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短め。

「兄貴、おっそいよ!」

「はいはい……って誰のせいだよ……」


 アイナに聞こえないように僕はぼやいた。両手に提げた大小様々なショッパーが指に食い込んでいるせいで、皮膚が真っ赤に染め上げられていた。ときどき立ち止まっては袋の紐の位置を変えたりして、じんじんと痛みがはしる指先を労ってあげた。


「少しくらい荷物を持ってくれても……」

「何か言った?」


 わざとらしく耳に手をあててアイナは僕を見た。感情を感じさせない無機質な声の冷たさに、背筋がひんやりとした。連絡もなしに一人ぼっちにされたことが相当ご立腹のようだ。しかしながら、それほど身長が高い方でもない僕の背丈よりもさらに小さいアイナが、僕の肩越しに息巻いていたところで正直なところあまり怖いという感情が生まれてくるわけでもなかった。むしろ、抱きしめてヨシヨシしたくなるくらいの可愛さだったりした。


「きょうもアイナはちっちゃくて可愛いなーって……」

「……ちっちゃい娘に重いものを持たせようとするなんて……そんな、ひどいよ」


 アイナが両手で涙をおさえながら言った。僕は、やっぱりさっきの聞こえてたじゃねぇか、と心の内で毒づいた。演技派な妹の頭をどうにかして小突こうとしたけど、ショッパーが重すぎて腕が上がらなかったので、イマジナリー手刀をアイナの頭頂部にお見舞いすることにした。幾分心の平穏を取り戻したところで、アイナと一緒にフードコートのフロアに到着した。


 和洋中のお店が立ち並ぶフードコートで、「いつものでいい?」「いつものがいい」僕は先に席をとり、その間にアイナが注文を取りに行ってくれた。この場所に来ると決まってアイナの好物のオムライスを食べているので、店先に向かうアイナの足取りは軽やかだった。


 人混みを縫うようにして二人掛けテーブルの空きを見つけると、両手に提げた大量のショッパーを椅子の上に置いた。ずいぶんと軽くなった両腕を回しながら肩の凝りをほぐすと、僕はスマートフォンのメッセンジャーアプリを立ち上げた。トーク履歴の二番目に残された、『さっきの、ハジメテだったから』という文章を再度確認した。冷静になってから考えてみると、その言葉は僕に対して何らかの特別感を伝えようとしてくれた以上に、一時の気の迷いとはいえ親友を裏切ってしまったという後悔を去来させた。


 次に親友に会ったときどういう顔を向ければいいのか、という疑問と相反する形で、もしここで、『僕もハジメテ』と佳奈に返信したら、一体どうなってしまうのだろうか、という恐ろしい考えが浮かんだ。親友でなくて僕が佳奈の隣に並ぶという幻想が現実味を帯びているような気がした。すると、指が自由意志を持っているかのように動き、『僕も』とゆっくり入力し始めた。その結果として親友との仲がこじれてもいいと僕は思った。なぜなら、先に僕たちの関係性を破ったのはアイツなのだから。目には目を歯には歯を。古来より被害と同等の報復は当然なのだから。どす黒い感情が螺旋を描き、送信一歩手前まできたところで僕は思いとどまった。そもそも僕はそれだけの器量と勇気を持ち合わせていなかった。入力し終えた文章を消すと、佳奈のメッセージも一緒に消して、スマートフォンをポケットへと仕舞い込んだ。


 目頭を強く押さえると両目にほんのりと涙が溜まっていく。暗く閉じた視界で敏感になる耳元には喧騒が広がっていく。子供が泣き叫ぶ音、一家団欒の音、うわさ話に花を咲かせる音、数多の音が重奏をおりなし、そして、それらに割って入るかのように鳴るのはカツカツと床を鳴らす革靴の音。


 ゆっくりと目を開けると、


「あれ、ユキトじゃん」


 と、親友から声をかけられたのだった。今一番顔を合わせずらい人物からの声がけに僕はどぎまぎしてしまった。


 そんな僕の狼狽に対して片手で謝るジェスチャーをすると、


「驚かせて悪い……きょうは佳奈と来てるんだけどもしよかったら隣いいか? 他に席が空いてねーし」


 と、親友は言った。


「ああ……そうだったんだね……でも、僕がいると色々と、その……邪魔になるでしょ」

「そんなことねーって。なんつーか、変に気ぃ使わせちまってるみたいだけど、俺たちはそんなこと気にする仲じゃねーだろ」


 親友の無神経な発言に、僕の頭の中はカーっと熱くなった。なら何故、きょう遊ぶことを僕に連絡しなかったのか、いつもなら連絡してくれたのに。それって結局、二人っきりで遊びたいということの証左で、イマココの僕の存在がその雰囲気を無遠慮にぶちこわそうとしているみたいじゃないか。という憤りで満たされていた。こういうときの親友の正義感に似たおせっかいは嫌いだった。でも、僕は人に嫌いという感情を伝えられるほど、強い人間ではなかった。


「そっか……ごめんね……一応、アイナにも聞いてみないと」


 薄っぺらいごめんねを添えると、僕はいつものように作り笑顔で、なおかつ口端を引きつらせないようにして言った。僕さえ我慢すればすべてがうまくいく。そう、それだけのことでうまくいくのだから。


『泣きたいときは泣いてもいいんだよ……』


 いつの日か佳奈が僕に涙目で縋ったことを思い出した。そのときまでは両親の遺影を前にしてでさえ、僕は泣けもしなかったし叫べもしなかった。僕には人の血が通ってないんじゃないかと思った。でも彼女の言葉は人の心を思い出させてくれた。人に関わることで、つながりが生まれることで、それを失っては悲しむという負の連鎖が怖かった。それでも、佳奈は何も言わずに僕を抱きしめてくれた。すると、自然と涙が溢れ始めていた。全てが暖かかった。舞台の書き割りみたいに現実感のうすれていた風景が彼女の熱を介して色づいた気がした。「僕はもう、大丈夫だから」という言葉はきっと、強がりでも何でもなく本心から出た言葉だったと思う。セピア色に染まった記憶が僕の記憶を都合のいいように彩っているとしてもそれだけは確かな思いだった。


 けれど、僕が心から信頼していた人はもう僕の隣にはいない。だから僕は偽りの仮面をかぶって気丈に振る舞うことにする。二度と僕の大切な人が不安にならないように。そして今度は僕が助けてあげられるように。そう意気込んでいたら、


「……アイナちゃんと一緒に来てたんだ」


 スマートフォンをいじりながら親友は応えた。いつものように何を考えているかわからない調子で、指先を手早くフリックしては何かを入力していた。親友側に画面が傾いていたためその内容を確認することができなかったが、何かメッセージでも送っているのだろうか。蛍光灯の照明が親友の頭上に降り注ぎ彼の顔に影を作っていた。


「相当買い物に付き合わされたみたいだな」


 親友は大量のショッパーを横目に、相変わらずスマートフォンの操作に夢中だ。


「まあ、僕のせいでもあるっちゃあるだけど……」


 僕はいくらか痛みが引いてきた指をなぞった。血が溜まって真っ赤になっていた部分はいつの間にか桃色へと変化していて、親友はさして興味もなさそうな相槌を打った。ひさびさに親友と二人きりになったためということもあるけれど、試着室でのくだりが頭の中をぐるぐると駆け巡っていて否が応でも気まずくなっていた。


「何かあったのか?」


 親友はスマートフォンを閉じると僕の目を見つめた。昔から親友は機微を汲み取ることが得意で目線の動きや手先のちょっとしたの所作の違いで感情のゆらぎに気づいた。基本的に熱血漢タイプだからそういう変化の中に不安だとか不満といったネガティブな要素が絡んでくると、厚かましいくらいに熱心に寄り添ってきた。そういった彼の生真面目さは羨ましくもあり妬ましくもあった。生粋のリーダー気質で誰彼の先頭に立ち道を切り開く。失敗を恐れないその勇姿と熱量は近くの人々を惹きつけ、挙げ句の果てには彼のファンクラブが立ち上がっているのも聞いたことがあった。隣の芝は青く見えるっていうけれど、僕の中にない要素を長年にわたってこれでもかと見せつけれると劣等感に似た感情を抱くのも時間の問題だった。勝ちとか負けとかそういう二元論で語るのはナンセンスだろうけど、僕はいっつも負けていて親友は勝ち続けていた。みんな違ってみんないいなんて言葉は詭弁だ。僕は親友のように光のあふれる道を歩いていたかったし、盲目的に各人の違いを受け入れて違いを認めたくはなかった。それは影を歩き続けることと同じ意味だったから。


「重いものを持ちすぎて手が痺れてるんだよ……」


 親友が求めている応えとは違う的外れの返事をした。もしもあの出来事がバレたら僕たちの関係はバッサリと終わりを告げるだろう。親友に対して並々ならぬ思いがあるとしても、そういったものを超えた信頼感が僕にはあった。義理とか人情みたいなもので、少なくとも見かけ上は不義理を働きたくはなかった。遺伝子レベルで組み込まれた心のあり方と言っても過不足ないと思う。


「手を貸してみ」


 親友のもとに手を差し出すと手のひらをマッサージし始めた。日焼けしてごつごつとした指によって僕の真っ白くて線の細い手のひらがほぐされていく。痺れはとっくに治っていたけど親友の何気ない思いやりにむず痒さを感じ始めた。


「二人して何やってんだか」


 声の方向に振り返ってみると佳奈が立っていた。親友と二人で組んず解れつしていた様子をがっつりと見られていたようだ。僕はびっくりして手を引っ込めた。


「こーいうの結構好きだろ?」

「そういうのは漫画だから好きなの、リアルでやるなアホ」


 佳奈は手のひらを額に当てて嘆息すると僕を見た。


「なーに顔赤くなってんのユキト。まさかそっちの趣味あった?」

「ちが……そんなんじゃ」


 僕が慌てふためいている様子を佳奈と親友が笑う。いつも通りの何気ない日常がここにあった。ただ、いままでと違うのは親友と佳奈が付き合い始めたことと、そしてなにより、その親友に隠れて彼女とキスをしたこと。それは二人だけの秘密と念をおすかのように、佳奈は手のひらで口元を抑えつつ人差し指を唇にあてて僕にウインクした。破滅の裏側にこびりつく快楽のしずくが脳内に滴り落ちると、新たな欲望が無意識のうちに生まれていた。


——バレなきゃ……大丈夫なんだ……。


 それが地獄への入り口だと知らずに……。

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