21
目を開けるとそこは真っ白な世界だった。
真っ白な花瓶。真っ白な絵画。真っ白な机。真っ白な鏡。
全てが真っ白だった。
中央に位置する真っ白なベッド。
その上で絡みつく二つの肢体。
貌のないまっさらな顔は離れがたく結びつき、ほどなくして、くぐもった声が聞こえてきた。
ゆらめく軌跡は紅を引き、ベッドが朱に染まる。
その一連の映像は、風で舞い散る花びらを幻想させた。
——それはきっと。
弓なりに反ったその体躯に、僕は枝の折れた薔薇のようになることを願ったからだろう。
◇◇
アイナは上がり框からすっくと立ち上がると、玄関先に立てかけてあった花柄の傘を持った。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
元気よく玄関の扉を開けたアイナを僕は見送ると、リビングに戻ってテレビをつけた。
天気予報だときょうは雨のち曇りだった。少し開け放したカーテンの先は鈍色の景色で、庭先の枝葉は雨粒でしなっていた。
あと五分としないうちに、佳奈と親友が僕を迎えにくるだろう。そうしたら、二人のちょっと後ろを歩くのではなくて、三人で横に並んで学校へ行くのだ。
ほんのちょっとの心がけ、だけど、いまの僕にとっては大事なことだった。
一つ一つの小さな一を積み重ねて、やがて大きな羽で飛び立つ。それこそが、僕のやりたいことを実行するために必要だということがわかり始めていた。
僕がやりたいことはすなわち、佳奈の隣を正々堂々と歩けるようになることだ。
理由をつけたり変装したりせず、ありのままの状態でも共に歩けるようになるには、親友との関係性をひとまず置いておいて、自分に自信を持てなければならなかった。
自信がない限り人を信じられない。人を信じられないことには人を愛せない。
愛だとか恋だとか肉体的とかプラトニックだとか、恋愛の形而上学的なものをがっつり考える前に、まずは、自分で自分を認めなければならない。
これがなかなかにむつかしかった。
自己評価の低さを改めるために使うエネルギーは、ごはんを食べたら補給できるようなそれとは異なるベクトルを持っていた。
言葉の裏を読まず、行間に込められた思いを察さず、他人と自分を比較せず、自分に優しく、額面通りに言葉を受け取らなければならなかった。
斜に構えて十年近い僕にとっては苦行以外のなにものでもなかった。
僕の素直さとは裸一貫で荒地を開拓するようなものだった。
気圧の変化だけではない頭痛に蝕まれていく。ただ、ずっと嫌だったこの痛みも、新しい自分の門出を祝ってくれている気がした。
ピーンポーン、とインターフォンの鳴る音が聞こえた。自動的にカメラが作動し、来訪者の姿を映し出す。
(あれ……佳奈だけ?)
ピンク色の傘をさしたままの佳奈がカメラの前で立っていた。その隣では大体いるはずの親友の姿が見受けられなかった。そういえば、「部活の顧問が変わったせいで朝練がキツくなりそう」、と、親友が愚痴っていたことを思い出した。
「いま行くー」
僕は即座にテレビを消すと、通学バッグとビニール傘を持って玄関を開けた。
「おはよー」
「おはよう」
僕は傘を広げると、佳奈と一緒に学校へと向かった。
 




