75話 終わりの始まり
――俺と悠羽は、血の繋がった兄妹である。
そんな嘘をついたことは、一度だってない。
だが、血の繋がらない義理の関係であることを言ったこともない。
あの家で、俺の出自に触れることはタブーだった。誰も触れないから、彼女は俺を普通の兄として認識していた。同じ家で育てば、血が繋がっていると勘違いするのは普通だ。
嘘には二種類ある。
言う嘘と、言わない嘘だ。
前者は正しさを偽りで覆い隠し、後者は偽りを正しさから遠ざける。
悠羽が間違った認識をしていると知りながら、敢えて気がつかないように誘導する。
それをしてきたのは、俺一人ではない。悠羽以外の三人――俺と、父親と、母親で守り続けてきた嘘だ。
わかり合うことのできなかった俺たちは、たった一点、そこでだけ協力関係にあった。
全ては彼女を傷つけないために。
その、はずだったのに――
「…………」
いつから俺を守るための嘘に変わったのだろう。
いつからその嘘は、彼女を傷つけるようになったのだろう。
誰よりも近くにいるから。ちゃんと見ようとしているから、わかってしまう。
彼女が俺を好いていること。兄としてではなく、特別な人として好意を寄せられていること。
勘違いだと思って、忘れてくれればいいと思った。
けれどそうはいかず、あまりに順調に俺たちの距離は近づいていった。
一緒に笑っているとき、ふとした瞬間に悠羽は寂しげな顔をする。泣きそうに顔をくしゃりと歪めて、すぐに笑顔で取り繕ったりする。
あいつは俺が気がついてないと思っているみたいだが――気がつかないわけがない。
家族としての繋がりは、もはや彼女を傷つけるだけだ。
俺が傷つくか、悠羽を傷つけるか。
そんな二択は、問う前から答えが決まっている。
終わらせよう。
いつかその時が来たら伝えると――悠羽を攫った日に、約束してしまったから。
俺にできる最高の嘘を一つ添えて、この時間に別れを告げるのだ。
◇
「奈子ちゃんとクリスマスデートがしたいっ!」
「うるせえよカス」
悠羽が病院へ見舞いに行った日に、俺は圭次の家で350mlの安酒を揺らしていた。これぞクズの本領。義理とはいえ父が倒れているのに、酒盛りをする無神経。おまけに昼という時間も相まって、いよいよ人間として終焉を迎えている。早いところ妖怪にジョブチェンジしたほうがいいかもしれない。
相対するのは、身の丈に合わない美女と付き合って約半年。付き合って三ヶ月でヤれる!という世論に反して、未だに綺麗な貞操を保った変態だ。相手にとって不足なし。
「クリスマスデートしたくてなにが悪い! 俺は奈子ちゃんの彼氏だぞ!」
「彼氏だったら普通に出来るだろ。そんな熱込めて言うまでもねえ」
「違う。俺がしたいのはただのクリスマスデートじゃない」
「面倒くせえから素直に言えよ」
「ヤリモクだ」
「死ね」
だがそれでこそ我が親友。二本目の缶を開けて乾杯。
ぐいっと煽って、ポテトチップスを口に放り込む。
「そんなに羨ましいなら、サブもとっとと彼女作ればいいだろーが。またマッチングアプリやってさ。クリスマス前の駆け込み需要、けっこうあるらしいぜ」
「だから、なんでお前はそんなに詳しいんだよ。回し者か?」
「サークルの先輩が浮気用によく使ってんだ」
「わざわざ金払って浮気するのキモすぎだろ。神経どうなってんだよ」
「曰く、クリスマス前にマッチする女はノリが軽いらしい」
「知りたくねえ知りたくねえ」
空になった一本目の缶を握りつぶして、隅の方に寄せておく。
頬を赤くした圭次は壁に寄りかかると、手に持った缶を掲げた。
「サブ好みのエチエチお姉さんもいるかもしれないぞ」
「エチエチお姉さんね……。俺には無理だろ」
「やっと身の程をわきまえたか。三年彼女なしの雑魚め」
「なんで死体蹴りするんだお前は。つーかまだ三年じゃねえ。二年だ」
「どっちも変わらんだろ」
「まあな」
ソフトさきいかを噛んで、のみ込む。酒を飲む。度数が低いので、まだ頭はちゃんと回っている。酔いにくい体質なのだ。酒に強いというわけではないが、セーブする癖がついている。
悠羽に〝いいね”を送ってしまったあの日からは、更に輪を掛けて警戒するようになった。
「エチエチお姉さんを狙わないということは、ロリか」
「そんな極端な性癖はもっちゃいねえよ。俺に期待しすぎだ」
「俺はぺったんこでもいいけどなぁ」
「一人で性癖の万国博覧会を開くんじゃねえ」
コップに注いでおいた水を飲む。水道水が不味くないのは、このあたりに暮らすメリットだと思う。
「……サブはよぉ」
「真面目なこと言うのか? 酔っ払いの分際で」
「酔わなきゃ言えねえこともあらぁ」
「だからライン告白なんだよお前は」
「結果良ければ全てよし!」
開き直られてはどうしようもない。仕方なしに、邪魔した話の続きを促す。
圭次は更にアルコールを体内に入れて、覚悟を決めた顔で口にした。
「サブはまだ、小牧さんが好きなんじゃねえの」
「なにを言うかと思えば、またくだらないことを。いいから水飲めよ」
場を濁そうとするが、圭次は止まらない。声を大きくして、真っ直ぐに俺を追い詰めようとしてくる。
「悠羽ちゃんといるのを理由にして、本当はただ、小牧さんが忘れられないだけなんだろう」
「……はぁ」
熱くなった圭次がクールダウンするのを待つために、立ち上がって水を汲む。
戻ってくると、少しはマシになったらしい。やや気まずそうに、しかし後悔はないと言いたげに座っている。
再び向かい合って、俺は半笑いを浮かべる。
「お前が言ってること、別に間違っちゃいないよ。俺は記憶力がいいから、忘れたくても忘れられないんだ」
時間の中で風化していく中でも、未だに強く残る想いはある。いつか消えるものだ。それでも、今は消えていない。
「こんなこと言ったってクソきめえ元カレにしかならねえんだけどさ……。あいつよりいい女なんていないって、わかってんだ」
付き合うよりずっと前、小牧が絡んできた頃からわかっていた。こんなに眩しい人はいないと。こんなに綺麗で可愛くて、俺を力強く好いてくれる人にはもう出会えないことを。彼女を振ったときでさえ、それが揺らいだことはない。
「それでも、俺はあいつのためには死ねない……なんだこれ。つまんねえ話になったな。オチも見つからねえし、やめようぜ」
湿っぽい恋の話なんて、酒のつまみにもなりやしない。もっと新鮮な不幸話を持ってこい。高校時代にいけ好かなかった誰それが、マルチにかかって破産したとか、そういう話がしたいのだ。俺は。
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