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「熱くない?」
「ちょうどいいよ」
人肌ほどにあったかい濡れタオルで佳奈は僕の背中を拭いてくれていた。強すぎず弱すぎないくらいのほどよい押圧と小気味好いリズムの動きが相待ってうつらうつらとしてきた。
「ほんっと、ユキトはおっきくなったよね。昔と全然違う」
僕の背中越しから伝わる佳奈の言葉でハッと目が覚めた。
小学生くらいのときも佳奈に看病してもらっていたことを僕は思い出しながら、
「態度とか特にね」
と、言ったら、佳奈はフッと笑った。
「そういうんじゃ、いや、それもそっか」
「ええぇ」
「冗談だよ、冗談」
僕の軽いジャブに対して冗談とも本気とも取れる発言をしながらも佳奈は手を止めることなく僕の背中に弧を描き続けていた。
「割と僕は繊細なので取り扱いに気をつけてほしい」
「繊細な人は自分から繊細って言わないから」
「確かに、じゃあ僕って大胆ってこと?」
「うーん、それも違うかな。ユキトはどっちかって言うと石橋を叩きすぎて渡れなくなるタイプ」
「それなら佳奈は、石橋を叩かずに問答無用で突き進むタイプだ」
「よくわかってるじゃん」
「だてに何年も一緒にいないよ」
佳奈は一際大きな弧を描き僕の背中をトンっと軽く叩いた。そして、捲りあげていたシャツをおろし、「背中はおっけー」と、タオルを絞り直してから僕の前に座った。
「前はいいって」
「いいの、わたしがやりたいんだから」
またここで抵抗して佳奈を押し倒すなんてことになったら目も当てられない状況が生まれそうだったので、「わかったよ」と、大人しく従うことにした。
佳奈は両手でタオルの端を掴むと僕のシャツの中に腕を入れた。
体を拭く動きに合わせて佳奈の髪がビロードのように広がる。それによって、さきほど中途半端におあずけをくらっていたこともあり、ふいに佳奈をぎゅっと抱きしめたくなる衝動に駆られた。ただ、それと同時にずっと同じ姿勢になっていたのと熱で関節が痛くなっていたこともあり、背骨が尋常でないほどの痛みを発し始めた。
少しでも痛みを紛らわせようと僕が腰をトントントンと叩いていると、
「座ったままだと辛い? 横になっていいよ」
と、佳奈が言った。
僕は首肯するとベッドへと横たわった。
「無理しちゃダメだよ」
佳奈は馬乗りになると僕の体を再び拭き始めた。
佳奈の気遣いと優しさが背骨の痛みを和らげていく。
「重くない?」
「うん、全然」
下腹部のあたりに佳奈は乗っていたけど重さは全く気になっていなかった。むしろ、ちゃんとご飯を食べているのか心配になるレベル。
「ほんとに?」
佳奈は一旦手を止めると、両手をベッドについて僕を見つめた。
「嘘をついている目に見えますか?」
「……それじゃあ」
佳奈は僕の体に身を預けてきた。
身体中が柔らかな重さで包まれる。自分の音ではない鼓動の音がどくんどくんと伝わってくる。
「これでも?」
「うん、全然」
さらに佳奈は僕に体重を乗せてきた。僕の反応を伺いながら遠慮がちに。
「まだまだ、全然大丈夫だよ」
僕は佳奈の背中に腕を回すと強く抱きしめた。すると、佳奈の全身に走っていた緊張が解けて力がゆっくりと抜けていった。
「さっきの話の続きだけどさ、最近のユキトはちょっと変わってきたのかなって思う」
「どこらへんが?」
佳奈が僕をじっと見つめた。僕も佳奈をじっと見つめた。
互いの視線が交差し、そして、限りなくゼロへと近づく。
触れ合う唇、もう何度目かのキス。より深く混じると頭の中が痺れた。
「ほら、こういうとこ」
俯きがちに佳奈が言った。
「ダメ、かな?」
「ううん、全然ダメじゃない、むしろ」
佳奈は僕の頬を撫でながら、
「いいと思う」
と、言った。
そして僕はふと気づいた。とっくの昔から佳奈のことが家族以上に好きだったんだって。
切ない胸の痛みが永久とも思える時間を刻んでいた。




