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 ヨーロッパ人が台湾に足を踏み入れると、彼らは感嘆のため息をつき、台湾島を美麗島と称した。


 豊富な水産資源を堪能できる沿岸。


 島の中心部にはどっしりと構える玉山山脈の最高峰、玉山の標高3952メートルをふくむ中央山脈。


 美しき島に荒々しき神も魅入られたか、台湾は地震をはじめとした自然災害に数多く見舞われた。


 台湾南部、嘉南平原でも過酷な環境下におかれていた。

 

 太陽がカンカンに降り注ぐ中、二人の男が空の水桶を運んでいた。


 一人の男は、顎があがり、ふうふうと息をはいている。


「うう、兄貴。あとどれくらいで着きますかねえ。もう二時間は歩いたんじゃないですか」

 

 羅清芳は凛々しい太眉をピクリとも動かさず、悲しき現実をつきつける。


「まだ一時間しか歩いていない、村まで戻ると考えると、合計で三時間だな」


 これが羅の姉、美琴なら気の良い励ましの言葉をかける。 


 羅はその無骨な見た目に無愛想な態度、無意識に鋭くなる目つきが災いとなり、彼をよく知る集落の人間からも「弟の清芳がいると空気が重くなる」と苦言を呈される。


 ただ優しさが「無」なわけではなく、むしろ「有」に溢れている。


 言葉こそかけなかったものの、弟分、江英文にあわせて歩く速度をゆるめてあげている。


 江はあまりに疲れていたせいか、羅の思いやりには気づかない。


 えっちらおっちらと太い足を動かし、どうしようもない不条理に文句を言う。


「いつも思いますけど、水場まで四時間なんて、本当に遠いですねえ。朝ご飯食べて出発したのに、帰ってきたらもう昼ご飯ですよ。これが毎日のように続きますもんねえ」


 江はがっくりと肩を落とす。


「井戸さえちゃんと水が溜まっていればなあ……」

「仕方ないだろ。雨が振らなきゃ、井戸は干上がる。ここらじゃ常識だ」

「うー、いい塩梅で雨でも振ってくれたらいいんですけどねえ、そううまくいかないのが世の中ですねえ」


 江はちらりとある箇所を見つめる。


 よくよく見ると水が流れている。しかし非常に細く、まるで糸のようだ。これでは一日がかりでも水桶を満たせない。


 だが、一度雨が降れば、川は本来の姿を取り戻し、近くの家や田畑を蹂躙する。


 九州よりも小さな島台湾は、北と南西部で気候が全く異なる。


 北部は亜熱帯気候だが、南西は熱帯モンスーン気候である。10月から翌年3月まで干天、5月から9月まで、猛烈な降雨、雷雨や暴風をともなう。


 双方ともに雨季はあれど、北部は平地が少ないために一直線に流れて太平洋にそそぐ。

 

 対して、山脈の分水嶺から南西部に流れる雨水は、平野を蹂躙し、田畑を荒らしまくる

のだ。


 しかも、降雨の時季と雨量は年によって変動が著しいおまけつきである。


 今日のように、雨もふらず、かんかんでりのなか水を求めなくてはならない日もある。


 おかげで、農耕さえも大変だ。


 乾燥しているときは、土はかたまって、クワも入らない。


 江が力いっぱいクワを振り下ろすも、土の硬さに負けてぐるりと一回転した光景は、集落でも語り草になっている。


 一方で、雨がふれば、せっかく丹精込めてつくった作物が水に流され、土砂で荒らされる。


 江は唇を尖らせ、ぶうぶう文句をいう。


「こういう場所を、看天田って言うらしいですよ。豊作も不作も天の采配次第、人為ではどうしようもないんですって」

 

 そうか、とだけ告げて、歩を進める。


 少々暗い空気になってしまった。別に羅は気にしていないが、江は自分に責任があると思ったらしく、空気を変えようと奮闘する。


「ですけど、西欧人は台湾を美麗島って呼んだらしいですよ。素敵な名前ですよねえ!」「美しい島、ねえ」


 江は家業の農業の才能はないが、とても頭がよい。

 

 どうにか手に入れた本を丹念に読み、働く上では不必要な知識を疲労する。


 羅は彼のそういうところを好ましいと思っていた。


 けれど、「西欧人」という単語が羅の神経を刺激してしまった。


「美しいがゆえに、色んな国に台湾は乗っ取られているんだろう?」


 一昔前はオランダ。


 次は清、


 1894年日清戦争で日本が勝利すると、翌年の下関講和条約で清は台湾を日本に割譲された。


 無論、台湾人の意思など関係ない。


 台湾人は必死に抵抗をした。宗主国の清が見捨てたとしても、彼らは力を合わせて東夷たる日本を排除しようと決起した。


 だが、日本は西欧から導入した最新技術で、彼らを蹂躙した。


 そう、羅の両親さえも……。


「日本人め、このままでいられるとおもうなよ」


 羅の胸中に宿る思い。


 今はなき両親にかわり、ふんぞりかえる日本人に制裁を下す。


 そのときに確実に羅は死ぬ。


 けれど、それでいいと思っていた。


 どうせいつかはなくなる命。


 散らすならば、両親の遺志を叶えてやりたい。


 それが、両親の顔を覚えていない、彼なりの親孝行だった。


「……そ、そうですか……」


 江は兄貴のことが大好きだった。


 日本人は別に好きではないが、兄貴分の命を払ってでもどうにかしてやりたいとは思ってもいない。


 けれど、彼の生い立ちは江も理解していた。


 だからこそ、彼は兄貴分の決意に何も言えず、無言で足を動かした。


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