91話 アルバム
家に帰って、夕食を食べた後。悠羽は部屋からアルバムを持って、ダイニングテーブルについた。
父親が実家に戻る際、前の家からいくらか物を引き取った。そのうちの一つが、幼少期からのアルバムである。母親も写っているその写真たちは、悠羽以外に引き取り手がいなかった。
昔のものになるほど、六郎と一緒の写真が溢れている。
夏祭りに行って、悠羽がアサガオの浴衣を着て、六郎も紺の浴衣を着ている。つんとした表情でカメラから目を逸らす少年は、今よりずっと幼い顔をしている。
こういう写真が簡単に手に入るのは、家族としての特権だと思う。
無意識のうちに口元が緩み、だらしない顔になってしまう少女。
「ふふふ」
「なに笑ってんだ?」
後ろから平坦な声が降ってきて、悠羽は椅子から飛び上がる。
風呂から出て、タオルを首に掛けた六郎がいた。さっき見ていた写真から十年以上成長した、大人の姿である。
「いいいいいいいつの間に!」
「アルバム見てたのか」
驚いている悠羽の横からテーブルを眺め、六郎は「懐かしいな」と呟く。キッチンに入って緑茶を湯飲みに注ぎ、それを持って悠羽の隣に座った。
「俺も見ていいか?」
無言で頷き、悠羽はアルバムを間に移動させる。ついでに六郎との距離を詰める。寒い季節は近づいても暑くないのがいい。
並んだ2人の写真を見て、しみじみと六郎は頷いた。
「やっぱり似てないな、俺たち」
「そうだね」
二重でくりっとした目をしている悠羽に対して、六郎の目は一重で細い。顔の形も違えば、細部のパーツも似通っていない。両親から悠羽に受け継がれているものが、六郎には一つとしてなかった。
「この日は私が迷子になって、六郎が見つけてくれたんだよね」
「なんだっけ、それ」
「わたあめ食べてたら目の前が見えなくて、気づいたら皆と離れてたの」
「ああ……俺がトイレ行ってる間にいなくなってたやつな」
「そう。あれって結局、どこで見つけてくれたんだっけ」
「どこだっけな。お前が泣いてたのは覚えてる」
「すごい怖かったんだもん」
「人が多かったからな。わたあめごと抱きついてきて、めっちゃ顔べたべたになったんだよ」
「その節はご迷惑をおかけしました」
「いえいえ。無事でなにより」
ぺこりと頭を下げ合う。
指先で何枚かの写真をなぞって、六郎がぴたりと指を止めた。
ぴかぴかのランドセルを背負った悠羽と、その横で背筋を伸ばした六郎のものだ。
「これ、一緒に登校できるって喜んでたときの写真か」
「そう。でも結局、帰りの時間はばらばらだったけど」
「低学年と高学年だったもんな」
「三個違いだもんね、私たち」
見つめる悠羽に、六郎は瞬きして微笑む。不意打ちの距離感に、悠羽はぱっと顔を写真に戻した。
ぱらぱらとページをめくって、隣にいる青年に問う。
「六郎はさ、思い出に残ってる場所とかってある?」
「思い出の場所、か……」
アルバムをのぞき込みながら、青年は眉にしわを寄せた。それは彼にとって不都合なことがないか、咄嗟に考え込んでいる表情だ。幸いなことに、悠羽は彼の方を見ていない。
「パッとは思いつかないな。悠羽はどっかあるのか?」
「私はね、海」
「海?」
めくっていけば、確かにその写真はある。
だが、六郎は首を傾げた。
「なんかあったんだっけ」
「うん。あったよ、すごく大切なこと」
自信満々に頷く悠羽に、ますます六郎は首の角度をきつくする。
なまじ記憶力がいいだけに、なにも思い出せないのは珍しい。悠羽が大切だ、と言うようなことならなおさらだ。
顎に手を当てて十秒ほど考え、それでも思い出せずに音を上げた。
「なんだっけ」
「えー、覚えてないの?」
悠羽が不満げに唇を尖らせると、六郎は気まずそうに目を逸らす。
「いや、俺だって忘れる生き物だからな。ヒントはないのか」
「ありません。自分で思い出してください」
「スパルタかよ……」
こめかみを叩いて写真を見て、六郎は記憶の糸口を辿る。
「一番近くの海水浴場だよな。確かこの日は、昼から海水浴場行って……向こうではかき氷を食ったんだっけ。悠羽がブルーハワイで、俺がレモンだった気がするな」
けれど大事なことらしき記憶はなく、青年は目を瞑って考え込む。
想像以上に鮮明に記憶している様子に、悠羽は冷や汗が伝うのを感じた。まさか、かき氷のシロップまで覚えているとは思わなかった。
(このままじゃ……バレちゃう)
急いで次の手を打つべきだと判断して、「じゃあさ」と提案する。
「今度一緒に行こうよ。そしたら思い出せるんじゃない?」
「海水浴のシーズンじゃないが」
「いいの。買い物終わった後、帰る前にちょっと寄ろ」
訝しげな表情をする六郎だったが、頷いて納得する。
「わかった。そうしようか」
考えることをやめてくれたので、悠羽はほっとして息を吐く。
危ないところだった。もう少し放っておいたら、六郎があの日のことを全て思い出してしまうところだった。
大切なことなどなにひとつなかった、平和な海水浴の一日を。
悠羽は別の写真を手に取って、話題を移す。六郎の思考をそっちに持って行かせないよう、注意を払って会話する。
一つずつ、嘘を守るための防壁を築いていくのだ。




