77話 癖
暴かれた嘘に固執しないのが三条六郎のルールだ。真実を言い当てなくとも、矛盾か不可解な点を挙げれば自分でその後は話す。
だから悠羽にとって、彼が言ってくれるのを待つ。というのには嘘を暴くという行為も含まれる。
父の見舞いに行ったとき、きちんと着替えなどが準備されていることに驚いた。あの病室で、頼る人もいないであろう彼はなぜか孤独に苦しんでいなそうだった。少し考えて、実家に帰る。という言葉に違和感を覚えたのだ。
悠羽は祖父母について、父方も母方も早くに亡くなったと聞かされている。だが、それは本当なのだろうか。今になって思えば、墓参りすら行ったことがないというのも不自然な話だ。
祖父母は生きていて、父は勘当されていたのではないか。そう思ったのは、身近に親との縁を切った六郎がいたからだ。
寝起きの彼に問いかけて、その反応を見る。普通の人なら見抜けないだろうが、確かな動揺があった。
正直なところ、悠羽は理詰めで矛盾点を言い当てられるとは思っていない。
そもそもこの男は、ありとあらゆる事象をねじ曲げる生粋の嘘つきだ。頭を使ってどうにかなるほど、簡単な相手ではない。
それでも勝算があるのは――嘘をつかれることを前提にしているからだ。
問題はどこで嘘をついたか。それだけである。そこが見抜ければ、なにかがわかる気がした。
「ねえ六郎。それって、どういうことなんだと思う?」
「……親族がいる、ってことなんだろうな。実家ってことは」
口元を手で隠して、あごを撫でながら答える青年。
「お爺ちゃんとお婆ちゃん、ってこと?」
「兄弟かもしれないけどな。引き取れるんだったら、年齢的にはそっちのが現実的だし」
「そっか。お父さんの家族のこと、なにも知らないもんね。私たち」
「親の人間関係なんて、興味もったことねーもんな」
後頭部の寝癖を気にしながら、適当な調子で言う。
これは嘘だ。
悠羽は記憶に留めておく。今の仕草は、六郎が雑な嘘をつくときのものだ。明かされても問題はないときの、呼吸同然のもの。
だからすぐには問いたださず、流しておく。
布団の上で座ったままの六郎は、気まずそうに悠羽に尋ねる。
「それで……あいつとは、なにを話したんだ?」
「二人で頑張りなさいって言われたよ」
「ダウト。そんなこと言うかよ」
「言ってたもん! 私は六郎みたいにポンポン嘘つかないから!」
見抜いてやろうと身構えていたのに、なぜか自分が嘘つき呼ばわりされて気に食わない。勢いよく否定する悠羽に、六郎は顔をしかめる。
「……まじ?」
「まじだもん」
「不思議なこともあるもんだなぁ」
いまいち中身のない答えに、少女は唇を尖らせる。もっと喜んだり、ほっとしたり、反応があってもいいのではないだろうか。いつの間にか悠羽と暮らすのが当たり前になっているのではないだろうかこの男は――というところまで考えて、それはそれで幸せなことなのか、と思って顔が熱くなる。
「おーい。急に固まってどうした」
「な、なんでもないし!」
目の前で手をパタパタされ、我に返る。だが混乱した思考はまとまらず、ここは一旦引き上げることにした。
不思議そうにする六郎に背を向け、
「ご飯作るから。できたら呼ぶね」
「俺もそっち行く。水飲みてえ」
「まだ酔ってるの?」
「いや、普通に喉渇いた。つか眠いし、シャワー浴びようかな」
「眠いままでいいんじゃない?」
「なんでだよ」
頭が回っていない方が都合がいい、とは言えず曖昧な笑みを浮かべる悠羽。怪訝な顔をした六郎は、けれど追及はせずに浴室へ向かっていった。
キッチンで一人になって、ため息を吐く悠羽。
今のところわかった嘘は一つだけ。
六郎は両親の人間関係について興味を持っていたことがある。
だが、それは悠羽を連れ出すために調べたものかもしれない。
あの男は、なんの意味もない嘘を平気でつく。隠す必要のないことを伏せることで、本当に隠したいことを悟らせないためなのだろう。
木を隠すなら森の中と言うが、六郎は嘘で森を作る。
それを暴くのは、やはり一筋縄ではいかない。
昨日からつけておいた豚肉をフライパンで焼いて、その横で味噌汁を作る。フライパンが空いたら、冷蔵庫に残っていた米を焼きおにぎりにする。醤油と味噌で二種類、軽く焦がすのがコツだ。ふんわり海苔で包んだら、いい匂いが広がる。
いまや和食は、レシピを見ないでも思い通りに作れるようになっていた。
サラダもできたところで、六郎が戻ってくる。
「いい匂いだな。……お、焼きおにぎりじゃん。食べていいか」
「つまみ食いは禁止です。机拭いて」
「へいへい。あ、ちょっとこぼれてんじゃん」
皿の外に落ちている塊を見つけると、すっと手を伸ばして口に放り込む。
「うまっ」
「もー。落ちてるの食べないでよ」
「床じゃないからセーフだろ。台の上は清潔だ」
「お腹壊すよ」
「胃薬は常備してる」
「そういう問題じゃない!」
台拭きをひらひら振って流す六郎に、唇を尖らせる悠羽。まるで反省しない彼の態度が、いつも通り過ぎて笑ってしまう。
正直なところ、父と会いに行くことで不安にさせるのではないかと思っていたから。
夏休み。母からかかってきた電話を受ける六郎は、見たことがないくらい怯えていた。だが、今回はやけに落ち着いている。
その理由も含めて、ちゃんと知りたいと思うから。
この夕食時に、さっきの続きを仕掛ける。
なにかで見た記憶に寄れば、人は食事中に本音で話すようになる傾向があるらしい。少しでも六郎が嘘をつきにくい場を作れば、反動でわかりやすく癖が出る可能性がある。
料理を並べて、二人で手を合わせる。
「この焼きおにぎり、前よりちょっと甘いな。俺はこっちのが好き」
「お醤油変わったからかな。ちょっとまろやかな味だよね」
ただ「美味い」とだけ言うのではなく、最近は細かい感想も言ってくれるようになった。それがモチベーションになって、悠羽はますます料理に力を入れている。
「和食はだいぶ極めたんじゃないか。正直もう、文月さんレベルだと思うぞ」
「レシピ通りには作れるようになったから、今は自分の味付けを探してるの。家庭の味は人によって違うから、自分で探しなさいって言われたし」
「なんか途方もない話に聞こえるな」
「これからはゆっくり、時間をかけてやればいいから。和食は一旦終わり。洋食もそろそろ作らないと。クリスマスまでに練習しときたいし」
「今から楽しみだ」
「うん」
なんの違和感もなく、クリスマスを一緒に過ごそうと決めてくれているのが嬉しかった。たとえ妹としてでも、大切にされるのは嬉しいものだ。
「でかいオーブンがあったら、ピザも焼けるって言うよな」
「ね。でも今のキッチンだと、ちょっと置く場所ないかも」
「まあ正直、ここまでちゃんと料理してくれると思わなかったし。キッチンの広い家にすりゃよかったとは思ってる」
「……つ、次はそうしようよ」
「そうだな」
自然に頷いてくれて、内心でガッツポーズする。言質取ったり。なにがあっても、次の引っ越しまではついていくと決意。
「クリスマスか……お前、なんか欲しいものあるか」
「プレゼントくれるの?」
「覚えてたらな。俺が選んでセンスないのも申し訳ないし、なんかあったら教えてくれ」
「六郎が選んだのなら、なんでもいいよ」
「それが一番困るんだって」
「困ってよ。それが嬉しいんだから」
「面倒くせえ」
「面倒くさいって言うな」
「じゃあマジックテープの財布買ってくるわ」
「やだぁ」
想像しただけで悲しい気分になる。どうしてクリスマスに、好きな人からそんなダサいプレゼントを贈られなくてはならないのだろう。
「それが嫌なら、ちゃんと考えといてくれ」
「うぅ……でも、六郎が考えた結果なら、マジックテープの財布を使うよ。私は」
「なにがお前をそこまで」
予想外の覚悟を見せる少女に、戦慄する六郎。ちゃんと悠羽の本気は伝わったらしい。
「紗良さんにも熊谷先生にも、美凉さんにも自慢するから」
「やめろ。俺が四方八方から袋だたきにされる」
そんなプレゼントを贈ったと知られれば、すべての知り合いから非難を浴びるだろう。想像しただけで、顔を青くする六郎。
「なんでもいいから、選んでよ」
「わかったよ」
諦めたように頷いて、またすぐに次の話題を探そうと六郎は視線を巡らせる。
そこでふと、悠羽は気がついた。
「……ねえ、なんか今日いつもより話してるけど。どうかしたの?」
「酔ってるから口数が多くなっちまうんだ」
「さっき、もう酔ってないって言ってたよ」
「覚えられてたか」
ため息を吐く六郎を見て、悠羽はほっと胸をなで下ろす。
父のことを話そうと思っていたのに、気がついたら向こうのペースに乗せられていた。話題を挙げてくれるから、楽しく話してしまったではないか。
避けたい話題にならないよう、別の方へ意識を持っていかせる。それも彼がよく使う技だ。
「お父さんのこと、話してもいい?」
「勝手にしろ」
ぶっきらぼうな言い方ではあるが、嫌悪感は薄かった。想像よりずっと穏やかな顔だ。
こんなことを言ったら、六郎は怒るのではないだろうか。そう思いながらも、悠羽は言わずにいられなかった。
「六郎のこと気にしてたよ。心配してた」
「珍しいこともあるもんだな」
やはり反応が薄い。これまでの様子を見る限り、六郎は両親のことを嫌悪していたはずだ。今はそれが感じ取れない。隠しているようにも見えない。
脱力して椅子に座った姿は、素の姿をさらけ出しているように見えた。
「もしかして、六郎もお見舞いに行ったの?」
父も六郎も、揃ってなにかを隠しているようではあった。
感情表現の不器用な男たちだ。和解していたとしても、それをおおっぴらに言いたがりはしないだろう。照れ隠しで嘘をつき、隠しても驚きはしない。
もしそうだとしたら、素直に悠羽を会わせたことにも納得がいく。
どれが嘘で、どれが本当か。
六郎はどこまで知っていて、なにを知らなかったのか。追及するべき嘘と、そうでない嘘。
一寸先も見えない濃霧の中で、悠羽はただ目の前にいる青年を見つめた。
六郎は口角をわずかに持ち上げる。相手をのみ込んでしまうほど、余裕に満ちた空虚な笑み。
それは彼が、渾身の嘘をつくときのサインだ。
「行くわけないだろ。入院してるのだって、病院が電話してくれたからわかっただけだ」
「行ったんだね」
即座に否定すると、六郎は目を見開いた。明らかな動揺。
悠羽の目をじっと見ると、やがて観念したように苦笑いを浮かべる。
「……行ったよ。仕方なく」
真っ直ぐな視線から逃れるように、目を逸らして呟いた。そこに嘘の気配はない。観念した六郎は、一転して本当のことしか言わなくなる。
「俺が行ったときは、実家の話なんて言ってなかったけどな」
「なんの話をしたの?」
悠羽は疑うのをやめて、質問を投げかける。
「それは言わねえ」
「なんで」
「恥ずかしいから」
「気になるって!」
「ぜってえ言わねえからな」
「嘘がバレたら隠さないんでしょ」
「バカめ。あれも嘘だ」
苦い顔で逃げようとする六郎に、しつこく絡む悠羽。
それはひとえに、六郎が父を許したことへの喜びからだった。
◇
簡単に見抜けるような癖を、俺が放置しておくはずないだろう?




