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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
4章 最後の嘘は破れない
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78話 暗い道

 仕草や表情で嘘がわかるなんてのは、当たり前の知識だ。


 男は目を逸らす。女は目を合わせる。口元を隠す。手をポケットに入れる。口数が増える。その場にそぐわない笑みを浮かべる。髪を弄る、動作が大げさになる……挙げていけばキリがない。


 そうした要素を俺は見ているし、相手からも見られていると思っている。


 癖を隠すのは簡単なことで、有効だ。しかしそれでは、相手の思考を誘導できない。

 癖があると思わせれば、相手の意識はそこに向く。


 罠を張ったのだ。嘘を見抜いたと思わせて、悠羽の思考をそこで打ち止めにした。

 誰より俺のことを知っていて、ちゃんと向き合ってくれる彼女だからこそ――絶対に騙すことができる切り札。


 一度使ってしまったら、もう二度と使えない。

 それでいい。どうせもう、これで最後だ。







 休日昼間のコンビニ前。片手にコーヒーを持った俺と、紙袋を抱えた大男。


「三条は……最近どうだ」

「いや別に、なにもないですけど。熊谷先生の方は、なにかありましたか」


「あったと言えばあり、なかったと言えばない」

「順調とは言いづらそうですね」


「ああ」


 渋い声で頷く先生の横で、俺もため息を吐く。揃いもそろって辛気くさい顔だ。十月という季節は、なんとも言えない憂鬱さが心を満たす。


「あったことについて、お聞きしてもいいですか」

「名前を覚えていただけた」


「純情っ! それほんとに進歩してますか!?」


 それで喜べるのは花屋さんに恋した小中学生だ。いい年こいたおっさんのラブストーリーじゃない。


「それだけじゃない。よく買うのがチョココロネということも覚えてもらえた」

「チョココロネ好きなんすか!?」


「三条、本題を見失うな」

「なんでしたっけ本題って。ええっと……紗良さんをデートに誘えないってことか」


「そうだ」

「まあ、気持ちはわかります」


 冷めていくコーヒーを見つめながら同意する。

 悠羽に『父と和解した』と思わせてから早一週間。気がつけば時間はあっという間に過ぎ、なにも起こらないまま日常が続いている。


 あのまま畳みかけるように、「俺とお前は血が繋がっていない」と言ってしまえばよかったのに。

 言うと決めた。準備も整った。なのに、ずっと切り出せないでいる。


 忙しい日には「疲れたからまた今度」と言い訳をし、一緒に映画を見た日には「この楽しい空気を壊したくない」と、考えることを避けてしまう。


「三条は恋人を作る気はないのか」

「どうなんでしょうね。欲しかったり、いらなかったり、自分でもわかんないです」


 圭次に彼女が出来たと知った日は、確かに俺も彼女が欲しいと思った。ただそれは見栄や嫉妬、意地のようなものでしかなかった。思えば小牧と別れてから、誰か特定の人と恋をしたいと思ったことはない。


 否――俺はたぶん、生まれてから一度も恋をしたいと思ったことがない。


 小牧寧音はただ、落とされただけだ。気がついたときには恋をしていた。そこに能動性はない。どこまでも消極的で、怠惰な俺がいただけだ。


 あの時、彼女の手を自分から掴めなかったのは。

 そして今も、伸ばされた手を掴めずにいるのは。


「俺はたぶん、なにもないことに慣れちまってるんです」


 俺ぐらいの人間に、誰かを不幸にする力がないことはわかっている。俺といたくらいじゃ、小牧寧音は不幸にならなかった。

 自分なんかが、みたいに思うような卑屈さもない。下を見ればいくらでも人はいて、自分はまだマシだと思うから。


 だから、俺はただ慣れているだけだと思う。

 普通の人が感じる寂しさや、欠落を感じ取れない。友達や恋人を作ったり、人の輪の中に入ることに必要性を感じられない。


 昔はもう少し、繊細だった気もするけれど。


「三条を見ていて、今の言葉は俺も正しいと思う。ないのが当たり前だという考えは、俺も理解できる」

「そうですよね。そんなに特殊な感情じゃないと思うんですよ」


 昨日必要のなかったものが、今日になっていきなり必要になるわけじゃない。

 友達がいなくても、恋人がいなくても、親がいなくても、死ぬわけじゃない。


 コーヒーを飲んで息を吐く。ふと気がついて、熊谷先生の方を見た。


「って、先生は絶賛恋愛中じゃないですか。俺の気持ちがわかるとか、よく言えましたね」

「きっかけがあれば、人は変わる」


「はぁ」

「橋本さんに会うまでは、俺はこのまま独身でいるのだろうと思っていたし、それでいいと思っていた。だが、あの人を一目見たときにその考えは吹き飛んだ」


「…………」

「三条にはまだ、その時が来ていないだけだ。たった20歳で、なにもかも経験した気になるのは早すぎる」


「そうなんですかね」

「そういうものだ」


 深々と頷いて、熊谷先生は俺を見る。険しい顔についた瞳は、見る人にしかわからない優しさが込められている。


「いつか、そういう恋をお前もすることになるさ」


 なにもなくて当たり前だと思っていた俺を、変えてくれることがあるのだろうか。

 まだそう思えずにいるのが、先生の言うとおり、経験がないせいだとしたら――


 軽く息を吐いた。力を抜いて笑う。


「そこまで言うなら、先生はさっさとデート誘ってくださいよ」

「それとこれとは話が違うだろう」


「なんにも違わないですって」







『会って話がしたい。予定はなるべく、こっちが合わせるから』

『元カノがいつまでも自分を好きだと思うなよ!(笑)

 今はちょっと忙しいから、またね』


 液晶画面を確認して、わざとらしく肩を落とす。


「フラれたか」


 鼻で笑って、スマホを布団の上に投げる。

 ベランダに出て、ぼんやり浮かぶ月を見上げた。


 最高の彼女がいて、幸せな初恋があった。

 それで変わらなかった自分は、きっともう救われないのだと諦めていた。

 けれどもし、そうじゃないとしたら。


「俺としたことが、思い出補正に騙されてたのか?」


 案外そうなのかもしれない。

 小牧寧音を勝手に神格化して、それ以上などないと決めつけて、足を止める理由にした。


 情けない話だ。全てを自分で背負うと決めて、嘘を重ねて生きてきたのに。たかが初恋に、いつまでも囚われている。


 人より暗い道を歩いてきた。生きたいという意思一つだけを持って、悪意に晒されながら、敵意を剥き出しながら。

 その途中で、大切な人たちに出会った。


 一人は俺に勝るとも劣らないカス野郎で、人の不幸が大好きな変態。

 一人は俺を優しいと言って好きになってくれた、顔と胸が魅力的な美人。

 一人は俺の勉強を見てくれて、夢が途絶えたことを悔しがってくれた恩人。

 クソガキみたいな喧嘩相手もいた。料理にひたむきで、恋に不器用な年上の友人もいた。話しを聞いて受け止めてくれる祖母のような人がいた。うるさいだけで煩わしいチビどもがいた。ギャンブル好きの変人もいた。ゲームに誘ってくれる外国人もいる。


 もうここが、暗い場所だとは思わない。

 スポットライトの当たる舞台ではないけれど、星のある夜空くらいには、明るい場所だ。


 この先、どれだけの出会いがあるのだろう。

 俺は変われるのだろうか。


 閉じた目蓋の裏側に、愛しい笑顔が浮かぶ。泣きたいくらい胸を温かくする、大切な人がいる。


 全ての光の一番最初にいるのは――


「寒くないの?」


 後ろから声を掛けられ、振り返ると彼女が立っていた。温かそうなパジャマを着て、カーテンの隙間から顔を出している。

 ベランダは二つの部屋で繋がっているのだ。センチメンタルに浸るには、適した場所ではなかったと反省する。


「今日はそんなに」

「あ、ほんとだ」


 手を出して気温を確認すると、サンダルを履いて悠羽も出てくる。


「考え事?」

「まあな」


「六郎っていつもなにか考えてるよね。疲れそう」

「習慣になってるからな。ぼーっとしてる方が疲れる」


「そうなんだ」


 俺の横にきて、少女は夜空を見上げる。

 街中の空では、月とオリオン座くらいしかわからない。夏に見上げた夜空には遠く及ばない。


「お前はなにやってたんだ?」

「お勉強ですっ」


「そりゃいいことだ」

「褒めてくれてもいいんだよ」


「…………」


 手を伸ばして頭を撫でようとして、触れる直前で躊躇った。鋭くなにかを察した悠羽が、顔を上げて見つめてくる。


「どうしたの?」

「いや、たいしたことじゃない……こともないんだが」


 引っ込めた左の手をなんでもないと振るが、不安な顔をさせるだけだ。

 長く重たい息を吐いた。肺を空にして、数秒間だけ目を閉じる。ゆっくりと目蓋を開いて、覚悟を決めた。


「俺の話を聞いてくれないか」

「聞くよ。なにがあったの?」


「そうじゃない。俺の話っていうのは――三条六郎の話だ。俺自身のことなんだ」

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― 新着の感想 ―
[良い点]  いよいよ‥‥‥か?  嘘吐きの内面は実は案外単純だったり。  無いか。  二律背反で自縄自縛な墓穴掘り。  そんな救え無さが六郎らしいと思ってしまう。 [気になる点]  そしてそんな彼を…
[一言] うーん。嘘つきのレベルが高すぎて、本当に隠したいのは何なのかよくわからなくなってくる。 血縁が最高機密かと思ったけれど、そうではないみたい。彼自身の気持ちとかではないだろうなあ。 今義妹に血…
[一言] つ…ついに……!?
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