7話 暑い日
全国各地にある『恋人たちの聖地』とかいう鐘を鳴らす場所を、どうにかして一つでも破壊する方法はないだろうか。あるいは、鐘を鳴らすと絶対に別れる。みたいなジンクスを流行らせやしないだろうか。
そんなことを考えているうちに、今日も一日が終わりそうだ。ああ不毛なる我が人生。
マッチングアプリはぼちぼち、悠羽以外の女とも会話している。が、相変わらず不毛だ。
……まあ、悠羽と会話すること以上に不毛なことはそうないけど。
明らかにヤリモクみたいなのとか、名前がおかしい業者とか、怪しげな外国人とか。そういう目に見える地雷はもちろんだが、会話が始まってから首を捻るのも多い。
向こうから〝いいね”してきたのに、こっちから話題を提供しない限りなにもアクションがない。会話を盛り上げようと四苦八苦してメッセージを送っているのに、『ですよね』しか返ってこなかったりするやつら。イライラはしないが、相手をしていて疲れる。辛い。なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。という気分になる。
ため息をついて、今日もまた一人、会話を打ち切ることに決定。
メッセージ欄のトップに居座るのは、引き続き『ゆう』というアカウントだ。
「うぐぐっ……」
しかもこいつとの会話、どんどん弾んでいってるんだよな。
返信のテンポは、早いときで1分。長くとも20分まで縮まっている。こっちが30分リズムをキープしても、向こうは構わずポンポン送ってくる。
会話だって、俺が「そうですよね」としか送らなくても、『ゆう』は「〇〇なんですか~?」と次に繋がる質問を投げてくる。おかげで途切れる気配がない。
違うんだ。
俺はどうせ、そのうち悠羽が他の男のところに行くと思ってたんだ。だってあいつ、顔はいいし、メッセージの返信も早いし。このマッチングアプリでは、無双できるポテンシャルがあるのは間違いない。
だというのに、
「お前と俺が上手くいってどうすんだよ……」
頭を抱えて呻く。
最初こそ、ちょちょっと引っかけていつかからかってやろうと思っていただけなのに。気がつけばずるずると、今や一番の話し相手になってしまっている。
圭次とも毎日電話するわけじゃないし、ほんと、ぶっちぎりなんだよな。
ここまでくると、なんかこう、ちょっと怖い。俺ってば取り返しのつかないことをしたんじゃないかって、不安が鎌首をもたげる。
今度会ったとき、からかいじゃ済まなくて、刺されるかもしれん。
会いたくねえな……。
絶対に帰省しないという意志をさらに固くして、最新のメッセージを確認する。
『サブローさんは、どんなお仕事をしているんですか?』
さて、困った質問だ。
すごーく困る質問だ。これは。
高校卒の一人暮らしとプロフィールに書いてしまった手前、無職とするわけにはいかない。年収だってある程度は記載している。
そこで嘘をつくといざってときに問題があるので、医療系、年収1000万とかはやってません。ちゃんと自営業、年収300万未満にしている。
ここはオブラートに包みつつ、嘘はつかない方向でいくか。
『アルバイトと在宅の仕事をしています。最近はちょっとずつ、アルバイトを減らしているところです』
うん。こうすればなんか、事業がちょっとずつ上手くいってる感がでるな。
実際のところは、割のいいアルバイトをした方が儲かるんだけど。将来的なことを考えて、去年からいろいろ試している。
この話題はあまり続けたいものでもない。次の返信は遅めにしよう。そうすればきっと、悠羽は察してくれる。
スマホをスリープ状態にして、ベッドに横たわった。
体力なんて一日の終わりには使い果たしている。
ほとんど気絶するように眠り、朝が来るのを待つだけだ。
「あっつ……」
翌朝、新聞配達を終えて家に戻る頃には、体が異変を感じていた。
まだ本調子ではない日差しが、既にかなり暑い。シャツの下は汗ばんで、皮膚とくっついてしまっている。
まだ五月の半ばだというのに、ここ最近の気温は夏のようだ。気温の急激な変化で体調を崩さぬよう、気をつけないと。
俺は一人だから、体を壊すわけにはいかない。
仕事の信用も、食事の準備も、病院に行くことでさえ、一人でこなさねばならないのだから。健康には昔よりずっと気を遣っている。
水分補給をしてからシャワーを浴び、朝食をとる。食欲はある。
麦茶を常温で作って、一時間おきに飲めるよう作業机の脇に置いておく。
『ゆう』からの返信は朝一に来ていたが、すぐには返さず置いておく。仕事の話は、して面白いものでもない。
パソコンを起動して、依頼されたタスクをこなしていく。
十一時になって、ふと顔を上げた。立ち上がって伸びをする。背骨がボキボキ鳴る。水分補給をして、少しベランダに出る。
「あちぃな」
日差しはいっそう強さを増し、凶悪なほどに地球を照らす。なんの恨みがあるというのだ。もっと優しくしてくれたっていいじゃないか。そんなことを俺が思ったところで、なにか変わるわけでもない。
かざした手から、薄めで見る空は青い。
アプリを開いて、メッセージを確認する。
『自立した大人って感じがして、憧れます』
これは皮肉か、いや、素直な感想だろう。向こうはこれが俺だと知らないのだから。
「……そんなんじゃねーよ」
その上で、あまりいい気分にはなれない。
ちょっとよく書きすぎたのかもしれない。自業自得だ。あほらしい。
予定通り、さっさと話を切り替えるとしよう。意趣返しではないが……そうだな。
『憧れなんてそんな。自分からすると、高校の方がよかったなって思いますよ』
嘘ではない。だが、これを見てあいつはどう思うだろうか……。
まあ、いいか。別にこれくらい送ったところで、そこまで影響はないだろう。
送信して、部屋に戻る。
急遽取り出した扇風機の風に当たって、麦茶を飲む。飲み物は常温。お腹が冷えるとよくないので。
昼まではあと一時間。もうひと踏ん張りするとしよう。
カタカタとキーボードを叩いて、依頼された文章を制作する。無機質な仕事でも報酬は入るので、あまり深く考えてやらないのがコツだ。大切なのは、数をこなすこと。
指定されたノルマをクリアしたところで、納品する。
集中していたら、あっという間に12時だ。
どれ、返信は来てるかな。
アプリを確認するが、『ゆう』からはなにもなかった。
代わりに別の女から「はい」とだけメッセージが送られている。丸一日間隔を空けて返事一つ。自己紹介が終わる頃には、どっちかが骨になっていそうなペースだ。
「はぁ……」
結局、悠羽とのやり取りが一番快適なのだ。返信早いし、ちょっとは相手のことを知っているから、話題の振り方もやりやすい。
他の女がダメだってわけじゃない。ただ単に、俺が初対面の相手へアプローチするのが下手なだけだ。
わかってる。わかってるけど……だりぃな。
返信は適当に、
『そうなんですよ』
だけ送っておく。これで返ってこなかったら、もうこの人とも終わりにしよう。
スマホを置いて立ち上がり、簡単な昼飯を作る。インスタントのラーメンを茹でて、もやしを載せ、卵を落とす。
パッと作って、無感情で食べる。
安くて簡単で、最低限の栄養が取れる。しかし、それ以上でも以下でもない。味に文句はないが、美味いと思うことはない。ゆえに無感情。
一人の食事は、ただ生きるための行為だ。
テレビのないこの家で、唯一の娯楽は無料の動画サイト。最近はニュースもここで見れるので、重宝している。これがなかったら、本当に俺は社会から隔絶されてしまう。
動画を見ながら食事を終え、片付けて少し休憩。
引き続き動画を見つつ、ぐったり椅子に座る。午後の仕事はそこまで多くない。さっさと片付けて、今日は買い物にでも行こう。
予定を確認して、またスマホを確認してみる。やはり返信はない。
「今日は学校行ってんのかな」
その可能性だってある。ころっと考えが変わって、行動も変わるなんてよくあることだ。
そうだとすれば、それに越したことはない。
行けないのに行けとは言わないけど、行けるなら行くに越したことはない。学校はそういう場所だ。
……外は暑いしな。
ちらっと外を見た。青い空。高い雲。まるで夏みたいだ。
こんなに急に暑くなったら、熱中症で倒れる人もたくさんでるだろう。
「――いや、まさかな」
◆
「あっつ……」
強い日差しを浴びて、悠羽は忌々しげに空を見た。
季節が夏に移りゆく中で、太陽の角度も変わったのだろうか。この間まで木陰だったベンチは、半分ほど日向になってしまった。残り半分に身を寄せて、どうにかやり過ごしている状態だ。
気温は確認したくなかった。数値を知ると心が折れてしまいそうだ。
体感では、30度ある。湿度の高い空気がべったりと肌にまとわりついて、水筒の中身で喉を潤しても爽快感はない。
だが、なぜか悠羽はこの状態に落ち着いてもいた。
(悪い子は、ひどい目にあわなくちゃ)
学校をサボっているところに加え、六郎を自分の誤解で傷つけたことが重なって、自己嫌悪に陥っていた。
謝りたいと思うのに、二年という時間は長すぎて。今更どうやって切り出せばいいかもわからない。
マッチングアプリで唐突に、
『私はあなたの妹です』
などと言えば、六郎は慌てて逃げ出すだろう。
いや。実際はそんなことないのかもしれない。
「あいつも、気づいてるのかな……」
その可能性は十分にある。なんたって六郎は、悠羽と違って頭が切れる。
学校の勉強もそうだし、それ以外のところでも。悠羽が困っていれば、いつだって知恵を貸してくれた。普通の人には思いつかないような、斜め下の解決法なんかも簡単に思いついて――
そんな彼を、誇りに思っていた。
だから、悠羽が気づくことは六郎だって気がつくと考えるべきだったのだ。
スマホを握って、上を向いて、おでこに載せる。ぬるい液晶画面。
(このまま、消えちゃいたい)
家に帰れば気まずくて、学校に行けば周りの子が羨ましくて。居場所なんてどこにもない。
――六郎くんは、優しいから。
寧音が言っていた。そうだ。六郎は優しいから、自分に構ってくれていただけだ。
あんなに酷いことを言ったのに、それでもなお、優しくしてくれるのだ。
彼は決してできた人間ではない。性格は歪んで、人の不幸を願う。それでも、大切な人には優しくあった。きっと普通の人以上に、自分の周りにいる人を大切にする。
その優しさに甘えている自分が、嫌だ。
返信はできない。スマホをスリープにして、ベンチにぐったり寄りかかる。
どれくらいが経っただろうか。
人の気配がして、ふと顔を上げた。
心臓が止まるかと思うほど、悠羽は驚いた。叫び声が出なかったのは、直前まで微睡んでいたからだ。いつもなら大声を上げてしまっていた。
開いてしまった口を閉じることすら、彼女にはできなかった。
「なんだ、全然元気そうじゃねえかよ……」
頬を伝う汗を手で拭って、その男は怠そうに息を吐く。肩が上下していて、一目で走っていたのだとわかる。
「んじゃ、俺は帰るからな」
悠羽がただ目を閉じていただけだとわかると、踵を返して去ろうとする。
「ちょっ、ま――」
待って、と言おうとして、慌てて修正する。そんな情けないことは言ってたまるか。
自分に非があったとはいえ、喧嘩別れして、二年も行方をくらませていたのはこの男だ。そう思えば、怒りだって湧いてくる。
「待ちなさいよ!」
「なんだよ」
心底嫌そうに、六郎が振り向く。伸ばした前髪からのぞく目は、困ったように垂れている。怒ってはいない。
悠羽は一歩前に出て、勢いよく食いかかる。
なにか、なにか彼を引き留める言葉を。そう思った瞬間、一つの答えが浮かび上がる。
「二年もずっと、どこにいたの。馬鹿兄貴」
兄貴。と、その単語に六郎は目を見開く。
それから、記憶の中にあるのと同じ顔で、嫌そうに、困った顔で、けれど怒りはせずに首を横に振る。
「だから、俺を兄貴って呼ぶんじゃねえよ」