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自室に戻った僕はベッドに倒れ込んだ。
首に巻かれた長ネギの匂いが食欲をそそるわけでもなく、どちらかと言うと吐き気を増長させていた。
その代償として、滞っていた鼻のつまりは解消され始めているような気がする。
おばあちゃんの知恵袋に対する思い込みが大いに作用しているのだろうけど、病は気からっていう意味が初めて実態を伴っていた。
科学的根拠の薄い民間療法でも時間と場所と場面さえ間違わなければ効果を発揮してくれるのだろう。
そう、TPOさえ踏まえていれば。
しばらく布団でじっとしていたら、コンコンコンというノックの音と共にアイナが部屋に入ってきた。先っちょを細くした長ネギを手にした状態で。
LED照明を反射してテラテラと光るネギの汁が目の端に映り込んだ瞬間、寒気のインパルス反応がやってきてビクッと体が震えた。
それだけは絶対にいけない、絶対にだ。
いくら風邪に効くからと言ったって人としての尊厳は守りたい。否、守らなければならない。
箪笥から出してきた冬用毛布を頭いっぱいまで掛け直す。ついでに、ズボンの紐を極限まで絞った。
「兄貴ー、ほら出してよー」
「いーやー」
毛布をめくろうとするアイナに目一杯抵抗する。
(もうこれで終わってもいい……だから……ありったけを……)
「あ、佳奈姉ぇが来た」
「え? ……あっ」
僕が少しだけ気を逸らしてしまったせいで、アイナは完全に毛布をめくっていた。
アイナ、謀ったなアイナ!
「うつ伏せ」
「……」
「仰向けのままでもいいなら、このままヤルけど」
「……ハイ」
大人しくうつ伏せになる。
ふっ、一時はどうなることかと思ったけどズボンの結び目を下にできさえすれば僕の勝ちだ。
痛む頭で悦に浸っていると、アイナは僕のズボンに手をかけ、
「兄貴ー、腰浮かしてー」
と、言った。
「ちょっと持病の腰痛が……」
「腰痛? ……まあいいや」
アイナの言葉を皮切りに、下半身がスースーし始めた。
あ……ありのまま今起こったことを話すぜ! アイナが僕のズボンに手をかけたと思ったら僕のズボンの残骸を両手に持っていたんだ。
な……何を言ってるのかわからねーと思うが僕も何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチな……
「えいっ」
「ああ^~」
◇◇
「そろそろ時間だ、学校行かないと」
「……いってら」
「なにかあったらすぐに連絡してね。きょうは早めに帰るから」
「……うぃ」
「無理して起きちゃだめだよ。絶対安静」
「……かしこまっ」
「大丈夫かな……、って時間だっ、行ってきまーす」
「……気をつけて」
人生には三つの坂がある。
上り坂、下り坂、そして、その間の特異点として存在するまさか。
よもや、予想外、寝耳に水、青天の霹靂。
いろいろなまさかのなかでも、まさか of まさか。まさかの王。
そのまさか極地——長ネギを局部に刺さしたまま妹を送り出す日——が来るなんて思わなんだ。
そんなことを、新しく用意してくれたパジャマがお尻の部分で引っかかっているままに考えていた。




