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高校へと続く坂道を僕たちは緩慢な動作で歩いていた。人一人分がギリギリ入れるほどのスペースを開け、互いの傘がぶつからないくらいの距離感で。
「雨、すごいねー」
「ほんとにね」
あたりさわりのない会話、でも、互いの歩調と同じ速さの会話が途切れると、傘を叩く雨粒の音が僕たちの間を埋めていった。
なにを話すでもなく、ゆるやか坂道を横並びで上る。
真っ直ぐな電柱、車道側の街路樹、デコボコな歩道。
見慣れていたはずのそれらが、新しい息吹を宿したかのような生命の輝きを帯びていた。
長年慣れ親しんだ路は、見たことがないような色を出していた。
仄暗い世界に差し込む幾ばくの燈。曇って太陽は出ていないけど、雲間から漏れる光芒が陽炎みたいにゆらゆらと揺れている気がした。
通学路は学生の姿が増え、次第に喧騒が生まれ始めた。
「ユキトはさ、きょうの放課後なにか予定あるの?」
佳奈は僕に尋ねてきた。
きょうはアイナの友達と話すことになっていたけど、その理由は親友に関することだから話すことはできないだろう。
佳奈の涙を見たあとでは、極力、親友に対する話題に触れたくなかった。
「きょうはアイナと一緒に夕飯の買い物行くんだ」
「わたしも一緒に行っていい?」
「そんなに荷物が多くないから、もっと買い物が多いときは頼むよ」
「なにそれ、それじゃあわたしが荷物要員じゃん」
佳奈がフフッと慎ましやかに笑った。
僕は自分のついた嘘の行方を気に止めることもなく、残りわずかとなった道のりを進み始めた。
◇◇
昼休み。
すっかり雨は止んで、空に太陽が浮かんでいた。予報だと曇りだったけど、晴れになったようだ。
晴れているときは決まって、僕たち三人は屋上でお昼ご飯を食べていた。ただ、二人が付き合ったと聞いたときは、もうこの場に来てはいけないものだと思っていた。
(違う……僕が、僕がやりたいことをやらなきゃ)
親友からの言葉が頭の中で繰り返し響き渡った。
そして、いままでなら二人の関係性を慮って開けなかったであろう屋上への扉を開けると、そこには誰もいなかった。
コンクリートの地面に水たまりができ、まだら模様を描いていた。
(きょうは教室で食べてるのかな?)
僕と二人とは教室が違っていた。棟自体が離れていることもあったけど、いつも一緒だからこそ、わざわざ親友たちの教室の様子を確認していなかった。
(ちょっと様子でも覗きに行くか……)
僕が階段を引き返そうとして体を捻ったときだった、
「お箸でも忘れたの?」
と、佳奈は階段の中腹あたりで言った。
「いや、アイツがいなかったからさ、教室見に行こうかなって」
咄嗟に親友の話題を出してしまったことに対して、ハッとしてしまった。
「それなら、『お昼も練習だっ』て、先生に捕まってるみたい」
「そうだったんだ」
佳奈は僕の発言を特に気にするふうでもなく応えると、階段を上がりながら、
「お腹すいちゃったからはやく食べよー」
と、言って、僕の隣に並んだ。
「だね」
僕は佳奈と並んで屋上へと足を踏み入れた。
雨が降ったときに屋上を利用するのは僕たちくらいだった。というのも、備え付けの木製のベンチは雨を含むと不快な座り心地になるし、いたるところにある水たまりは液体洗剤がまぜこまれたみたいに泡立っていて、およそここで食事をしようとする気が起きなくなるからだ。
僕たちも最初の頃は気になったのだが、教室のやかましさから離れ静かな場所で食べたい、という僕たちの要求を満たすにはうってつけの場所だったこともあり、次第に慣れていった。
住めば都ってやつだ。
僕たちは屋上に備え付けられた木製のベンチに、あらかじめ用意しておいた厚手のハンカチを敷くと座った。お尻周りが若干ゴワゴワするが、雨でお尻にシミを作るよりはだいぶマシだった。
「「いただきます」」
二人で手を合わせてから、持ってきた弁当を食べ始めた。
「アイナちゃんって、ほんっとうに料理が上手だよね」
佳奈は僕の弁当箱を眺めながら、サンドイッチをもぐもぐしていた。
「まったく、アイナは最高だぜ!」
僕にはもったいないくらいだよ、と言いたくなる気持ちを抑えて声高々に宣言すると、佳奈がニヤニヤしていた。
「いまからそんなんじゃ、アイナちゃんがお嫁さんになって家を出ていったときなんて、かなり大変なんじゃない?」
アイナがウエディングドレスを着て、「兄貴、いままでありがとう……」と、涙ながらに手紙を読んでいる姿が一瞬にして頭に浮かんだ。
やばい、涙が……
「ちょっと、ちょっと。そんなに泣かないでよ。冗談だから、冗談……いや、冗談でもないか」
「ん……? 冗談でもない……?」
「だって、アイナちゃんだよ? 一人や二人くらい彼氏がいてもおかしくないというか」
「え……?」
「だからマジになんないでよ、もう……ほんっと、アイナちゃんのことになると見境なくなるんだから」
そりゃあ、たった一人の妹ですから。シスコンも辞さない構え。
佳奈はポケットからハンカチを取り出すと、
「まあ、そのときはわたしも一緒に祝うからさ、安心して」
と、言って、僕の涙を拭いた。
薄手のハンカチ越しに、佳奈の指先の温度が伝わってきた。
「あっ、ご飯粒ついてる」
佳奈は指の腹で僕の頬にくっついていたご飯粒をつかむと、自分の口に含んで微笑んだ。
僕はその彼女の姿に、どうしようもなく熱っぽい思いを抱いた。
 




