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 江は、仲間の作業員からある話を聞いた。


「もしかしたら、関東大震災の影響で俺等クビになるかもしれないらしいぞ」

「……へ? そ、そうなんですか? けど、どうして……」

「震災復興のために、工事の予算ががっつり削られるんだってさ。工事を中止にするわけにはいかない。資材費をケチれない。となれば、切られるのは人件費だ」


 作業員は肩を竦める。


「まあ、俺は仲間のつてをたどれば他に働き先があるが、お前はちょいと難しいかもしれないぜ。今のうちに就職活動しとけ」

「……」


 江は、言葉を返すことができなかった。


 江の胸に宿るのは、絶望の気持ち。


「……美琴さんに、伝えないと」

 

 最優先でクビを切られるのは、仕事ができない人間、つまり、江である。


 重い足取りで、美琴に会いに行く。


 だが、美琴はいなかった。


 置き手紙がポツリと置いてあった。


『清芳の容態が急変したと連絡が入りました。病院に向かっています』


 手紙を読むやいなや、江は真っ青な顔で病院に走る。


「兄貴、兄貴っ……!」


 仕事があまりにできず、兄弟や両親にさえも馬鹿にされる中、羅は一言二言慰めの言葉をかけて、江に寄り添ってくれた。


 羅自身も集落の皆から差別され、苦しい状況にあったにもかかわらず、江を弟分にしてくれて、気を使ってくれた。


 江が世を嫌い、過激な行動を起こさなかったのも、ひとえに羅のおかげだった。


「兄貴っ……!」

 

 羅のそばには、美琴。


 彼女は、羅を抱きしめて泣いていた。


 医者たちは、唇を噛み締めてうなだれている。


「……そん、な……」


 羅の表情は、


 ひどく、穏やかであった。


「……兄貴……。ごめんなさい……」


 羅の意志を継いで、ダム建設作業に全力を投じるつもりだった。


 それさえも、江には許されなかった。


「ごめんなさい……。ごめんなさい……」


 涙が頬をつたい、ポタポタと床を濡らす。


 苦しくて、悲しくて、でもどうしようもなくて。

 

 ……葬式には、八田が宿舎にやってきて、台湾式の弔意を示してくれた。


 葬式は死者の魂をなだめ、生者の気持ちを整理させるものという。


 八田のおかげで、きっと、羅は満足して天へと召されたに違いない。


 けれど、江の気持ちは、まとまらない。


 ただただ、懺悔の気持ちで押しつぶされてしまいそうであった。


 気持ちの整理が全くつかないまま、人員整理についての説明会が開かれた。


 処刑される前の罪人かのごとく、説明会会場へと足を踏み入れた。


 周りの人からあれやこれやと慰めの言葉をかけられるが、江は相槌をうつことしかできない。


 説明会が、はじまった。


 八田與一が沈鬱な表情で台に立つ。


 八田は関東大震災によって台湾総督府の年間予算の三分の一に相当する財政支援をすることとなったこと、それに伴い、人員整理をしなくてはならないことを説明する。


 そして八田は、こう発言した。


「そこで、君たちの中で優秀な者たちを厳選して、一時退職してもらうことになった」

「…………へ…………?」


 優秀なものを、退職させる?


 会場内も戸惑いのざわめきが広がる。


 八田が手を挙げると、皆が口を閉ざす。


「本来、クビを切るのなら仕事があまりできない者たちであろう。だが、仕事ができない人をクビにしては、日々の生活に困ってしまう。今回の人員整理は日本の都合によるものだ。君たちを露頭に迷わせたくない」


 八田は慎重に語る。


「辞めてもらう人には、賞与金を渡す。その上で、この現場よりも待遇が良い会社を紹介しよう。そしてもし出来るのならば、日本が復興を果たし、工事が前の規模に戻ったあと、戻ってきてほしい。……これは私の願望で、強制はしない」


 八田は不安そうに皆を見渡した。 


 そんな心配なんて、する必要はなかった。


 作業員の一人が立ち上がる。


「いいぜ! 修行だと思って、他の場所で奉公しにいこうじゃねえか!」


 同意するように、作業員たちは「おう!」と声をあげる。


「おいおい、お前はここに残る方じゃねえか?」

「おおっ! いったな!」


 先程までの緊張が一気にほぐれ、笑いに包まれた。


 八田も、ほっとした顔になる。


「後に個々の面談を行い、皆の意向を聞かせてもらう。よろしく頼む」


 八田が示した通り、優秀な人たちは待遇が保証されている会社へ、そうでもない人はダム建設作業に残ることとなった。


 江は、後者であった。


 江は八田に深々と頭を下げる。


「雇っていただいて、本当にありがとうございます。おかげで、兄貴の遺志を完遂できます」


 心地よい責任感が、江を包み込む。


 もしも、八田與一以外の人間が監督者だったら、絶対に江は外されていた。


 羅の遺志を叶える機会を与えてもらい、江は心の底から感謝していた。


 八田は微笑む。


「こちらこそ、ありがとう。……羅君のためにも、この事業は成功しなくてはならない」

「ええ!」


 江は、ぽん、と胸を叩く。


「不抜の信念で、やってみせます!」

「不抜の信念か」


 八田は笑う。


「私の一番好きな言葉だ」







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