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 どうか、どうか無事でいてください。


 江は懸命にトンネルへと走る。


「江君!」


 はっとして後ろを振り返ると、八田與一が馬に乗って走ってきた。


「八田さん! と、トンネルで、ば、爆発事故っ!」

「知っている! 下流部での爆発らしい!」

「か、下流部……」


 確か、羅は下流部の作業に入っていた。


 ならば、羅は……。


 江の顔色が真っ青になる。


「は、八田さん、馬に、馬に乗せてください! 兄貴がっ!」

「分かった、乗れ!」 


 八田の馬に乗せてもらい、下流部方向の入口に到着する。


 入口付近には、


 ……言及するのも避けたいほどに、最悪な状況だった。


 真っ黒に焦げた死体に、わずかだけ動く重体者。


 体の一部がただれ、苦痛の呻きを漏らす多くの人々。


 その中に、


 羅が、いた。


「兄貴……っ! 兄貴っ!」


 羅の服は全て燃え、皮膚がただれている。


 しかし幸いなことに意識はあるようで、江の呼びかけに応じる。


「……江、か……」

「兄貴! すぐに、すぐに手当をっ」

「……手当の前に、八田に、伝えてほしいことがある」

「八田さんなら、すぐそこにいます!」

「……いる、のか」


 羅は懸命に目をこらす。


 江が八田を呼び、すぐ近くに呼ぶも、羅は探す素振りを続ける。


 目が見えていないのだ。


 八田が声を掛けると、ようやく八田に視線を向ける。


「……八田。原因は、ガスだ。……ガスに、ランタンの火が、引火した。……以前から、ガスは出ていたが、バカどもは報告しなかったらしい……」

「……そうか……。……医者がすぐに来る。気を強く持て」

「はっ、そうだな。……こんなところで、……くたばるつもりはねえよ」


 羅は優しく微笑み、目を閉じた。


 すぐに大勢の医者がやってきて、怪我人の手当を行う。


 しかし、間に合わない人も多くおり、五十名もの死者が出てしまった。


 羅はまだわずかながら息をしているも、いつ容態が急変してもおかしくない状況であった。


 工事は中断され、八田は本国政府からかなり批判を受けてしまっている。


 元々、莫大な予算をあてられているが故に国民や官僚の関心も高い。


 大風呂敷な八田への個人的な反感もあわさり、相当いわれているようだ。


 普段の八田なら、多少の批判なら怒鳴り散らして弾き返す。


 だが、今回ばかりは、八田もいつもの銚子で反応できなかった。


 八田は怪我をした一人ひとりを見舞う。患者の家族もさることながら、八田も目がくぼみ、髪もボサボサで疲労がにじんでいた。


 羅のもとに訪れた八田も、ひどく落ち込んでいた。


 八田は美琴と江に頭を深く、深く下げる。


「今回の事故を引き起こしてしまい、大変申し訳有りませんでした」

 

 美琴は涙を拭い、精一杯微笑む。


「八田さんのせいではありませんよ。きっと、清芳もそう言うと思います」

「……そう言っていただけて、ありがたいです」


 八田は断りを入れて、羅の手を握る。


 羅は、反応しない。


 息こそしているものの、まるで死んでいるかのようである。


「……」


 八田は唇を噛みしめる。

 

 その胸中に、何を考えているのか。


 工事中止の噂を実現しようとしているのか。


「……八田さん」


 美琴は、頭を下げる。


「お願いします、工事は、中止しないでください」

「……ですが、私はこんな事故を起こしてしまいました」

「だからこそ、です」


 美琴は優しく羅の頭を撫でる。


「清芳たちがあんなに頑張っていたのは、嘉南平原を水であふれた場所にしたかったからです。それなのに、止めてしまったら、清芳も、死んでしまった人たちの頑張りもなかったことになります」


 江も、頭を下げる。


「お願いします。続けさせてください」

「……」


 八田はうつむく。


 かすかに、羅の手が動く。


 ぎゅっと、八田の手を握りしめた。


 まるで、羅も工事の再開を望んでいるかのような気がした。


「……実は、他の家族にも同じことをいわれたんだ。工事を続けてほしい、と」


 自分に言い聞かせるかのように、八田は言う。


「今すぐには、無理かもしれない。だが、再開してみせる。嘉南平原の灌漑を成功させてみせる」


 八田は、羅の手をぎゅっと握り返した。


「……絶対に」


 工事は、なんとか再開に持ち込めた。


 今まで以上に細心の注意を払い、危険な箇所の突破に成功した。


 しかし。


 嘉南平原の灌漑作業は、またもや危機に見舞われた。


 今度は嘉南平原での事故ではない。台湾内での問題でもなかった。


 九月一日。


 早朝に日本の関東で起きた大地震は、多くの建築物を破壊し、大勢の人が火の海にのまれた。


 関東大震災である。


 関東での大震災は、嘉南平原の計画さえも、根底から揺るがすこととなった。

 

 



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