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佳奈が親友の家に通っている理由については理解できる。どんなことがあろうとも二人は付き合っている関係なのだから。
でも、アイナは別だ。アイナが親友についていいイメージを持っていないことは会話の端々からなんとなくだけど察していたし、それに、親友と佳奈が付き合い始めたことを知っているはずなのに、佳奈と僕との距離感が近くなってもそれほど気にもしていなかった。むしろ、佳奈と僕が付き合い始めるよう仕向けているような気がする。
加えて、一番気掛かりだったのは、わざわざ僕に嘘をついてまでアイナが親友の家に行っていたかもしれないということだ。
アイナは嫌いなものはとことん嫌うタイプ、つまりは、その対象であろう親友の家に行くような性格じゃない。それに、アイナは僕のことは少なくとも大事にしてくれている、と思いたいけど、そんな僕に嘘をついていたという可能性が生まれている。
親友の家で何をやっているのだろうか、そう思うと僕の胸の内に不穏な影が走った。
直接アイナに聞いたところで物的証拠でもない限りはうまく話を逸らすだろうし、そもそも僕は探偵でもなければ、可愛い妹を疑いの目にかけたいと思えなかった。
『いまはまだ話せない。けどいつか、絶対、話すから』
この前佳奈が僕に言った言葉が頭に浮かんだ。少なくともそれはアイナのこととも関係しているような気がした。
「いつかって、いつなんだよ」屋上へと続く階段を登りながら徐々に気が滅入ってきた。それでも、空腹が僕を励ましているかのようでお腹の虫はひっきりなしに鳴いていた。
屋上の扉を開けると教室ほどではないけどたくさんの生徒たちが適度な距離を保ってあっちこっちでご飯を食べていた。いつものベンチにしてもぱっと見誰かがすでに座っていたので諦めて教室でお弁当を食べようとしたけど、
「ユキトっ」
と、いつものベンチに座っていた生徒がテーピングを大量に巻いた腕を大きく振りながら僕に話しかけてきた。部活で忙しそうな親友が屋上にいるとは思っていなかったのでドキリとする。
変な不安を悟られないように即座に深呼吸を挟むと僕も腕を振ってベンチの付近まで歩いた。
僕がベンチ前までやってくると親友は大きな二段弁当を膝の上に広げ始めた。僕が屋上に来るまで待ってくれていたようだ。
「きょうはこっちで食べるんだ」
スペースを開けて座ると、
「佳奈が休みって聞いたからな。急に一人にすんのもあれだろ」
と、親友は言った。
「ごめん」
「なんで謝ってるんだ?」
親友が手を合わせて小さく「いただきます」と言うと、お弁当の蓋を開けた。二段ともご飯のぎっしりつまった日の丸弁当になっており、親友は勢いよく白ごはんを口の中に頬張った。
「昨日、なんだけどさ。佳奈が看病してくれたんだ。そのときに風邪が移ったのかもしれないから」
親友は「あー、そっちか」と、口の中をモグモグさせながら呟き、
「風邪が移るリスクを考えられないほど佳奈は頭悪くないってこと、ユキトが一番知ってるだろ? 俺より佳奈と付き合い長いんだしな」
「それはそうだけど」
親友はやけにとげのある言葉を使うと、梅干しをちょっとかじっては白ごはんをパクパクと口に運んでいた。合間合間でスポーツドリンクでご飯を流し込んでいる。
「それに、俺だってユキトの家に行きたかったんだが佳奈がどうしても一人でって言ってな」
「そうだったんだ」
「それくらいユキトのことを大事に思ってるってことだろ」
「それでいいの?」
僕は思わず尋ねていた。不貞の僕がこんなことを言うのもなんだけど、仮に僕が親友の立場に置かれていたとして幼馴染だとはいえ男の家に彼女があがりこむというのはいくら自由にやってたとしても感じるところがあるからだ。幼馴染に全幅の信頼を寄せていたとしても実際は気が気じゃなくなるかもしれない。幼馴染が絶対に自分から離れないという相当な自信を持っているか、気持ちがすでに離れていない限りは。
「それでいいもなにも、佳奈と一緒にいればいるほどイヤってほどわかるんだよ」
親友は箸を弁当の上に添えると中空を見つめた。
「やっぱり俺じゃ、ダメなんだってな」
親友は最初から分かりきっていたかのように簡単に言い切ると、あいかわらず白ご飯を口に運んだ。親友の顔にはどこか影がさしていた。
「佳奈とは、その、上手くいってるの?」
我ながら馬鹿馬鹿しい質問をしていたと思う。でもそれを聞かずにはいられなかった。
「どうなんだろうな、俺にもよくわかんなくなってきた」
親友は一段目の人丸弁当を食べ終えると二段目に詰まっていた白ごはんを口にした。
「理由なんて一つしかないじゃないか」
親友だって馬鹿じゃないから佳奈との間に生まれているであろう気まずさ原因——噴水広場、そして、遊園地で出会した女性との関係が諸悪の根源——だってすぐに明らかにできるはずだ。佳奈のことが大事ならすぐに女性と別れれば済む話なのに、聡明な親友がそうしない理由が思いつかなかった。
「頭でわかってても、心と体がついてこないのよな。それに、俺だって自分のやりたいことだけやってられるわけじゃねーのよ」
あんまり意味がよくわからないことを言うと親友は空を見上げた。親友の言い分がおよそ正当化されるべきではないけど、なんでも自分の思い通りにしてきていた親友にしてはずいぶん弱気な発言だった。こころなしか、親友の背が小さくなったような気がした。
「らしくないよ」
「やっと半分大人になれたってことかもな」
親友はときたまふわっとした言葉選びでしゃべるから彼の話を理解するのに苦労する。たぶん、親友の意味する大人っていうのはいやなことでも我慢してできる能力をもった人のことを指しているのだと思う。
「じゃあ僕は君より大人ってこと?」
「ほんっとにそうだよ。ユキトは大人すぎるんだ。少しくらい子供っぽい方が、って、こんなこと俺が偉そうに言えるわけねーか」
親友は遠い目をしてから深々と頭を下げた。
「気にしないでよ。ちなみにこれが、大人の余裕ってやつ」
「おうおう、言うようになったじゃねぇか」
親友は顔を上げると僕の頭をぐりぐりとしてきた。いつもの親友の様子に戻ったような気がしたけど、どこか焦点の合っていない目をしている親友を見ていると不安を覚えた。具体的な場所はわからないけど親友を親友たらしめているものが消失しているみたいだった。
僕は弁当を開けるとお弁当を口にし始めた。
「ひさびさにお昼ご飯を一緒に食べられてる気がする」
「そうか? まあ、フードコート以来だからひさびさって言えばひさびさか」
もくもくと白ごはんを口に運ぶ親友。一方で、親友からかすかに漂うなもなき違和感で箸が思うように進んでいかなかった。
「どうした、まだ調子悪いのか?」
「そうじゃない、けど」
「食べねーと元気にならないからな」
親友はお弁当を食べ終えるとポケットから丸っこい錠剤を取り出して水で流し込んだ。
「風邪でも引いたの?」
親友は一瞬だけ間を開けると、
「ちょっと頭痛がな」
と、言った。
「この時期は季節の変わり目だしなぁ、大丈夫?」
「どうせすぐ治るし、心配すんな」
親友はゆっくりと立ち上がると手をぎゅっと握りながら大きく伸びをした。
「部活を勝手に抜け出してるのやべーから、先に行ってる」
「わかった」
「きょうは佳奈のお見舞いに行くんだろ?」
「あー、うん」
「俺は部活で遅くなるから、ついでに佳奈にはお大事にって伝えてくれ」
「おっけ」
「いつもありがとな」
去り際に親友はそんな言葉を残した。
僕は一人ぽつんとお弁当の残りをゆっくりと口にし始めた。
屋上から見上げた空は、どこまでも広く、限りなく青かった。




