは一瞬にして崩れ落ち、泥と化して床に溶けた。どうやらこれが最も効率のよい倒し方のようだ。
同じ要領で次々とゴーレムを水流幻影に向かって飛ばし、最後の一体を投げ入れたところで、水流幻影がひとつ消滅した。どうやら、ゴーレムの体がある程度水を吸収してしまったらしい。地面には粘土屑がボロボロと崩れ落ちている。
「仕方ないね…次いこう」
今度は新たな水流幻影に向かって魔法を発動する。
「グラビティ・ボム!!、ウィンド!」
流水の通り道にグラビティ・ボムを置けば、流水の動きが弱まる。どうやら避けずに突っ込んでくれたようで、狙い道理の挙動を見せてくれた。
そこへ案山子を放り込めば、たちまち吸水して崩れ落ちる。これで、案山子一体で流水を二体、同時に処理できた。
残った流水にも同じように案山子を投げ入れ、落下のタイミングを見計らって「ウィンドカッター」を発動する。
水を吸った案山子は抵抗なく斬り裂かれていった。
最後の流水も同様に処理し終えれば、厄介な相手はすべて消滅した。残るは火の塊と、乾いた案山子たち。
nullは今度、逆に火の塊を使うことにした。
「ウィンド!!」
風で火の塊を吹き飛ばし、案山子にぶつける。
命中と同時に案山子が燃え上がり、勢いよく火が走る。いい火加減だったらしい。
頷きながら、残りの案山子にも同じように火の塊を飛ばして処理を済ませる。すべての的が跡形もなく消えたところで、nullはふぅっと息を吐いた。
タイミングを見計らったように、ニヒルの声が響く。
「合格です」
思わず表情が緩む。ひとまず、これで一安心だ。
「持っている魔法スキルをうまく駆使して、的を破壊できましたね。水流幻影の対処は厳しいかと思い、それ専用のスキルをご用意していたのですが……問題なくクリアされましたね」
どうやら、もし「対応できない」と素直に話していれば、補助スキルを得られる予定だったらしい。
新しいスキル獲得の機会を逃したことを悔やむべきか、それとも機転を利かせて突破した自分を誇るべきか――判断に迷うところである。
「いずれにしても、見事な戦闘でしたよ。あの方法を選んだのは、ナル様が初めてです。私も非常に刺激を受けました。
実を言うと、少し行き詰まっていた別の試験への応用も思いつきましてね。今日はひとつ、新たな発見をいただきました」
とても嬉しそうに、そしてどこか興奮気味に語るニヒルに、nullは苦笑しつつも頷いた。
「確かに、これまでにない“天敵”でしたね。的とはいえ、対応できる魔法がなかったのは事実です。
でも、打破できる策を練るのは慣れているんです。今回は案山子を投げ入れて対処しましたが、今思えば、ストーンシールドをぶつけても案外いけたんじゃないかと思ってるくらいで」
「ふむ、防御魔法を攻撃に転用する……。案山子ほどではないにせよ、確かに通用しそうです。興味深い」
ニヒルは深く頷きながら、じっとこちらを見つめてくる。その目は、研究者としての好奇心に満ちていた。
そんな彼が、ひとつの赤い宝玉を手渡してくる。笑みを浮かべながら、にこりと続けた。
「次の試験は、ぜひこの報酬を活かして臨んでください。――楽しみにしていますよ」
宝玉に触れた瞬間、澄んだシステム音が空気を震わせるように鳴り響いた。
==
【アカデミー報酬】
・ライトニング・コード Lv.1
・アイシクル・ストライク Lv.1
・クレイ・バインド Lv.1
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「あれ、いつもより一つ多くないですか?」
nullは首を傾げる。一つの試験でスキルを一つもらえるのだと思っていたのだが、今回の報酬は三つ。何かの間違いかと視線を向けると、ニヒルはゆっくりと首を横に振った。
「報酬が一つとは限りませんよ。基本的には一つですが、試験の内容や成果によっては、可能性や観測のために追加報酬をお渡しすることもあります。
今回は特に、今後必要になりそうな『クレイ・バインド』を追加でお付けしました」
「なるほど」と頷きつつ、スキル詳細を眺めていると、視界の端でニヒルがそわそわとこちらの様子を伺っているのが見えた。
なんだろうと小首を傾げると、彼は少し困ったような笑みを浮かべて言った。
「……今日は、あまり時間がないのですよね?でしたら、すぐ次の試験に移りましょう。ⅢからⅤまでは連続性のある試験ですので」
どうやら、次の試験でのnullの立ち回りを、早く見たいらしい。好奇心が隠しきれていないその様子に、思わず苦笑してしまう。
まぁ、焦る理由もないし――進めてみるのも、悪くない。