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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
4章 最後の嘘は破れない
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86話 思い出

 人差し指で触れた少女は、何度か瞬きをしてから笑った。


「いじわる」


 布団の中で腹を小突いてくる。

 くすぐったくて俺も笑ったら、近づいたおでこがぶつかった。ごんっ、と鈍い音がして揃ってうずくまる。


「……っ」

「いたたっ」


 額をさすって大丈夫かと確認する。どっちも悪いので、お互いに謝らなかった。

 横向きはやめて、ごろんと仰向けになる。心地よい倦怠感が、全身を布団に沈ませる。悠羽も仰向けになって、二人で明るい天井を見つめる。


「電気消しちゃおっか」

「バカ。お前、バカ」


「眩しいのが嫌なだけじゃん。なに焦ってるの、変な六郎」

「俺がおかしいのか?」


 この状況で電気が消えたら、いよいよそういうことになるだろうが。電気が点いてても変わらないって? 変わるんだよバカ。


「豆球にするのもダメ?」

「好きにしろ」


 体を起こして天井灯のヒモを引っ張り、暗くしたところで布団に戻ってくる。


 あーもうこれ、こいつここで寝るじゃん。完全に未来が見えてしまった。

 今日は体力がないからあれだけど、あれだぞ、俺が元気だったらあれなんだからな。


 ――奈子さんとか、代わりに説明してくんねえかなぁ。

 圭次に頼んでみようかと思ったが、あいつにそれを頼んだら殺される気がする。


 そんなことを考えていたら、右手に柔らかいものが触れた。細くて温かい、悠羽の指だ。手慣れたやり方で俺の手を捕まえると、恋人つなぎを完成させる。器用なもんで、俺はずっと力を抜いていただけだ。


「お前、こういうの飽きないのか?」

「飽きないよ。六郎はもういいの?」


「……さあな。俺にはよくわからん」


 ため息交じりに呟くと、繋いだ手が緩んでいく。そういう意味じゃないと、握って離さない。


「なんて言えばいいんだろうな。……悠羽は、いてくれるだけでいいんだ。それだけで頑張れるし、俺は幸せなんだ」


 望むことはなにもない。ここにいて笑ってくれれば、それで満たされてしまう。手を繋げば心臓は高鳴るし、抱きしめれば癒やされる。けれどきっと、それは俺にとってプラスアルファのことでしかない。


「最近は仕事が楽しいんだ。元々好きだったけど、『もう少し仕事をすれば、悠羽と美味いもんを食いに行ける』とか『遊園地に行くには、あといくら稼げばいいんだろう』とか。そういうことを考えると、つい夢中になっちまう」


 一緒にいられる未来をイメージしたら、それで胸がいっぱいになる。

 だから、俺自身が手を繋ぎたいとか、抱きしめたいとか、他のいろんなことをしたいと思うことは少ない。だってもう、彼女は十分与えてくれているから。


 悠羽はなにも言わなかった。

 ちらっと横目で確認すると、そっぽを向いて首を震わせている。


「おーい」

「うるさいうるさい。なんでそう、六郎は、いっつも急にすごいこと言うの!?」


「いつも思ってることだから」

「もうやだこの人! アホバカ女たらし!」


「ども」

「褒めてるけどっ!」


 じたばた暴れる悠羽を眺めながら、ゆっくりと目を閉じた。

 しばらくすると彼女は落ち着いて、静けさが部屋を包んでいく。


「あのさ、六郎」

「ん」


「ずっと昔も、こんなふうに体調崩したことあったっけ」

「俺が?」


「そう。懐かしいって思うのに、上手く思い出せないの」

「あのときはお前、まだ小さかったもんな」


 その日を境目にして、悠羽が嫌いじゃなくなった。世界中の誰より大切だと思うようになったのは、あの日俺のために泣いてくれたからだ。


「……俺が熱出して倒れてさ。したら悠羽、『お兄ちゃんがしんじゃう』って言ってさ」

「そうだっけ。ごめん、やっぱり覚えてないみたい」


 ここまで言ってもわからないなら、きっともう彼女の記憶にはないのだろう。

 だけどそれを、悲しいとは思わない。


「いいんだ。俺が覚えてれば、それで」

「そのとき、私なにかしたっけ」


「なんにもできてなかったよ。……でも、側にいてくれた」

「そっか。なら、今とおんなじだね」


「そうだな」


 悠羽がいたから、一人じゃなかった。これからだって、一人になることはない。


「ね、あれ覚えてる? 中学生になったばっかりの頃、雨が降ったら迎えに来てくれたこと」

「――懐かしいな。悠羽が置き傘を学校に置かないから、よく傘持ってってやったよな」


 環境が変わって頭がいっぱいで、忘れ物が増えていた時期がある。傘を忘れてびしょ濡れで帰ってきた日があって、それからしばらく心配で迎えに行っていたのだ。


 結局、六月の終わりくらいに「恥ずかしいからもういい」と言われてしまったけれど。


「あの頃ね、六郎が来てくれるようにわざと忘れたりしてたんだよ」

「気づいてたよ。それくらい」


「そしたらクラスの子にブラコンって言われちゃって。だからもういいって」

「ま、そんなところだろうな」


「ごめんね」

「いや、俺としては迎えに行くほうが面倒くさかったから」


 全然近くねえ中学校まで歩くのは、普通に苦行だった。いつ終わるかわからない部活を待たなくちゃならなかったし。今思えば、あの頃の俺は辛抱強かったんだな。


「雨が降ったら、また迎えに来てくれる?」

「晴れてたって行ってやるよ」


「知ってる」


 くすくす喉を鳴らして、そのまま気持ちよさそうなあくびが聞こえた。


「おやすみ」

「おい……」


「知ってたでしょ?」

「まあ、な」


 こうなることは、布団に入られた時点でわかっていた。押されれば受け止めてしまう。

 俺のこれは、弱さなのだろうか。


 目蓋を閉じた。

 心地よい倦怠感と悠羽の体温に溶かされて、夢を見ることすらなかった。







「今日は勝てる、そんな気がするのよ」


 長い髪を三つ編みにした、丸い眼鏡の女性は開口一番にそう言った。

 更衣室で着替えを済ませ、サラブレッドの業務に取りかかる悠羽。彼女が未成年であるにも関わらず、橋本紗良は自身の趣味について語る。


「こういうのはね、最終的に運が収束するようにできているのよ。悪いことが続いた後には、いいことが続くでしょう。だから今日は当たる日なのよ」

「……そうですか」


 見た目は穏やかなお姉さんなのに、口を開けばギャンブル中毒者。運は収束する。というのをモットーにしている彼女は、負けた次のレースこそ強気の賭けに出る。

 これでトータルはプラスだと言うのだから、世の中は不思議だと悠羽は思う。


「あ、メープルの新作あるから。並べるときはあそこにお願いね」

「わかりました」


 賭け事と仕事の話題が交互に来るので、完全に聞き流すわけにはいかない。これがサラブレッドの難しさだ。人が辞めていくのも頷ける。


「今週も新作出したんですね。カボチャのあんパン出したばっかりなのに」

「こういうのはね、思いついたときにワッと出すもんなのよ。ジャックポットみたいに」


「なるほど……?」


 馴染みのない言葉でたとえられて、首を傾げる。

 レジ周りの備品を確認しながら、紗良が補足する。


「大当たりってこと。メダルゲームで、一気にメダルが出てくるときあるでしょう」

「あっ、あれのことですか」


「そうよ。うちで働くなら覚えときなさい」

「はい」


 こうしてパン屋で働くのに必要のない知識が増えていく。六郎が悩んでいた理由は、主にここにあるのだろう。


「そういえば、サブローくんは元気?」

「元気ですよ。あ、でも一昨日熱出してました」


「珍しいわね。あの子、体は丈夫な方でしょう」

「丈夫なんですけど、無理しちゃったみたいで」


 夏休みの六郎といえば、ほとんど毎日肉体労働に励んでいた。線が細いくせに、ちゃんと筋肉はついているのだ。


 紗良はトングをカチカチ鳴らして、砕けた笑みを浮かべる。


「悠羽ちゃんがいるから、安心して倒れちゃったのかもしれないわね」

「かもしれないですね」


 そうしてまた、一日が始まる。






 昼を少し過ぎた頃に、また熊谷がやってきた。

 今日もお気に入りのパンを買って、紗良と少しだけ話して帰っていく。


 その姿を作業場から眺めていた悠羽は、ふと思った。


(六郎と熊谷先生って……似てる)

4章のタイトルはまだ半分しか達成してません。

もう半分は?

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― 新着の感想 ―
[一言] まあでも、やっぱりストルゲーの感覚は残っていそうなんだよなあ。母親が子供に向けるような感情が入っていそうな気がする。 運が収れんする、なんていうのはギャンブラーのたわごとなんだけれど、競馬…
[一言] 投稿ありがとうございます。あと半分何が起こるか楽しみです
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