95話 モーニングルーティン
三条悠羽の朝は早い。
まだ薄暗いうちに目を覚まし、部屋から出る。隣の部屋で眠る六郎に配慮して、目覚ましのアラームは使わない。
洗面所で顔を洗い、歯を磨いて部屋に戻る。制服に着替えたら、伸びてきた髪を束ねる。ヘアゴムで一本にまとめ、エプロンを着てキッチンへ。
余ったおかずを弁当箱と皿に並べ、2人分の昼食を用意。それが終わったら、朝食の準備に取りかかる。材料を一通り出して、作業スペースに並べる。今日はフレンチトーストとスープにサラダだ。
フレンチトーストは焼きたてがいいので、先にスープとサラダを作ってしまう。野菜を一口サイズに切って、湧かした湯に入れる。コンソメを入れて味を調えたら完成。サラダは生野菜をちょうどいい大きさに切ればできあがり。
手を洗ってタオルで拭き、キッチンを出て六郎の部屋をノックする。まだ起きていないのを確認して、中に入る。
布団の上で丸くなって六郎は眠っていた。
膝を抱くようにしゃがんで、悠羽がそっと声を掛ける。
「朝だよ、起きて」
わずかに目蓋が動くが、まだ完全には覚醒しない。
口元に手を添えて、甘く囁いてみる。
「ろ、く、ろー」
薄く目が開いて首が動き、2人の視線が絡む。
「起きて、朝だよ」
「ん……ああ」
曖昧な返事をして、のっそり青年が体を起こす。寝起きの髪は跳ねていて、普段よりもずっと隙が多い。
六郎は以前に比べて深く眠るようになった。睡眠時間が延びたわけではないが、前ほど簡単に起きられないという。
アラームを鳴らせば解決するのだが、そこは悠羽が「私が起こします」と役目を買って出たのである。じれったい問答があったものの、結局は六郎が「じゃあ、頼む」と折れることになった。
布団から体を起こして座ると、六郎はかくんと首を曲げる。
「……おはよう」
「おはよ。もうすぐ朝ご飯できるよ」
「顔洗ってくる」
「その前に、はい」
「ん」
立ち上がりつつ、六郎が悠羽をぎゅっと抱きしめる。
何度か頭を撫でて離れると、ぼんやりした顔の割にしっかりした足取りで部屋を出た。
悠羽もキッチンに戻り、パンを卵液に浸してバターを溶かしたフライパンで焼く。きつね色になったくらいで皿に載せて、ジャムと一緒に出せば完成だ。
ちょうど六郎も洗面所から出てきて、配膳を手伝ってダイニングテーブルに座る。
手を合わせてから食べ始め、少しして六郎が口を開いた。
「なんか最近、やたら豪華だな」
「安心して。食費はちゃんと計算してるから」
「いや、手間の話をしてるんだが」
「てま?」
首を傾げる悠羽に、六郎は呆れたように眉を下げる。
「朝からこんなに料理するの、大変だろ。もっと簡単でいいし、言ってくれれば俺も手伝うぞ」
「え……別になにも大変じゃないけど」
心底不思議そうに言うと、六郎は瞬きして口をぽかんと開ける。
「まじか」
「まじです」
悠羽は誇らしげに笑う。
「だってこんなに美味しそうに食べてくれるんだもん。大変なんて思わないよ」
「くっ……」
直視できないといわんばかりに目を逸らす六郎。朝は防御力が低いので、簡単にキュンとさせることができる。悠羽はそれが面白くて、早起きがやめられない。
「忙しくなったらできなくなるから、今は頑張らせて」
「わかったよ。ありがとな」
「ううん。いいの」
食べ終わったら、食器をシンクに持っていく。洗うのは六郎の役割で、その間に悠羽は持ち物をチェックする。
余った時間は、洗い物をしている六郎の横で時間を潰す。
「ねえ、今週の日曜日だよね。ダブルデート」
「そうだぞ」
「楽しみだなぁ。六郎も運転するの?」
「圭次が疲れたら代わるけど、あいつ運転得意だからな。もしかすると、俺の出番はないかもしれん」
「そういえば、女蛇村まで車で来てたもんね」
「ああ。奈子さんが疲れてなかったのも、たぶんあいつの運転が上手いからなんだろうな」
滅多に圭次を褒めない六郎が「得意」と言うなら、きっと相当な腕なのだろう。
皿を拭きつつ、横目で六郎が問う。
「もしかして、俺の運転が楽しみだったのか?」
「……はい」
「変なやつ」
「だ、だって、運転してるのって格好いいじゃん!」
「そうか?」
「そうなの!」
「ふうん。じゃ、どっかで圭次潰して運転するか」
「圭次さん潰される必要なくない?」
「別に溜まってない日頃の鬱憤を晴らすためにな」
「溜まってないじゃん!」
「つい、しっかり」
「うっかりかと思ったらしっかり潰してる……」
最後にフライパンをしまって、六郎はタオルで手を拭く。
時間もいい頃合いだ。2人で一緒に玄関に行って、悠羽だけが靴を履く。
「気をつけてな」
「はーい。六郎も頑張って」
「おう」
立ち上がった悠羽が目を閉じてつま先立ちをする。六郎がキスをすると、まだ少し恥ずかしそうに2人ではにかむ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
名残惜しい気持ちを抱えながら、悠羽は今日も家を出る。
時間に余裕があるから自転車は置いて、秋晴れの下を軽快に進んでいく。




