三
今日も今日とて、鳥山嶺のトンネル堀り作業だ。
夏場のトンネルは風も通らないのでそれはそれは暑い。
汗が滝のように流れ、頑丈な羅でさえも気を抜いてしまうとふらついてしまう。
夏の敵は暑さだけではない。
木を開き、普段人が立ち入らない場所を掘り進めているせいで、森林に巣食うおぞましい病が労働者に降り注いだ。
マラリアにかかる病人は日に日に増えていき、比例して病人の数も増えていく。
辛く厳しい環境のなかでは、人はなにかにすがらなくては精魂尽きてしまう。
羅がすがったのは、日本人の度重なる横暴に台湾人が立ち上がり、こっぴどくやられる想像であった。
日本人がそう簡単にやられる相手ではないことは分かっていた。そうであれば、彼の両親は今頃、日本人を倒した功績で称えられていたことだろう。
ただし、日本人の横暴に、台湾人が反発する構図はここ、嘉南平原で起きていた。
立ち上がったのは、嘉南平原で農作業を営む住民たちだった。
日本の資金がふんだんに入っているとは言え、実際に水を使うのは嘉南平原に住む住民たちである。
そこで日本人は、台湾の人々に負担金を要求してきたのだ。
農民たちは負担金に抗議を入れた。
まず大前提として、本当に水がうちの農地まで来るか怪しいものだ。
どうせ水は来ない、来たとしても少量だけ、にもかかわらず負担金は満額払うはめになるに違いない。
そもそも、嘉南平原の農民たちのなかには、灌漑計画に消極的な者たちも少なくなかった。
農民たちから灌漑施設建設の嘆願書が何百も届いたと報道されたものの、実態は警察を動員して署名を強制していたのだ。
抗議の言葉は国家権力によって握りつぶされた。
ならば、実力行使をするしかない。農民たちは工事現場に精一杯の嫌がらせを仕掛けはじめた。
農民が懸命に考えたいたずらなので、実際の作業には差し支えがない行為ばかりであったが、農民の反対の意思はありありと示された。
羅は、それでこそ台湾人だと誇りに思う。
清に占拠されていた時代から、台湾は争い事が多く、清の官僚もあまり近寄りたがらない土地であった。
日本人もとっとと台湾から近寄らなくなってほしい。叶わないと分かっているが、そんな願望を胸に秘めていると、辛い工事の仕事も身に入る。
そんな日々が続いたとき、別の村の労働者から、八田與一が農民に向けた説明会を開くと教えられた。
さすがの日本人も、この状況をそのままにしておかなかったらしい。
だが、連中のやることは分かりきっている。
どうせ、水で溢れた嘉南平原のために協力しろだのと偉そうなことをいい、反発する農民に圧力をかける。
その現場を見に行ってやろうと、羅は仕事の合間を縫い、単身で説明会の会場に侵入した。
自らの懐がかかっているのだ、参加する農民たちは殺気立っていた。
説明会は定刻通りに始まった。
八田與一は農民たちをざっと見渡し、羅の姿を見ると驚いたように目をぱちくりさせる。
ただすぐにいつもの難しそうな表情に戻ると、嘉南平原の灌漑計画についてツラツラと話し始めた。
よくわからない専門用語もあるが、農民にも分かりやすく噛み砕いて説明していた。
ただし、工事の専門的な内容なんて、農民たちは興味なかった。
八田の話を遮るように、誰かが声を上げる。
「それで? 本当に水が通るのかよ。通らないのなら、負担金を減らしてもらえるんかよ」
司会が慌てて黙らせようとするも、八田は目で制す。
八田は声を上げた人物だけでなく、農民たちや羅を一人ひとり視線を合わせて話す。
「そうですね。はっきりいいましょう。飲水には困らなくなるでしょうが、全農民が水耕農業が出来る環境になるほど水は届けられません」
農民たちがざわつく。「なら負担金なんて払わねえよ」なんて声もあがってきた。
ざわつきが自然と落ち着くのを待ってから、八田は話し始めた。
「そこで我々は、ある方策を提案します」
八田は巨大な地図を壁に取り付ける。
嘉南平原の地図だ。細かい地区や集落もしっかりと記入してある。
地図には地区を縦断するように何十何何百もの黒線が引いてあり、加えて色ペンで三区画に分かれていた。
八田はまず黒線を指差す。
「これが、給水区画です。給水区画は、嘉南平原全体で約一万区画設ける予定です。ですが、全ての区画でふんだんに水を使うには、水が足りません」
今度は、色ペンで引かれた線を指さす。
「そこで、嘉南平原を三区画に分けて、それぞれ循環式に給水配分を行いましょう」
八田は図を持ち出して説明しだした。
例えば今年は一番目の区画は水の量を多め、二区画目は平均値、三区画目は少なく設定する。
次の年になると、一区画目の水量を平均値、二区画目を少なめに、三区画目を多めに設定。
三年目は、一区画目を少なめ、二画目を多め、三区画目を平均値にする。
「水の量を適切に用いるため、皆様には作物の種類も変えていただきたいです」
水が多く設定されている年には、水稲を。
平均程度の年はサトウキビ。
少ない年はじゃがいもなどの乾燥に強い作物を。
「こうして作物を循環していけば、土地も痩せずに良質で大量の作物を作れます」
何か質問はないかと促され、皆は黙りこくる。
まさか、年によって水の量を変えるだなんて、みな想像もできなかった。八田が説明したことを飲み込むので精一杯であった。
彼、羅はもうちんぷんかんぷんだった。
ただ、一つだけわかるとすれば。
八田の目は、真剣だった。
説明会が終わり、羅は足取り重く宿舎に戻る。
今日は仕事だった江が「どうでしたか?」と尋ねてきた。
八田の考えを伝えると、江はしばし悩んでから言う。
「みんながみんな、稲穂の作り方がわかるわけじゃないんで、八田さんの計画通りにはいかないと思います。……けど、原理的にはいけるかも」
江は感嘆のため息を付く。
「八田さんは、『一口吃成胖子』。つまりは、嘉南平原の人々の暮らしを改善しようと、あれやこれやを一度にやり遂げようとしているんですね。なんだか、すごい人です」
「……」
昨日までの羅だったら、「日本人なんかの味方をするな」と怒っていた。
けれど、羅は。
……何も、言えなかった。