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僕たちとの出会いから現在にいたるまで親友がどう歩んできたを知り、僕は言葉を失った。名状しがたい思いを抱き黙っていることしかできなかった。なぜ親友は自分の家族に人を会わせたがらなかったのか。そして、自分を下げるようなマネをしでかしたのか。親友は何も悪いことをしているわけではなかった。
ただ、親友は僕の力になろうとしてくれていた。中学から落ちぶれていった僕に寄り添おうとしてくれていた。それだけの話だった。だからこそ、親友は僕の両親が事故で亡くなったときからずっと、『自分が僕の両親を殺してしまった』といういわれない罪の代償を払っていた。確かに、親友の行為は僕の両親の事故を引き起こしたきっかけの一つとなっていた。だけどそれは、たまたま親友がその場に居合わせてしまっただけの話で、その主語が僕であっても到底おかしくなかった。
それでも親友はずっと過去に囚われまま、自らの命を僕に預けたようなものだった。親友を親友たらしめる要素が彼を自由にさせることを否定した。
親友はただ一人で、僕よりもずっと深い底に潜っていた。
「姉さんも、いままで黙っててごめんな」
親友の姉も黙って彼の言葉を聞いていた。「私の方こそ」条件反射のように謝ろうとして、女性は首を左右に振った。「お母さんのこと、聞けてよかった」女性はそう言うと親友の手を両手で包み込むように大事に握った。大事な肉親がこれ以上悲しまないように。そんな願いが込められている気がした。
僕は何かを言おうとして、だけど、何を言っていいかがわからなくなっていた。慰めの言葉も、励ましの言葉も、親友の気休めにもならないことがわかっていた。僕にできることといえば、僕のために苦しんでいる親友をどうやって救うことができるのだろうかと考えることだけだった。
すべての因果が僕起点となっているのならば、親友の悪循環を断ち切るためにできることは限られていた。それはつまり、いずれくるであろう僕たち三人との別れでもあった。
「本当は話したくなかったんだ。これを言っちまったら、ユキトがどうするかわかってるから」
「そんなこと」
僕はかぶりを振って親友の言葉を否定しようとしていたけど、僕の頭の中にはもう、その選択肢が浮かんでしまっていた。
「だって俺は、死ぬほどお前に憧れてきたんだからな」
親友のまっすぐな視線が僕を貫いた。僕の一挙手一投足を見逃さないようにしている鋭い眼光は一点の曇りもなかった。それはあまりにも綺麗で、僕が親友に向けていた濁りが浄化されていった。そしてそれは、かつて僕から欠落してしまった姿を形作らせた。
「僕だって、君に憧れてたよ」
喉からするりと出てきた言葉は本心だった。自分でもびっくりするくらい何の抵抗も受けなかった。
親友は出会ったときと変わらないヘンテコな笑顔を浮かべると、
「そろそろホテルに戻ろうか。姉さんはどうする?」
と、言った。
「私は友達が待ってくれてるから、そっちに合流する」
親友の姉は立ち上がると羽織っていたパーカーをパタパタと払った。
「気をつけてな」
「あんまり無茶しちゃだめだからね。連絡くれれば相談乗るから」
親友の姉は親友と軽く抱擁を交わすと、「弟をよろしくね」僕の背中をポンポンと叩いた。
親友の姉の姿が見えなくなるまで二人で見送った。
「素敵なお姉さんじゃん」
「大事なところでポカするのはどうだかな」
「でも、そのおかげで君のことがよくわかったし、それに」
「それに?」
「お姉さんがこの場にいなかったらって考えてた」
多分だけど、お姉さんがいなかったら親友はこの先もずっと僕のために自分を殺し続けていたと思う。たとえそれが、本当に自分を殺すことになっても。
「巻き込む人が多いのも考え物だな」
「僕だったら三人で完結させたかもね」
親友はフッと鼻で笑うと、
「みんなにも謝っとかないとな」
と、言った。
「僕も一緒にやるよ」
「いや、こればっかりは一人でやらせて欲しい」
「そっか」
レジャーシートを丸めリュックの中に詰め込んでいる親友の背中に向け、
「念のため言っとくけど、おかげさまで、僕はもう吹っ切れてるからね」
と、僕は言った。
「それならよかった」
ぎこちなくはにかむ親友の姿は、昔から変わらないままの素直さと不器用さでかたどられていた。あまりにも真っ直ぐすぎて、僕には親友のことが真昼の太陽よりまぶしく感じた。
「待たせたな」
親友は手荷物を淀みなくバックにしまい終え僕と相対した。「行こっか」僕たちはホテルへの道のりを並んで辿った。海水浴客の楽しそうな声が僕たちの軌跡を上書きしていった。
チェックインの時間を過ぎていたエントランスにはピリッとした空気が漂っていた。それはホテルに生来備わっていた荘厳さが、人から発せられる雑音の減少によって生み出されていた。
エントランスに備え付けられていた豪奢な椅子はほとんど空の状態で、おばさんとホテルの支配人らしき姿も見受けられなかった。場内にうっすらと流れていたオリエンタル系のBGMが、その存在感を空間に刻み込むように鳴り響いている。
僕はその音の元がどこから出ているのか気になってエントランスを見渡していたら、入り口近くに置かれていた椅子に佳奈が座っていることに気づいた。佳奈の方は、僕たちがホテルに戻ってきたことに気づくと、カードキーを持っていた方の手で僕たちに手を振り始めた。
「お帰り」
「ただいま」
僕たちが佳奈の座っていた椅子の場所までやってくると、佳奈は立ち上がって僕たちの前に立った。そして、目の前に一枚のカードキーを差し出した。親友がそれを受け取るやいなや、「ごめん」深々と頭を下げた。
「話はできたの?」
「全部、ユキトに話した」
佳奈は親友を見ると、「話せたんだ」消え入るような小さい声で呟いた。
「わたしも、ユキトに伝えたいことがあるからさ」
佳奈の言葉を受けた親友は頭を上げ、「先、部屋に行ってる」と言い残し、エレベーターの方へと姿を消した。
僕と佳奈、エントランスの待合にいたのは僕たちだけとなった。
「立ったままだとアレだし、座ろっか」
「うん」
僕は佳奈の対面に座った。
「さっきはどんな話を聞いたの?」
「僕たちが出会ったときから、どうやって過ごしてきたのかってこと」
「そう」
佳奈は床に目を伏せ口を開けたり開いたりして言葉を選んでいる様子だった。
「正直さ、アイツに感謝してるんだ」
沈黙の妖精は、佳奈の言葉によって立ち去った。
「こうやって、ユキトと一緒にいられるようにしてくれたこと」
「こんなことしなくても僕たちは」
「ううん、そういう意味じゃなくて」
佳奈は僕の言葉に覆い被さるようにして言った。
「わたしは三人じゃなくて二人でいたかった。ただ、それだけ。アイツと付き合い始めたっていう作り話も、全部、そのため。こうすれば、ユキトはわたしのそばにいてくれるってわかってたから。アイツの真面目さと、ユキトの優しさに甘えてたんだ」
半ば自嘲気味に佳奈は笑っていたけど、その瞳には迷いがなかった。
「どう、幻滅した?」
僕は佳奈の問いかけに頭を振った。
「僕は昔から、そういうところを含めて佳奈のことが好きなんだ。でも、それと同じくらい、アイツのこともね」
佳奈はふふっと笑うと、
「ユキトらしいね」
と、言った。
「だから今度は、アイツのために協力して欲しい」
佳奈の前に手を差し出すと、それを佳奈は握り返した。それは僕たちが本当の意味で対等に関わるための始めの一歩となった。
十年後。
僕たちは一年ぶりに電車に乗り込んだ。車内は冷房がよく効いていて、額にまとわりついていた汗が一気に引っ込む。
僕は海が見えてくる方の空席を見つけると連れの二人を座らせた。二人は相変わらずいつものように楽しそうな会話で盛り上がっていた。僕はつり革につかまり、外の景色を眺めた。市井の賑やかさもまた、何年も変わらずそこには存在していた。
下校時刻ということもあってか、電車の中の大半は学生たちで賑わっていた。携帯ゲームをしていたり、おしゃべりをしていたり、そんな光景を目にするにつれ、僕もかつて同じような時間を過ごしてきたことを思い出した。
ありきたりなようで、でもそれは、僕が僕として生きていく上で大事な経験だったと思う。一つとして無駄だったことなんてなくて、だけど、その時はそんなことすら気づけないでいた。でもそれに気づけたのもきっと、周りの人たちとの縁のおかげだった。
過去は二度と取り戻すことはできない。だからこそ、いまこの瞬間を最大限大事に生きてきた。ただ、目の前のやるべきことに必死になってあがいてみた。ここまで来るのに大分時間が必要だったけど、過ぎ去ってみたら、あっという間の出来事だった。
がたんごとんと、電車が揺れる。僕は長旅に備えて少しばかり目をつぶることにした。
・・・・・・・
日が沈みかけていたころ、二人はゆっくりと立ち上がった。目的地に到着したアナウンスに合わせて、折れ曲がっていた背中を正す。
電車から降りると潮風が頬を撫でた。改札に繋がるコンクリート階段を上る。一段、一段、踏み外さないように足元の動きに細心の注意を払う。階段を登り終えると、海岸出口と書かれた改札へと流れる人の波に乗った。
改札出口は人混みで熱気がこもっていた。ツアーの団体客だとか、出迎えの人だとか。
僕たちは人混みをかき分けると駅を出た。
夏の湿った日差しが僕たちを出迎えた。思わず目を細める。
二人は、左右を確認して車が来ないかどうかを確認すると、ロータリーを抜け、海沿いのレンガ通りを歩き始めた。僕もそれに続く。
途中、アイスコーヒーと水、仏花、線香とライターをスーパーで購入し、一口一口、ゆっくりとコーヒーを飲みながら高台の方へと繋がる坂道を登っていった。
振り返れば一面の海、そんな場所に、「忍足家之墓」と掘られた漆黒の墓石があった。
今年も新しい仏花が供えられていた。佳奈は持参した仏花の枝をはさみで切りそろえると、色味を合わせながら供えた。その間、僕は仏花を包んでいた新聞紙をくしゃっと丸めて火を付けると、その上に線香をひと束かざした。じわじわと線香に火が付いて、先端が灰に変わった。
僕は線香の束を人数分にわけると、アイナが先に香炉に線香をあげた。パチンと手を合わせる音が辺り一面に響く。肩で切り揃えられていた黒髪は風になびき、ラベンダーと線香の香りが鼻腔をくすぐった。僕も同じように線香を上げ、手を合わせる。何かを願って拝むというわけではなく、ただ、真摯な態度で御仏にまみえるように。その隣で、佳奈も一緒に拝んでいた。
手をゆっくりと離し、翻る。
振り返った先で待っていた彼女の姿は、初めて見たときと変わらない無邪気な表情をしていた。
 




