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「こんにちは、おばさん」

「あら、ユキト君。いらっしゃい」


 艶やかな黒髪をなびかせて僕を出迎えてくれたのは佳奈の母親だった。おばさんと呼ぶには佳奈の母親はあまりにも若い見た目をしているけど、年齢的にはおばさんだからという佳奈の母親の理由づけでおばさん呼称になっている。


 おばさんはパソコンで仕事中だったのか薄灰色カラーが入ったメガネをかけていた。これは確か、おばさんの誕生日に佳奈がプレゼントしたブルーライトカットの伊達だったと思う。


「佳奈さんが熱を出したって聞いたので、よかったら」

「あらあら、こんなにたくさん。ありがとね」


 風邪を移した張本人かもしれない僕は気まずさから佳奈の好物であるプリンやゼリー、ヨーグルトなど消化にいいものを学校帰りに手当たり次第購入していた。おばさんは大きめサイズのレジ袋を受け取ると、「佳奈ちゃんに持っていってくれないかしら。熱もちょっと下がってきたみたいだから少しは食べられると思うの」と、袋の中からヨーグルトとスプーンを一つずつ取って、僕に手渡した。


「わかりました」

「よろしくね。ささ、上がって上がって」


 おばさんはメガネの丁番を右手でクイッとすると、「ほんとうに助かったわ。大事にいただくわね」と、佳奈の面影を色濃く残す微笑みを浮かべ、リビングへと続く扉を開けてレジ袋の中身を冷蔵庫にしまい始めた。


 僕は上り框を音が出ないように踏んで渡り廊下を抜けると、螺旋階段を上がって二階の突き当たりにある部屋の前に立った。


「佳奈、入ってもいい?」


 部屋からは返事が聞こえてこなかった。コンコンコンとノックをしても無反応だったけれど、ドアノブをひねるとガチャっと音を立てて扉が開いた。


「入るよー」部屋に足を踏み入れると佳奈はベッドで眠っていた。薄いレースカーテンから差し込んでいた陽光が佳奈を優しく包み込んでいる。


 僕がベッドに近づくと佳奈がゆっくりと目を開けた。


「あ、ユキト。来てくれたんだ」


 佳奈はナイトテーブルに置いてあったマスクを掛けるとゴホッゴホッと咳き込んだ。まだ熱が引いていないのか佳奈の瞳はうるんでいる。「お水飲む?」佳奈が小さく頷いたので僕はマスクの隣に置いてあった猫柄のマグカップにペットボトルの水を注ぎ佳奈に手渡した。「ありがと」よっぽど喉が渇いていたのか佳奈はベッドのヘッドボードにもたれるとマスクをサッと顎下にずらしてゴクゴクと水を飲み始めた。


 佳奈はマスクの位置を戻し、


「ごめんね。きょうは迎えに行けなくて」


 と、言って、ナイトテーブルにマグカップを置くと息苦しそうに咳き込んだ。


「むしろ謝りたいのは僕というか、風邪を移しちゃったというか」

「そんなの気にしないでよ」


 佳奈はベッドに横になると毛布から顔だけ出して僕を見つめた。


「風邪をひいたからこうやってユキトが部屋に来てくれたんだし、むしろ移してくれてありがとって感じ」


 マスク越しの佳奈はきっと、おばさんゆずりの可愛らしい笑顔を浮かべてくれている気がする。ただ、僕のお見舞いに来てくれたことは嬉しかったけど、自分の体調を犠牲にしてまで無理してほしくはなかった。


「あんまり無茶しないでよ。おばさんだって心配しちゃうんだから」

「ユキトも?」

「あたりまえじゃん。アイナと、それに、アイツだってお大事にって言ってたし」

「そっか、そうだよね」


 佳奈は布団を顔まで被ると静かに鼻をすすった。


 佳奈は泣いていた。でも、布団越しに泣いていた。佳奈と僕を隔てるその一枚は、限りなく薄く、どうしようもなく遠かった。


「ほんっとうにバカ。どうしようもないくらい大バカだ」


 布団の中でくぐもったその言葉が白を基調とした色合いの部屋に溶けていく。年を重ねるごとに佳奈の部屋に足を運ぶ機会が自然となくなっていったけど、久しぶりに来た佳奈の部屋は昔と変わらず僕の大好きな甘い香りで満ちていた。


 真っ白な花瓶に生けられた薔薇や、真っ白な街並みが映った絵画、真っ白な机に、真っ白なふちの鏡。佳奈の大好きな色でまとめられた真っ白な部屋に、佳奈の孤独なすすり泣きが響く。それは誰にも聞かれないように内に留めようとしているみたいに。


「これ、置いてくね。あとプリンとかも買ってきたから」


 ナイトテーブルにヨーグルトとスプーンを置くと、


「きょうは帰るね」


 と、僕は言った。


 佳奈は布団の中でずっと泣いていた。

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