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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
3章 嘘つきと蛇の物語
62/140

62話 タイミング

 風鈴の音が寂しく聞こえて、つられるように悠羽は顔を上げた。網戸越しの風は、温もりの中に秋の涼しさを含んでいる。

 セミたちの合唱もどこか弱く、風の匂いも青さが消えていた。


 季節の変わり目を実感したのは、久しぶりのことだった。

 いつもの夏は、休みが終わってしばらくして、文化祭がある頃にようやく終わったと知る。他の季節に関してもそうだ。雪がちらついて、桜が咲いて、それでやっと変化に気がつく。


 けれど今年は違った。


 この時間の終わりがとにかく惜しくて、ゆえにはっきりと実感する。

 夏が終わっていく。





 美凉が出す屋台の準備は、仕上げの段階に入っていた。使うテントは既に神社へと運ばれており、組み立ても夕方までに済ませた。今は村の集会所に集まって、お品書きなどを作っているところだ。


 ポスカを使って、紙の上に見やすいよう大きめの文字を書いていく。悠羽は字が綺麗だから、という理由でその下書きを担当した。ゆえに作業はすぐ終わり、あとは見守りの時間である。


 熱心な顔で色を塗っていくのは、昔から美凉と関わりのある咲恵さえという少女だ。丸っこい顔で眼鏡をかけた、優しげな笑みを浮かべるのが特徴的だ。年が近いこともあって、悠羽は作業中よく彼女と一緒にいる。


 雑談混じりに作業をしながら、リーダーの帰りを待つ。

 ついに祭りは明日。つまり、美凉が利一に告白するなら今日のはずだ。

 悠羽も咲恵も、その他の面々もそわそわしていた。だが、敢えて誰も口には出さないでいた。黙々と自分の仕事をするフリをしながら、一定時間ごとに入り口の方へ視線を流す。


 音を立てて扉が開いたのは、夕方の6時を回った頃だった。

 ぱっと顔を上げた先に、ポニーテールのシルエット。逆光で表情の見えない彼女は、近づいてくるとぱっと笑顔を咲かせた。


「みんなありがとねー! 作業はどんな感じ?」


 蛍光灯がその顔を照らしたとき、誰もが息を呑んだ。

 いつものように表情筋をしっかり使って、大きく笑みを使う美凉のその目が――赤く腫れていたから。


 悠羽と咲恵は顔を見合わせ、すぐに逸らす。慌てて取り繕おうとする彼女たちの方へ、美凉は歩いてきて、しゃがみこんだ。


「おおー。綺麗にできてるね。もうちょっとで終わりそう?」


 こくこく首を上下に振る咲恵に合わせて、悠羽もなんとか肯定する。

 誰の目に見ても、美凉にあったことは明らかだった。ただ、誰にもそれを口にする勇気はなくて。どうしようもない沈黙が室内に満ちていく。


 一巡したところで、再び美凉は全体に向けて声を掛けた。


「スタートは明日の夕方だから、今日はこのへんで終わりにしよっか。ちゃんと休んで、元気いっぱいで頑張ろう!」


 威勢良く拳を突き上げる動作に反して、ポニーテールはしゅんとしている。


「それじゃ、あとは任せるね!」


 口調だけははきはきと、誰かが問うてしまう前に美凉は踵を返して出ていった。

 それでようやく、悠羽たちの静止も解ける。


 ――追わなくちゃ。


 そう思って、腰を浮かす。だが、彼女が動くよりも先に咲恵が飛び出した。その後ろを追って外に出る。

 出口からすぐのところで、美凉はうずくまっていた。咲恵に抱きしめられ、肩をふるわせ泣いている。


 悠羽は立ち尽くし、それからゆっくりと近づいていく。胸のところに添えた手が小さく震えて、ぎゅっと握りしめる。

 ゆっくり近づいて、二人の横にしゃがんだ。


 この村で共に育ち、ずっと美凉を見てきたのは悠羽ではない。だから彼女は、咲恵のように抱きしめてやることはできなかった。

 ほんの少しの疎外感と、この夏の間に積み重ねてきた友情でここにいる。


 アスファルトには涙で染みができていた。美凉の漏らす嗚咽が、セミの声よりはっきり聞こえて、胸が苦しくなる。


 彼女の姿を見て、悠羽は大きく影響された。

 好きな人を好きだと言って、真っ直ぐな恋をする彼女が羨ましくて、憧れた。自分の中にある感情を無視できなくなったのも、彼女の存在が大きい。

 だから勝手に共感していたし、応援していた。


「利一さん……もうすぐ結婚するんだって…………。留学先で会った人と……」


 零れた言葉は頼りなくて、鼻をすすりながら絞り出される。


 咲恵が背中をすすりながら「それは本当なの?」と問う。狭い田舎だ。そんな話があれば、既に皆が知っているはずだ。大高利一という男は、隠し事が得意なタイプでもない。


「わかんないよ……でも、利一さんに迷惑だって思われちゃうのは、嫌だよ……」


 くしゃりと紙を握りつぶしたように、美凉が笑う。


「あたしね、ほんとは気づいてたんだ。利一さんにとって……8個も年下の私なんて、妹にしか見えてないってこと」


 彼女にとっては、利一が結婚するかどうかは関係なかった。ただ自分の恋が成就しなかった。それだけだ。


「告白したらフラれるって知ってたから、10年もかけちゃった……ほんとバカみたいだよね。あはは……」


 そんな笑い方をする美凉は嫌だなと、悠羽は口の中を噛む。けれどなにも言えない。咲恵ですら黙っているのに、悠羽に言えることなんてなかった。

 嘘笑いの後に、美凉は電源が切れたように下を向いた。


 掠れそうな声で呟く。


「帰りたくないなぁ。お婆ちゃんにも、ロクくんにも会いたくない」

「うちに来なさい。話聞くから。ね、悠羽も」


 咲恵は丸っこい顔で母のように優しく言い、隣にいる少女にも声を掛ける。


「あ、うん。私も……いいの?」

「いいに決まってるでしょ。みっちゃん、文月さんには電話するから。おうち行こ?」


「……うん」


 自分もなにか言わなければと、悠羽も必死に口を動かす。


「美凉さん……」

「ごめんね」


 だが、それを遮るように美凉が謝った。

 その横顔は弱々しく、笑顔のない空っぽだった。







 悠羽から電話がかかってきたのは、風呂から上がってすぐのことだった。

 応答して、縁側に腰を下ろす。


「もしもし六郎? 私だけど」

「おう。今日は友達のところに泊まるんだってな。準備が間に合わないとかなら、俺も手伝おうか?」


「大丈夫。ただの女子会だから」

「そっか。なら安心した。事故とかじゃないならいいんだ」


「連絡遅れてごめんね」

「次から気をつけてくれればいい」


 と、そこまで会話が進んだところで途切れた。


 せっかくの女子会なんだから、俺と長電話したいわけでもないだろう。単純に切るタイミングを逃しているのだろうか。

 ……いや、この雰囲気は違うか。


 しばらく待ってから、それでも続く沈黙に続きを促してやる。


「なにがあったかは言わなくていいから、言いたいことだけ言え」

「ええっとね……私はなんとかしたいと思ってるんだけど、私にそんな資格があるとも思えないし、正しいのかもわかんないし、それをやりたいのも自分の勝手みたいなことがあるんだけど、どうすればいいのかなって。……これじゃわかんないよね」


「ちょっと待ってろ。考えてみる」


 言いたいことだけ言えとは言ったが、こんなに曖昧だとは思わなかった。まじで一ミリも内容は理解できない。


 けれどまあ、悠羽がなにかに葛藤しているのは伝わってくる。

 そこに焦点を合わせれば、全く意図が伝わってこないというわけでもない。


「要するに、間違ってることを正したいんだろ。自信はないけど、そうしなきゃいけないって思う――そういうことだな」

「うん。すごくそう」


 すごくそうってなんだよ。と指摘したい気持ちはあったが、のみ込んでおく。茶化していい空気ではないから。


「だったらそういう時の、俺の行動方針を教えてやる。使うかどうかは、自分で決めろ」

「わかった」


「自分で考えて、自分で行動しろ。その上で、すべての責任を負う覚悟をしろ。――それが最大限払える誠意だ」


 悠羽を連れ出すと決めたあの日、俺は誰の力を借りずとも行動するつもりだった。圭次が助けてくれたけれど、それがなくても行動したのは変わらない。彼女のその後の生活についても、俺が連れ出すことによって生まれる問題も、すべての責任を負う覚悟があった。だからできる限りの手を尽くして、大人たちとも対峙した。


 傷を負うだけの覚悟がないなら、なにかを正すことなんてできやしない。俺から見える間違いは、他者から見れば正しさだ。誰かの手から正しさを奪うなら、そこには必ず軋轢が生まれる。


 息を吐いて目を閉じる。

 本当は、悩んでいるのならちゃんと聞きたい。代われるなら代わってやりたい。けれどきっと、彼女はそれを望まないから。

 言葉を切って、締めくくる。


「こんな感じでいいか?」

「ありがと。ためになった」


 電話越しの声は、いくぶんすっきりしていた。ちょっとは効果があったらしい。


「ならよかった」


 首の後ろを掻いて、息を吸う。

 せっかくだし、今のうちに明日どうするか話しておくか。


「あ、呼ばれてるみたい。そろそろ戻るね。おやすみ」

「あのさ悠羽。祭りなんだが――」


 声が被って、ぷつりと通話が終わる。

 ロック画面に戻ったスマホを見つめて、しばし思考を停止。


「…………」


 まあ、そういうこともあるよな。







「――あれ、六郎、なにか言いかけてなかった?」


 通話を終了したあとの画面を眺めながら、悠羽は慌ててメッセージを送る。


『ごめん。なんて言ってた?』


 しばらくして、返ってきた文はそっけなかった。


『なんでもない』


(絶対なんかあるじゃん……!)


 すぐにでも問い詰めたかったが、それどころでもなかった。ガールズトークは過酷なのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] まあ、すぐにはうまく行かないよね… それが口実かどうかは。本人はともかく、周りにとっては大きな問題だと思えるけど。 あるべきありようも、自分が考えているだけのもの。なら、それが正しいものな…
[一言]  おおう‥‥‥おおう‥‥‥。  半ば予想していたとはいえ‥‥‥。  生きるとは苦痛の第一歩とはいえ。
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