61話 夏を送る
村の外からも、屋台を出店する人々は集まってくる。日ごとに女蛇神社はその姿を祭りに向けて変えていき、参道の両脇には行灯が吊り下げられる。
俺はといえば、夏の終わりに駆け込んできた客を相手にゲストハウスを仕切りながら、防火訓練に顔を出したり、働き手の減った畑に引っ張られたり――輪を掛けて忙しい毎日を必死に過ごしていた。
この時期になると、村の子供たちも全員参加でなんとか仕事を回す。宿題を見てやったちび共が、あちこち駆け回って立派に仕事をこなす。面倒なものは俺と一緒に済ませたので、ほとんどの子供が宿題を完了させているらしい。
利一さんは屋台用のメニューを試行錯誤して、加苅は彼女の率いるメンバーでなにかしらしているらしい。悠羽もその中で頑張っているらしく、最近は話す機会もほとんどない。
終わりゆく夏の、その集大成に向けてそれぞれが動いている。
ゲストハウスの仕事を終えて、ほっと一息つく。
本日最後のチェックインは、午後8時にやってきたバイク乗りの女性。一人旅の途中らしく、トラブルで到着が遅れたらしい。彼女にご飯を食べられる店を紹介して、ようやく引き上げたのは1時間後だった。
家に戻ると、俺以外は食事を終えて台所には文月さんだけが残っていた。
「おかえりなさい。遅くまでごくろうさま」
「ただいま。お腹空いた」
「今から温めるから、座って待ってなさいな」
「ありがとう。――あ、文月さん。明日来る客なんだけど」
予約の確認をしているときに目に入って、ひどく驚いたものがある。
あの野郎、お泊まりデートはできないくせに、旅行に連れ出すことは成功したらしい。
ネットからの予約だったらしく、今日確認するまで気がつかなかった。
「新田圭次ってやつ、俺の友達なんだ」
「あらあら。ロクちゃんのお友達さんなのね。楽しみだわ」
湯気の立つ料理を並べて、卓上に並んだ大皿のラップを取る。一通り用意ができると、文月さんは俺の前に座った。
「どうぞ」
「いただきます」
手を合わせ、本日も文月さんの手料理をいただく。熟練の和食は、何度食べても飽きが来ない。バリエーションの豊富さもさることながら、一品一品の完成度が非常に高い。旅館で出されても気がつかないほどだ。
箸を動かす俺の前で、文月さんはお茶を飲んで目を細めている。
孫を眺めるような視線、とはこのことだろうか。いまいちピンとこないが、優しい視線は心地よい。
「もうすぐロクちゃんたちがいなくなると思うと、寂しいわぁ」
「俺だって寂しいよ。でも、戻らないと」
「ゆうちゃんの学校があるものね」
「うん。それもあるし……やっぱり俺は、ここにいるべきじゃないって思ったから」
「いるべきじゃない、とはどういう意味?」
穏やかな口調の問いに、口元を緩めて微笑む。
「ここは居心地がよすぎて、甘えたくなる。きっとそのうち俺は頑張るのをやめて、毎日に満足する――それが幸せってやつで、悪くないのはわかるんだけどさ。まだ、足掻いてみたいんだ。俺はまだなにもやり尽くしてない。自分にできることを知って、それでもここがいいって思ったら……その時は、戻ってくるよ」
「そう。やっぱり、大きくなったわ」
二年前はただ、あの街に戻らなくてはと思った。残してきた悠羽が心残りで、けれど彼女に会う勇気もなく、半端なままでここを立ち去った。
でも、今回は違う。
ちゃんとやりたいことがあるから。なりたい自分が見えそうだから。
挑むために、ここを出ていく。
「帰ってきたら、またご飯作ってくれる?」
「もちろん。ロクちゃんはよく食べるから、作りがいがあって楽しいんだから」
「そっか。それはよかった」
つくづく自分は恵まれていて、世界は広いなと思う。
学生時代には、こんなに優しくしてくれる人がいるとは知らなかった。あの狭い校舎だけが世界だった頃は、世の中には敵の方が多いのだと、真剣に信じていたものだ。
現実は違った。
世の中の大半の人間は、俺に興味などありはしない。そして人は、興味のない相手に敵意を抱かない。敵意なく始まった関係は、やがて友好的なものへと変わっていく。
高校を出てから知り合った人は、味方の方がずっと多い。
「年賀状くらいは出してちょうだい。元気にしてるってわかるから」
「わかったよ」
まあでも、近い将来にきっとまた来ることになる。
俺にとってこの村は、帰ってきたい場所だから。
◇
「さぁぁああぶぅうううう!」
「相変わらずきめえなぁ」
次の日の夕方。予約通りにゲストハウスへやってきた圭次を出迎える。自分の車でここまで運転してきたらしく、長旅の疲労が顔に浮かんでいた。
「つーかお前、よく旅行なんてできたな。なに盛ったんだ?」
「誓ってなにもしていない! 催眠も睡眠剤も使ってない!」
「まじかよお前。立派になりやがって」
「夏が俺を、また一つ大人にしちまったのさ――」
「お前の部屋ねえから」
気取った茶髪を手で掻き上げる仕草がうざくて、うっかり圭次の予約をキャンセルしてしまった。まあでも、圭次なら大丈夫だよな。そのへんに砂利とかあるし。夏だし。
「ごめんなさい六郎さん。圭次さんったら、久しぶりに会えてはしゃいじゃってるみたいで」
後ろから現れた奈子さんは、いつものおっとりした顔をしている。疲労が少しも感じられないあたり、やはり底知れないものを感じる。
「圭次さん。お仕事中なんだから、あんまり邪魔しちゃダメですよ」
「わ、わかってるよ奈子ちゃん。っていうか俺だって、はしゃいでたわけじゃないからね」
「ふふっ」
弁明するも、微笑み一つで簡単にかわされる圭次。この二人の関係はなんというか、一周回って仲睦まじいな。
「敷かれてんなぁ」
「奈子ちゃんにはかなわないぜ……」
幸せそうにため息をついたところで、注意書きを渡す。サインを書かせて二人を部屋に通す。
ちなみに部屋は別々。奈子さんが個室で、圭次がドミトリー。さすがに同室とはいかなかったらしい。やはり奈子さん、ガードが堅い。
今回の旅行にゴーサインが出たのも、俺と悠羽が女蛇村にいるから。という理由らしい。特に悠羽が屋台に関わると知ってから、奈子さんも乗り気になったという。感謝してほしいもんだ。
せっかくの旅行を邪魔するのも悪いから、仕事が終わり次第すぐにゲストハウスから引き上げた。
家には直行せず、女蛇神社によって作業の進み具合を確認する。
俺がいてもすることはないが、気になってしまうのだ。
遠巻きに眺めれば、参道のあっちこっちで大人たちが話し合いをしている。その中には加苅も混ざっていて、難しい顔をしていた。
二年前はただ噛みつくことしかできなかった少女が、今は大人たちと共に悩んでいる。
なるほどどうやら、俺の出る幕はないらしい。
大人しく家に帰って、文月さんとご飯を食べる。今日も悠羽は、学生たちでの準備で忙しいらしい。
祭りはいよいよ明日に迫り、誰もが仕上げに必死になっている。もちろん俺も、朝からあっちこっちへ駆り出される予定だ。
寝る前に加苅に声を掛けよう。それから悠羽に、祭りを一緒に回るか聞いておこう。
明日という日が、良い一日になるように。
――だが、その夜。悠羽と加苅が帰ってくることはなかった。




