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「ずいぶんと仲がよろしいようで」
佳奈は腕組みをしながら白い壁に寄りかかっていた。グラスのふちを片手で持って左右にぷらぷらと揺らして、僕の顔をアイナよろしくジトッとした目で見てきた。
ユッコちゃんとの会話終わりにやってきたので、物陰から僕たちの様子を窺っていたのかもしれない。
「変な気なんか使わないで、飲み物入れに来ればよかったのに」
極力憎まれ口になりすぎないような声色に努めると、烏龍茶を注ぎ終えてから僕は佳奈と相対した。
佳奈はグラスにちょっとだけ残っていたコーラを口につけると、
「流石に、あんな気まずそうな空気に入っていく度胸はないって」
と、言った。
「珍しく空気が読めるじゃん」
「なにおぅ」
「冗談だよ、冗談」
佳奈は、ホルモン投与された牡牛がピカドールにとげ付きの槍でお尻を刺されたときのようなどうもうさで近づいて来たので、僕は彼女をどぅどぅとなだめた。ちょうどそのタイミングで、アイナが僕たちの横を通った。そして、僕たちの方をチラッと見てニコッと笑いながらお手洗いへと消えた。どうしてこう、いつもいつもタイミングが悪いのだろうか。
僕は小さく咳払いを挟むと、
「ここだけの話、アイナしか勝たん同盟の秘密の会合中だったのです」
と、佳奈に耳打ちした。アイナにこの内容を聞かれでもしたら、「それってファンクラブみたいなものだよね? じゃあ年会費を納めてくれないと」なんて治外法権レベルの請求が飛んできて、速攻でアイナしか勝たん同盟解散を余儀なくされるからだ。
「アイナしか勝たん同盟って?」
佳奈も僕に釣られて小さな声になった。
「文字通り、アイナを愛でるための集まりです」
佳奈の耳がピクッと動いた。
「わたしも入れてよ。アイナちゃん愛だったら誰にも負ける気がしないし」
「僕たちは同志を喜んで歓迎いたします」
「やったぁあ」
佳奈は僕から離れると、「あ、そうだ」何かを思い出したかのようにブレザーのポケットに手を突っ込んだ。そして、細長い長方形の上質な紙切れを三枚取り出して扇状に広げ、
「それじゃあ、みんなの友好の証に」
と、佳奈は言った。
僕は首を横にひねって豪奢なフォントで書かれた文字をよく読んでみると、その正体は海を見渡せる温泉リゾートホテルのペア宿泊ギフト券だった。そこは確か、宿泊するのに半年以上前からの予約が必須であることや一泊あたり十万は下らないという情報をSNSで見たことがあったので、チケットがこの場に、しかも三枚分もあることは奇跡的なことだと言える。
「どこでそれを手に入れたの?」
「お母さんが仕事先のつながりで譲ってもらえたんだって」
チケットを片手にあおぎながら、ブルーライトカットメガネの丁番をクイッと持ち上げているおばさんの姿が容易に想像できた。小説家として名だたる賞を総なめにしていたおばさんが、授賞式で見せてくれたものと同じクセだ。
「すごいじゃん」
「でしょ。我が家の自慢のお母さんなんだから」
佳奈の誇らしげな表情を見ていると、母親のありがたみが身に沁みるほどに伝わってきた。母と過ごした日々の記憶はほとんど残っていなかったけど、日焼けのない真っ白な腕から伸びた手の暖かさはいまだに覚えていた。それがどれだけ僕の心の拠り所になってくれていたことか。
「それで、せっかくだからユキトたちを誘ったらどうかって私にチケットをくれたんだよね。もし行くならお母さんが保護者として連れてってくれるみたい。だから、よかったら……じゃなくて」
佳奈は一旦区切ると、
「私はユキトと行きたい」
と、言った。
それは彼女からのハジメテノ誘いだった。みんなで行こうと誘ってくれることは多々あったけど、僕の名前を挙げてどこかへ行きたいと佳奈が言ったことは過去の一度もなかった。
僕の心は強く惹かれた。もちろん、断る理由はなかった。
それに加えて、タダで行けることは魅力的だった。ただ、「無料で手に入るもの」がこの世の中には存在しないことも僕は理解していた。無料に見えたとしても人や社会全体としてはどこかにしわ寄せがくるという理屈で、つまりは、誰かがその無料のつけ分の責任を負わなければならないということだ。
僕がそんな重い責務に該当しませんように、なんて楽観的な感じで、
「もちろん行くよ」
と、言った。
部屋に戻ると、親友がユッコちゃんからステップバイステップで振り付けを教わっていた。親友は運動神経がずば抜けて優れているので、一回マネしただけでほとんどの動きが出来ていた。遅れてアイナもやって来ると、佳奈は先ほど僕に見せてくれたチケットをみんなに見せて、「みんなで行こう!」と意気揚々と宣言した。
部屋にいたみんなも都合がよかったようで、僕たちは海を見渡せる温泉リゾートホテルに行くことになった。
 




