二
西欧の最新技術を使えば、嘉南平原の灌漑も夢ではない、と大風呂引きを広げた八田與一は、有言実行の四文字熟語にふわさしい人間であった。
実際の作業に入った江は、見たことがない機械に度肝を抜かれていた。
「わあ、機関車! 機関車が通っていますよ!」
ダム建設には、大量の土砂が必要不可欠である。
手作業でえっちらおっちらと運んでいては、何十年もの月日がかかってしまう。
そこで活躍したのが、鉄道である。
エアーダンプカーを100両ほど機関車につなげ、大量の資材をダム建設地に運搬していたのだ。
さらに、土木作業を行うのも、機械が担っている。
蒸気を動力としたスチームショベルが、大小合わせて七台も稼働していた。
「兄貴兄貴!!」
江は一生懸命何かを指さしている。
そちらを見ると、なんと、いかつい重機械が、宙に浮いているではないか。
「すごい! 飛んでる!! 飛んでますよ兄貴!! わあ、最新技術すごい!!」
もちろん、さすがに最新鋭の西欧の技術といっても、重機械が空を飛びやしない。
ロープウェイで重機械を運搬しているのだ。
トンネルは、上流部と下流部の両方から掘り進めていき、中央部分で貫通するように作られる。
反対側にも重機械が必要であるが、斜面を登って運ぶのは困難を極めた。
そこで、八田は鳥山頭からトンネルの下流部と上流部まで、24キロメートルのロープウェイを建設したのだ。
ロープウェイは24トンの重量にも耐える太さで作られている。
単純な江はきゃっきゃとはしゃぐも、羅はそこまでの元気はなかった。
負け惜しみのように、ぽつりとつぶやく。
「なんだ、日本は金が有り余っているのか……?」
そんな呟きでさえも、どこぞの日本人作業員に否定されてしまう。
「いやいや、日本も金はそんなに持ってないさ」
スチームショベルから降りた日本人は、愛おしそうに機械を撫でる。
「これだって、アメリカから400万円で購入したんだ。なんだって、工費の25%だからな。過剰だのなんだのって文句をいわれたんだ。俺等だって、こんないいもん使える人がいないって反対したんだ」
日本人は誇らしげに胸を張る。
「だけどな、八田さんはこういったんだ。『これだけの大工事を人力に頼っていては、完成までに何年かかるかわからない。完成が遅れれば、土地が不毛のまま放置される、工期を短くするためには絶対に必要なんだ』ってな」
実際に、スチームショベルは一回すくい上げるだけで、2立方メートルもの土砂をすくいあげる。
人力に頼ると半日分もかかる仕事をやってのけるのだ。
江はキラキラとした目でお得意のことわざを披露する。
「竜一匹はミミズ一籠にまさる、ショベル1台が何十人もの人よりも勝るってことですね!」
「ミミズ? よくわからないが、そういうこった!!」
江はほう、と感嘆のため息を付く。
「八田さんって人は、本当に台湾のために色々してくれているんですね」
「……」
羅は思いっきり江を殴りつけた。
「あいた! な、なにするんですか!」
「頭覚ませ。外来人が俺等のことを本当に思っている訳ねえだろう。どうせ八田與一って男も、利益を日本に持ってくために、奴隷を気持ちよくさせているだけに違いない」
日本人労働者は顔をこわばらせる。
「八田さんになんて失礼なことを言いやがる! 表でろ! 俺がひっぱたいてやる!」
「上等じゃねえか!」
江は慌てて羅にすがりつき、「喧嘩はやめてください!」と制止する。
そんなもので引っ込む羅ではない。
日本人作業員に拳が入ると、向こうもムキになって反撃する。
こうなったらもう取っ組み合いだ。
日本人だの台湾人だの原住民族だの関係ない、最後に倒れていれば負け、立っていれば勝利だ。
だがしかし、最後まで喧嘩はやらせてもらえなかった。
「そこ! 何をしている!!」
雷のような怒鳴り声に、羅も日本人作業員も手を止める。
「は、八田さん!!」
なんと、その場にいたのは、総指揮を取る日本人、八田與一だった。
作業員は足早に八田に駆け寄り、あれやこれやと言い訳をする。
八田は渋い顔で羅を見つめる。
「君は、水をくれた親切なお嬢さんの弟さんだったな」
「やってねえがな」
「羅君。確かに嘉南平原の灌漑は、日本の食料確保の目的もある。だが、台湾に住む君たちも、高値で売れる作物が作れるようになり、今よりも生活が楽になる」
口ではいくらでも良いことを言える。
実際は、どうだか。
羅は八田の説得に乗るつもりもなかった。とはいっても、これ以上喧嘩するのも興が乗らない。
「はいはい、分かりましたよ」
適当に流し、江を引き連れてとっとと仕事場所に向かう。
江はちらちらと物言いたげにこちらを見てくる。
「あ、あの、兄貴。案外、あの八田與一って男は、いい人なのかもしれま」
「そう言っていられるのも今のうちだ」
羅はきっぱりと言い放つ。
「近い内に、化けの皮が剥がれる」
まるでそうあってほしいとでも言わんばかりに、羅は断言した。