8.拍子抜けの真相
玲佳様と南山田の婚約内定の報を聞いた二日後。
僕は胡与久邸の庭にいた。
「……あれ?真理佳、居たの?」
「人の邸に来ておいて『居たの?』とはご挨拶ですわね。まったく玲佳姉さまの婚約にショックを受けたのは分かりますがもう少しシャキッとなさいませ」
「いや、そんなこと言ったってさあ……今回のこと、いったい何がどうなってるやら……」
「まあ、完介兄さまからしたらそうでしょうね。私の知る範囲で説明しますわ。まずは婚約内定になった三日前のお話からしましょう」
◇◆◇
――三日前、胡与久邸別館にて――
普段剛毅な人柄で知られる胡与久巌はそのとき珍しく内心煩悶していた。
目の前に正座する青年、南山田衛海より
「本日はお嬢様の玲佳さんとの結婚の許可をいただきたく参りました。胡与久様どうぞよろしくお願い申し上げます」
と頭を下げられて返す言葉に詰まってしまっていたのだ。
もちろん今日この場がそういう場であることは心得ている。
目の前の青年が娘にふさわしい人物であることも分かっている。
だが子煩悩の巌としてはどうしても抵抗したくなってしまうのだ。
「あ~、用向きはわかったが……何と言うか、その~もう少し前に」
「旦那様、よろしいでしょうか」
「む、菊佳か。何かな」
「私は玲佳の相手に関して『お前に任せる』と旦那様に一任していただきました」
「あー、うん、そうだな」
「ですので、数多の家や男性からの玲佳への交際の申し込みについて、人物の選定、各実家との対応などは全て私の方で取り仕切らせていただきました」
「う、うむ、苦労をかけたな」
「とんでもございません。私は旦那様から任された喜びでいっぱいでした。なので、半年ほど前に玲佳との交際を申し出てこられた南山田様にも、旦那様を煩わせることが無いよう、私の許可が出るまでこの件について固く口止めさせていただきました」
「……」
そう言われては突然すぎると文句も言えない。
そもそも本当は可愛さの余り、娘の婚約を早く決めたくなくて『お前に任せる』と逃げていただけだったのだが、今更そんなことを言えるはずがない。
勿論菊佳はそんな巌の内心を分かったうえで言っている。
「あー、うむ、お前の気遣いはよくわかった。しかしだな」
「旦那様」
なおも抵抗しようとする巌に菊佳が微笑みかける。
「20年前の旦那様はやっかみもあり華族界からは能力があるとは扱われていない若者でした……その旦那様を選んだ私の眼力、信じてはいただけませんか」
巌はポカンと目と口を開けた後、
「いやーもちろんお前の眼力を信じてるぞ菊佳。や、南山田君、君とは以前から事業や派閥の付き合いもあったが、これからは息子としてよろしく頼むぞ。早速今日は夕食をともにしていきたまえ。あ、そうだ親族や取引先に一報入れとかねばな、それから新聞社も――」
一転して上機嫌になりしゃべり続けたのだった。
◇◆◇
「まあ、お父さまの内心に関しては私の想像ですけどね。概ね外していないと思いますわよ」
「胡与久様あああっ!もう少し粘ってくださいよおおおっ!」
「少しくらい粘ったところで結果は変わりませんでしょう」
「それにしても半年前から交際していて菊佳様も承知してたなんて……」
絶叫した後僕はガックリとうなだれて言った。
「じゃああの密会って……」
「密会なんて無かったそうです」
「はあ?だって現に」
「庭で会ったのも百貨店などで会ったのも事前にお母さまも承知済みです。庭で会うときはお母さまは館の窓から見てましたし主要な使用人には話を通していたとのことです。数分でも二人きりで話をさせてあげようということですね」
「なんてこった……あれ?じゃあなんでわざわざあんな暗号文を作ったの?」
「玲佳姉さまが言うには『二人だけの秘密の通信ごっこ』という気分でつくってみたようです。『完介君に探偵小説を紹介してもらったおかげで楽しみが増えたわ』とも」
「僕が原因だったの!?」
なんか僕がこの姉妹に探偵小説を勧めたことが色々と裏目に出ているような。
「でも、それじゃああんなふうに抱き合ったりしたのはまずかったんじゃないの?菊佳様に怒られなかったの?」
「何を言ってますの。それも完介兄さまが原因ですわよ」
「はあ?」
「その時は満月が逆光になって二人の顔もよく見えなかったのですよね」
「ああ、そうだけど?」
「あのですね、完介兄さまから見て逆光ということは二人から見れば完介兄さまは満月の光に照らされているんです。
あんな低木の陰にしゃがみこんだところで隠れきれるわけがないでしょう。
あのときは制帽の校章の反射に気付いた玲佳姉さまが慌てふためいて躓きかけたのを南山田様が抱き留めて宥めたそうです」
「そういうことだったの!?」
「2回目の夜も月の位置は違いましたが同じ所に潜んでいたのでお姉さまたちは気づいていたそうです。
あ、お母さまからもよく見えていたので2回とも杉丸家に連絡を入れておいたそうですわ」
「だから兄様が待ち構えていたのか!」
結構バレずに帰れるのに運が悪いと思ってたらそういうことだったのか。
「あー、最後に一応聞いておきたいんだけど、あの駆け落ちを示唆するような暗号文って」
「婚約を申し込む日は決まってましたからね。その後南山田様が実家にその結果を報告するため横浜に向かって発つ際に婚約者として見送りに来てほしいという意味の暗号だったようですわね」
「予想はしてたけどそういうことか」
「ちなみにその前に一昨日の婚約申込の日時と場所が示された手紙も届いてましたけどね」
「えっ!?じゃあなんでそれを……あ」
「ええ、持ってくるのは最新の手紙の説明メモだけでいいと言ったのは完介兄さまですけど?」
徹頭徹尾の自業自得だった。
「はあ、なんか真相が分かってみれば拍子抜けというか僕が1人で空回りしてたというか。本当に馬鹿みたいだ」
玲佳様と南山田。想い合う二人を引き裂こうとした罰が当たったのかな……
「まあ、おかげで概ねのところは判ったよ……しかしさすが大恋愛を成就させた胡与久様と菊佳様だね」
「なんのことです?」
「落ちぶれたとはいえ一応派閥内での重鎮ということになってる杉丸家の僕と玲佳様を婚約させなかったことを問題視して付け込もうとする華族も出てくるだろうってことさ。第一うちの親や兄が何て言いだすか」
「はあ?馬鹿なことを言ってますわね。うちの両親がそんな隙をつくるはずがないでしょう」
「は?真理佳こそ何を言って……」
あれ?なにかこの先を聞いてはいけないような気がする。
◇◆◇
――三日前、胡与久邸別館にてその後――
「旦那様、それで完介君のことですけど」
「ああ。玲佳と、とも考えていたがこうなると」
「真理佳と、ということになりますわね。真理佳はそれで良いのですよね」
「はい、完介兄さまをお慕い申し上げております」
「もちろん玲佳の方が落ち着いてからということになりますが。玲佳の婚約内定の報告の際、杉丸様にはその旨お伝えしておいたほうがよろしいかと」
「いや、しかし真理佳はまだ子どもだし……」
「旦那様。玲佳のように成長して引く手あまたになってからではお断りするのにも気を使います。早めに決めて周知した方が余計な軋轢を生まずにすむかと」
「ふむ、一理あるな。ではそれで進めるか」
◇◆◇
「玲佳様が婚約しちゃったから真理佳でって何でそうなるの!?胡与久様、真理佳が引く手あまたになったりしませんって!どんだけ親馬鹿なんですか!あと菊佳様は絶対それ分かって言ってますよね!」
よく考えてみれば玲佳様の婚約内定の話をもってきた父上が上機嫌だった時点で気付くべきだった!
あれだけ胡与久家との縁を深めたがっていたのに。
父上にしてみれば姉でも妹でもどっちでも良かったのだ。
「とにかくそんなの認められないよ!」
「あら、『華族同士の家の付き合いは簡単に切れるもんじゃない』のでしょう?」
「ぐ……」
過去の自分を本当にぶん殴りたい!
「そういうわけで末永くよろしくお願いいたしますわね。ミツー、完介兄さまがお帰りだからお茶をお下げしてー」
「勝手に話を終わらせるなあああっ!」