表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
4章 最後の嘘は破れない
94/140

94話 最後の嘘は破れない

 休日のショッピングセンターは、これでもかというほどの人で溢れている。家族連れとカップルが最も多く、次いで学生らしきグループがちらほら。各々が別々の目的をもって、休日を楽しんでいる。


 まさかこの中に、当たり前に俺がいる日が来るとはな。人生ってのは、なにが起こるかわからないもんだ。


 フードコートでジェラートを買って、空いている椅子に向かう。その途中でふと、なにかに気がついた悠羽が足を止めた。声を潜めて、少し離れた場所を指さす。


「ね、あれ」

「ん?」


 ぱっと視線を向けると、見慣れた大人の2人組がいた。

 片方はやけにかっちりした服装で、ぴんと背筋を伸ばしている。ただでさえ高い身長とガタイの良さが際立ち、圧倒的に浮いている。

 もう片方は深緑色のセーターを着た、三つ編みのおっとりした美人。品のある振る舞いからは、誰も彼女がギャンブラーだとは想像しないだろう。


 2人は年に見合わないぎこちなさで、少しずつこっちに近づいてくる。

 俺と悠羽はぱっと顔を見合わせ、一瞬で意思疎通。


「逃げるぞ」

「うんっ」


 見つかってしまったら、お互いに気まずさで台無しになる。熊谷先生だって、教え子にデート姿を見られたくはないだろう。


 人混みの中に紛れるようにして、フードコートを後にする。そのまま外に出ると、冷たい風がびゅうと音を立てて吹いた。


「さみぃな」


 出てきてしまったことをさっそく後悔し、顔をしかめる。隣の悠羽も首を縮めて頷いている。

 だがもう、出てきてしまったものは仕方がない。

 手に持ったジェラートを見つめて、切ない顔をする悠羽。


「寒い日に温かい場所で冷たいものを食べるのはいいけど……」

「寒い日に寒い場所で冷たいもん食うのは意味不明ではあるな」


 自分に苦行を与えるタイプの変態としか思えない。

 とぼとぼ建物内に戻って、適当なベンチを見つけて座る。やっと一息ついたところで、悠羽が口を開いた。


「デートしてたね」

「デートしてたな」


「いつの間にそんなことになってたんだろ」

「さあ? 大人の事情は俺にはわからん」


「六郎だって大人なのに」

「俺は、な」


 口の端を持ち上げると、皮肉に気がついて悠羽がむすっとする。


「どーせ私は子供ですよぅ」

「冗談だよ。それが悪いなんて言ってない」


「あーもう機嫌悪くなったから六郎の一口もらっちゃお」

「好きにしろ」


 正式な名前は長くて覚えられなかったが、俺のはオレンジ味だ。ぱくりと口に入れて、幸せそうに目を細める。


「こっちもおいし~」

「たまにはソーダ味以外もいいだろ」


「うーん。でもやっぱり、あったら頼んじゃうと思う」


 悠羽はアイスになると、途端にソーダやブルーハワイなどの青いやつしか食べなくなる。それしか食べられない、というわけではないが、気がついたらいつも青いものを食べている。


「変なこだわりだよな」

「なんでだろうね」


 本人さえわからないのだから、よっぽど重症なのだろう。


 食べ終えてゴミを片付け、今度こそバス停に行く。乗り込んで後ろから二番目に座った。俺が窓際で、悠羽が通路側。

 こうして並んでバスに乗るのは、夏休み以来だ。


 ぼんやり外を見ていたら、右腕に体重がかけられる。眠たげな悠羽が、そっと体重を掛けてきている。


「疲れたか」

「うん」


「着いたら声かけるから、ゆっくりしてろ」

「ありがと」


 人がほとんどいないのを確認して、少女は目を閉じた。

 俺は静かに、流れていく風景を眺めていた。







 バスから降りると、悠羽は大きく伸びをした。


「んにゃ~、着いた着いた」


 夏は人で溢れる海水浴場だが、今はオフシーズン。ちらほらサーファーがいるくらいで、海の家も当然ながら営業していない。


 歩きにくい砂浜を、手を繋いで歩いて行く。


「昔テント張ったのって、このへんだったっけ」

「そこまで覚えてるわけないだろ……いや、あの建物の見え方が違うからもうちょい奥の方だな」


「すごく正確に覚えてる……」

「なんか覚えてたな」


 悠羽が思わせぶりなことを言うから、いろいろ考えてみたのだ。ここであった大切なこと。思いだそうとして、けれど思いだせなかった。

 やはりかつてここで過ごした一日は、ただの平和な日だった。

 どこにでもあるような家族の、コピペしたような幸福があった。


 俺にとってはどうでもよくて、悠羽にとって大切なことだったのだろう。だとすれば答えは、彼女の口から聞くしかない。


「どう六郎、なにか思い出せた?」

「降参だ。なんにも思い出せん」


 両手を挙げて肩をすくめる。

 思いがけない一言が記憶に残っているとか、きっとそういうものなのだろう。

 俺が覚えていなくて、悠羽が覚えている。そういうことがあるのも、素敵なことだと思うから。悔しいとは思わない。


 悠羽はたったったと跳ねて距離を取ると、振り返って向かい合う。


「私がここで食べたかき氷、ブルーハワイだったよね」

「ああ」


「食べた後にさ、べろが青くなったの覚えてる? それが面白くて、青いアイスばっかり食べるようになったんだ」

「ダウト」


 短く切り捨てると、悠羽はぺろっと舌を出した。


「さすがに気がついちゃうか」

「だってお前、ついさっきわからないって言ってただろ。……いや、べろが青くなるからってのは、たぶんそうなんだろうけど。だとしたら、夏祭りの時がたぶん一番最初だな。海水浴の頃にはもう立派なブルーハワイ専門家だったぞお前は」


「なんでそんなに覚えてるの? ちょっと怖いんだけど」


 瞬きをして言う少女は、軽く引いていた。

 上手い言い訳を探して、眉根を揉む。


「……それくらいしか、覚えていたいこともなかったからな」


 少し考えて出てきた言葉は想像よりも湿っぽくて、しまったと反省する。

 これじゃあまた悠羽にいらん心配を掛けてしまう。


「じゃあ、これからは忘れることも増えるんだね。毎日楽しいから」


 だが、帰ってきたのは明るい声だった。

 オレンジに染まる海を背に笑う悠羽は、ありきたりな言葉だけれど、なによりも綺麗に見えた。


 海風でスカートがはためいて、ベレー帽が飛ばないように頭を押さえる。なびく髪の隙間から、少女の瞳が鋭く覗く。


「六郎の言うとおり、ここに大切な思い出なんてないよ」

「嘘かよ」


「うん。嘘だよ。でも嘘じゃなくなるの。だって思い出は――今からできるから」


 ふわりと、羽根のような静かさで近づいてくる。

 一歩分だけの距離で、悠羽の目は真っ直ぐに俺を捉えた。


「タイミングを逃して言えなかったこと。ずっと伝えたかったのに、先送りにしちゃってたこと。ちゃんと言うから、聞いてくれる?」


 真剣な雰囲気に飲み込まれて、ただ首を縦に振った。

 息の詰まる緊張が数秒あって、それから彼女ははっきりと、聞き間違いのないように言った。



「大好きだよ、六郎」



 時間が止まったような気がして、無意識の瞬きを何度か繰り返した。

 やっとのことで動いた頭で、すぐに動揺を取り繕う。


「知ってるぞ」

「ううん。わかってないよ」


 首を横に振って、悠羽はどこか勝ち誇ったように笑む。呆気にとられる俺を見て、少女の後ろで波が砕けた。


「私が六郎を好きなのはね、優しいから、頼もしいから、面白いから、頭がいいから――そんなことじゃないの」


 知らないでしょ、と悠羽は余裕のある表情をする。

 そこにきてようやく俺は、自分が勝負を挑まれていることに気がついた。


 いつからか、どこからかなんてわからない。けれどたった今、悠羽は俺のことをなにかの罠に嵌めようとしている。


 変なところばかりが似て、告白一つも普通にできやしない。

 そんな彼女が愛しいから、もう俺は負けている。


「優しくて頼もしくて、面白くて頭いい以外に俺の取り柄なんてあったか?」

「調子に乗るなっ」


 指を立てて叱ってくる悠羽に、半分だけの笑みで返した。だって本当に、なにも思いつかなかったから。


 俺が悠羽に好かれているのは、彼女を守ったり一緒にいる中で笑い合ったからだと思っていた。自惚れではないが、彼女の前では優しく頼もしくあった自負はある。

 それが違うというのなら、一体彼女は、なにをもって俺の側にいてくれるのだろう。


「あるじゃん、六郎が世界一上手いこと」

「世界一?」


「そう」


 そもそも俺は、なにかで一番になったことは少ない。なんでも普通以上にこなす。軽んじられないため、弱みを潰すためにたどり着いた生き方だ。

 だからますますわからない。


 悠羽が肩に掛けていたポーチを砂浜におろす。

 さっきの告白は前振りだったのだと、直感的に思った。唾を飲み込んで、俺も背筋を伸ばす。聞き逃しのないように、ちゃんと彼女の目を見る。


 頬を赤く染め、ぎゅっと閉じた目を開いて――悠羽は真っ直ぐにその指で、俺の口を示した。



「私が好きなのは、あなたの嘘です」



 ――嘘。



「みんなを騙して、私を騙して、それで結局はみんなを笑顔にしちゃうんだ。六郎の嘘はすごいよ。私にはできない。他の誰にもできない」



 嘘つきは泥棒の始まりだと、誰かが言った。



「あなたが騙してくれたから、私は傷つかないでいられた」



 そこから幸福が芽吹くことはないと知って、それでも縋るように嘘を重ねた。



「嘘つきは嫌われて当然だって、六郎は思ってるでしょ。でも違うよ。私は嘘つきだったから、六郎のことが好きなんだ」



 嘘で塗り固めた虚飾のヒーローを演じてきた。

 長い旅の終わりに、俺はようやく嘘を手放した。あの夜、俺たちの血が繋がっていないことを告げたときに。


 これからは本当の俺でいようと決めて、嘘を手放した。

 けれどそれはどこか空虚で、どこか満たされなくて。

 そのわけに、やっと気がついた。


「だからこれからも、ちゃんと私を騙してね」


 俺はずっと、嘘つきの俺を愛してほしかったのだ。

 こんなどうしようもない俺を。誰かを騙し、自分を偽ることでしか生きられなかった俺を。それでも大切だと言ってほしかった。


 好きだと言いたい。愛していると伝えたい。

 けれどそんな言葉じゃ、到底足りないから。


 湿った空気を吹き飛ばすように、空っぽの笑みを作った。悠羽が好きだと言ってくれた、渾身のポーカーフェイス。


「つけって言われてつけるほど、簡単なものじゃないんだぞ」

「そこをなんとかするのが、六郎の仕事じゃん」


「給料の発生しないことは仕事じゃねえ」

「じゃあ、ボランティアで」


「絶対に嫌だ。だいたい嘘ってのはな、必要にかられてつくもんであって、なんもないのにつくもんじゃ……なんだよその顔は」

「説得力ゼロ」


「ぐっ」


 普段から適当なことを言いまくっていたせいで、思いっきり自分の首が絞められている。しかも思っていたベクトルとは真逆に。


 なんで嘘つくことを求められてるんだ、俺は。でもってどうして、それが嫌じゃないんだ。やっぱクズなのか俺は。たぶんそうだ。


「やれやれ、ちゃんとリハビリしないとな」

「やっぱり、腕落ちたよね」


 わざとらしく煽ってくる悠羽に、しかし若干ピキッとくる俺。嘘に関して小馬鹿にされるのは、到底受け容れられるものではない。


 仕返ししてやろうと手を伸ばして、悠羽の柔らかい頬に触れる。指にかかる髪をどかして、瞳をのぞき込む。


「ああ、落ちたよ。だから今、どうやったらお前にキスできるかも思いつかない」

「――き、き、きすくらいなら、……言えばするし。っていうか、言わないでよ、そういうの。恥ずかしいじゃん」


「だから言った。恥ずかしがると思って」

「いじわる! それもう嘘つきじゃなくてただのクズじゃん!」


「そんな俺も好きだろ?」

「それは普通に嫌なんですけど!」


 涙目で抗議してくる悠羽が面白くて、悪者みたいな笑い声がでてしまった。繕わない俺は、やっぱりクズ野郎みたいだ。

 だけど、それで悠羽も笑ったからいいのかな。彼女の笑い声は伸びやかで、俺のよりもずっと綺麗だ。


 ひとしきり笑った後、そっと彼女の肩に手を置いた。緊張した表情で、ぎゅっと悠羽が目を閉じる。



 夕闇の中で、俺たちはそっとキスをした。



 嘘みたいな、本当の話だ。







 三条六郎の人生が、想像よりもずっと過酷なものだと気がついてしまった。


 言葉一つで、ほんの少しの利害の一致で誰かを許せるほど、彼の憎しみは浅くないことも。アルバムを見て、これまでのことを思い出せば容易に想像がつく。


 六郎は両親と和解してなどいない。


 では、なぜそんな嘘をついたのか。考えられる理由は一つだ。


 悠羽のため。


 たったそれだけのために、六郎は自らの痛みすらもなかったことにする。


 暴いてしまえば、彼が楽になるかと思った。けれど考えて、それは違うと思った。

 そんなこと、六郎は望んでいない。

 だから悠羽は暴かない。証拠を集めることもしないし、話題にすら出さない。


 彼の嘘に騙され続けること。

 それが三条悠羽の出した結論だった。


『騙されたフリをする』


 気がつく素振りなど見せずに生きていくのだ。

 そうやって六郎を騙し続けるのが、彼への誠意だと思った。




 六郎が全てを賭して嘘をついたから、

 悠羽が全てを受け容れて目を閉じるから、



 だから、

 最後の嘘は破れない。


30話くらいで終わるはずだったんです、当初の予定では。

そう言ったらどれくらいの人が信じてくれるでしょうか。

それがもうすぐ30万文字の物語になろうとしています。不思議ですね。


六郎と悠羽は、もっと簡単なキャラクターになる予定でした。クズと義妹。ただそれだけの役割を与えて、物語を書き始めて。気がつけば今、彼らは想像を超えて難解で厄介で面倒で、けれどどうしようもなく愛しい存在になってしまいました。

仕方がないので、もう少しだけ彼らの行く末を書きたいと思います。

「愛しているから嘘をつく」

「愛しているから騙される」

その先の、物語を。


エピローグはまだ遠い。

嘘みたいな、ほんとの話です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] めっちゃ腑に落ちたというか最高っす [一言] ︎︎
[一言] ここの話、スゲー良い
[良い点] しっかりタイトル回収入りましたー! ストーリーがしっかりしてて、面白いし、ニヤニヤできるし最高だなおい。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ