8話 ソーダ味のアイス
五月にしては異常に暑い日だった。
午後になると気温は30度を超えて、扇風機の風もぬるく感じるほど。
そんな日に、『ゆう』からの連絡が途絶えた。そこで初めて、考えたのだ。
学校に行かないで、彼女はどこにいるのかを。どうせ家にいるだろうと思っていたが、それは親に許されている場合だ。
もし仮に、そうではなかったら?
誰にもなにも言わず、ただ彼女が外をふらついている可能性を、どうして俺は考慮しなかったのだろう。
思考が繋がったら、行動に移すのは一瞬だった。仕事を途中で切り上げて、家を飛び出した。自転車を漕いで、街中を駆け回った。
新聞配達の区画より外に出るのは久しぶりだった。それでも、長い間住んでいる街だから道には迷わない。
近場からいそうな場所を当たっていって、結局、その姿を見つけたのはひどく懐かしい公園だった。
住宅街の中にあって、少し大きく、周りを木々に囲まれている。綺麗な公衆トイレもあって、かつ日中はそれほど人がいない。行き場のない人が時間を潰すには、絶好の場所だ。
そしてそこは、子供の頃に俺たちがよく遊んだ場所でもある。
二年空いても、悠羽の姿はすぐにわかった。ベンチに深く座って、俯いたまま動かない。
意識を失っているのかと思って、走って駆けつけ、うとうとしているだけだと気がついた。そこでようやく足を止め、自分が汗だくになっていることに気がつく。
足音で気づかれたのか、悠羽が顔を上げる。その顔に驚きが浮かぶ。
気まずくなって、俺は視線を逸らした。後頭部を掻いて、できるだけ乱暴に吐き捨てる。
「なんだ、全然元気そうじゃねえかよ……」
これじゃあまるで、心配して駆けつけたみたいじゃないか。
実際そうなんだが、悠羽にそれを悟られるのは嫌だった。
たまたま通りすがって、人が死んでると思って駆けつけた。みたいに解釈してほしいもんだ。
そのためには、さっさと退散するのが吉だろう。
お前になんて興味ないんだからな、というのを全面に押し出して、ため息を一つ。
「んじゃ、俺は帰るからな」
「ちょっ、ま――」
悠羽がなにかを言っている。
だが、俺としては会ってしまったこと事態が失敗なのだ。
「待ちなさいよ!」
「なんだよ」
振り返りはするが、刺々しく返す。悠羽は怯んだ。それでいい。そのまま諦めてくれれば、俺はまた『サブロー』に戻れる。
それでいいじゃないか。『ゆう』と『サブロー』会わなきゃなんの問題もなく、仲良くやれる。
なにを言われても、俺はここから立ち去るつもりでいた。
それなのに、
「二年もずっと、どこにいたの。馬鹿兄貴」
「だから、俺を兄貴って呼ぶんじゃねえよ」
悠羽は俺を、理解しすぎていた。
反射的に返してしまって、しまったと思う。その時にはもう遅かった。
会話が、始まってしまった。
「ずっと気になってた。どうして六郎は、名前でしか呼ばせてくれないの?」
「……なんだっていいだろ、そんなの」
焼き直しのようにはぐらかす。
だが、悠羽も成長した。昔のように引き下がってはくれない。
「それは、六郎がお父さんと仲が悪かったことと関係あるの?」
それどころか、聞き方を変えて攻めてきた。高三にもなってくると、薄ら気がつくことも多いのだろう。
俺たちの家がずっと抱えていた、歪みも。きっと友達と会話したり、世界が広がっていく中で気がついてしまった。
「ただの家出さ。男ってのは、親とか社会に反発したくなるもんだから」
「本当は、私と喧嘩したからじゃ――」
いつの間にか話題がすり替わっている。
悠羽自身も気がついていなそうだ。彼女は必死に、俺が一人暮らしを始めた理由を知ろうとしている。どうやら、二年前の喧嘩が原因だと思っているらしい。おまけに責任を感じているときた。
確かに悠羽は、小牧と別れた俺にいろいろ言ってきた。こっちも精神的にやられていたので、珍しく怒ってしまったが……あんなのは別に、どうってことない。少なくとも、俺にとっては。
「お前は関係ない。一人暮らしは、もっと前から決めてたことだから」
「いつから?」
「高三の12月」
受験勉強をみっちりして、共通テストまで残り一ヶ月を切って、仕上げに差し掛かっていたタイミングで、俺の人生は壊れた。
壊れたという表現は正しくないのかもしれない。だって、最初からそうなると決まっていたのだから。
悠羽と喧嘩したのは3月だから、関係あるはずがない。
「お前は悪くない。小牧だって一方的に振ったんだし、怒るのも当然だろ」
「でも……」
「暑いな」
まだ不満げな悠羽を遮って、暑い暑いとシャツをぱたつかせる。
実際、暑いのは嘘ではない。やっと息は整ってきたが、日光の下で汗は変わらず浮かんでくる。喉だって渇いてきた。
横目で悠羽を見る。まだ解放してくれそうにはない。
諦めて、懐から財布を取り出した。
「アイスでも食いながらにしよう。ソーダ味でいいだろ、お前は」
味が好きとかじゃなくて、色が好きだからそればっかり食べる。かき氷もブルーハワイ。それが悠羽の夏だ。
「覚えてたんだ」
「そんな簡単に忘れないだろ。年寄りじゃないんだから」
ほんの少しだが、彼女は嬉しそうに口元をほころばせる。
目を逸らして否定するが、随分小さな声になってしまった。
「六郎は、バニラ?」
「そうだよ」
「変わらないね」
「……そうだな」
ぎこちなく、それでもなんとか柔らかい表情を作る悠羽。
それに冷たくしてやれるほど、俺は優しくなかった。