58話 変われない
「六郎はいっつもヘンタイなことばっかり考えてるんだ」
「そうだが?」
「――っ、な、なんで平気でそういうこと言うの!? 馬鹿なの!?」
「残念、賢さ高めのクズだ。倫理観はさっき川に流した」
岸に上がってカーディガンを羽織り、胸を隠すように体育座りで丸くなる悠羽。どうやらこいつは、俺が自分の胸に興味津々だと思っているらしい。
俺、今回ばっかりはなーんも悪くなくね?
むしろ下着が透けるのを阻止したわけだし。救世主だし。少なくとも、怒られる筋合いはないよな。これで怒るのが女心ってもんなんすかね。
「妙な勘違いしてるみたいだけどな、俺が好きなのは年上の危険なお姉さんだ。変な意識してるんじゃねえぞ」
「き、危険なお姉さん……」
「そうだ。経験豊富で、バイクなんか乗りこなして、煙草の似合うお姉さんだ」
「嘘」
「少なくとも、その対象にお前が入ることはねーよ。俺くらいのクズなら、濡らしてから困ったフリするね」
タオルで足を拭いて、靴をはき直す。川辺にかがんで、ぼんやりと水面を眺める。
こういうときは、しばらく時間を置いた方がいいと最近学んだ。俺は喋りすぎると、いろいろ事態をややこしくしてしまう。
悠羽をエロい目で……ね。
見てたらこんな平和に暮らせてねえ。腕枕された時点でやっばいことになってる。
別に俺は枯れてるわけでもないし、ただシンプルにそういう目で見てないというだけだ。エチエチお姉さんを欲する心に偽りはない。
川の流れ60分みたいな動画を落ち着いて見ていられるタイプではないので、立ち上がって足下の石を拾う。平べったくて手頃なのを選んで、水面に向かって投げる。
ぽん、ぽん、ぽん、と三回跳ねて落ちた。まあまあ上出来か。
二投目は二回跳ねて、三投目はは四回。さらなる記録を狙って、より水切りに適した石を探す。手にすっぽり収まって、平たく、指を引っかけられるよう四角のものがいい。
夢中になってしばらく遊んでいると、後ろからぼちゃんと音がした。
少し待ってから振り返ると、悠羽の投げた石は一切跳ねることなく川に飲まれていく。
「い、今のは失敗しただけだから!」
「なにも言ってないが」
「見てて! 次は汚名返上するんだから」
「ほう……」
腕組みして、プレッシャーを全身から発しながら悠羽の水切りを観察する。本気で圧をかけるため、一挙手一投足を凝視する。
どぼん。
豪快な音を立て、川底がまた少しだけ高くなった。
「ち、ちがっ、今のは石が重かっただけで」
「なにも言ってないが」
「なんか言ってよ!」
「投げ方がだめ。石がだめ。視線がだめ。握り方もたぶんだめ」
「もうちょっと言い方があるでしょ!」
「ああ、すまん。全部だめ」
「そうじゃなーい!」
なんでわからないんだ、と地団駄を踏む悠羽。俺は首を傾げる。
「なんだ。端的に言ってほしいんじゃないのか」
「人の頑張りを否定から入るの、よくないと思う! とりあえず褒めるの!」
「だって褒めるとこねえもん」
「そういうとこで嘘つかなくてどうするの!?」
「オレ、ウソ、キライ」
「もー!」
呆れて牛になってしまった悠羽さん。今日も今日とて感情が豊かだ。ついでに機嫌も直ったようで一安心。やっぱり時間と水切りは偉大だ。
「やり方覚えりゃ何回かは跳ねるから、見とけ」
「……」
むすっとしてはいるが、あれはそこまで怒ってないときの顔だ。むすっとレベル1。
黙って見ている悠羽の手に、さっき拾った石を一つ渡す。
「使うのはこういうのな。ちゃんと手に収まって、なるべく平らなの。握り方は、人差し指の関節に引っかかるように……そうだ」
そこまでできたのを確認して、あとは投げ方。
「視線は下じゃなくて前で、左足を大きく前に出して、低い位置で投げる。水面にできるだけ平行にやるのがコツだ」
ゆっくりと流れを説明して、実際に投げてみる。五回跳ねて沈む。
「すご」
「別に、こんなんできても意味ねえよ」
「でも投げ方とか調べたんでしょ」
「んなわけねえだろ」
悠羽の顔がみるみるうちに緩んでいく。嘘が見抜かれたときの顔だ。
まったく、俺の嘘は見破られるし、悠羽の表情で全部わかるし。お互いへの理解度ばかり無駄に高くなってるな。
そのうち俺の嘘は通用しなくなって、悠羽が喋らなくても全部わかるようになるんじゃなかろうか。盗聴器の通じない生活だが、それ以外に使い道もない。
「やってみる。見てて」
「足下滑るから、気をつけろよ」
悠羽は頷いて、言った通りのモーションで石を放る。ぽん、と一回だけ跳ねた。
たかが一回。だが、どぼんからの一回は特別なものだろう。
「ほんとに跳ねた……ねえ、見てた?」
「ちゃんと見てなかったから、次は二回跳ねさせてくれ」
「見てるじゃん」
口元を小さくほころばせて、すぐにもう一投。今度は三回跳ねた。
「私、才能あるかも」
「天才だ」
「馬鹿にしてるでしょー」
甘やかな調子で唇を尖らせると、指先で腕を突いてくる。
「この、この、この~」
「だるっ、うざっ、めんどっ」
迫ってくる悠羽の指を払いながら、石の上で軽快にステップを踏む。
日は傾いて、川辺には俺たちしかいなかった。いつの間にか子供たちは帰ったらしく、ここには誰も視線もない。
だからというわけはないが、じゃれてくる悠羽の手を掴む。
動体視力がいいおかげで、綺麗にキャッチできた。少女の小さな手は、簡単にすっぽり収まる。
静寂が落ちて、視線が絡まる。
少しだけ驚いた顔の悠羽に、俺はどんな顔をしているのだろう。優しく笑えていればいいが。
「そろそろ戻ろうか。腹減った」
「……うん」
やけに素直に頷いて、ぱっと離れると荷物を拾い上げる。
振り返って俺を待つその隣に並んで、来た道をゆっくり引き返す。
斜め下にある横顔は、昔の面影があっても同じではない。目線が合ったとき、恥ずかしげにはにかむ表情も、そこに含まれる感情も変わっていく。
変わらないのは、俺だけだ。
昔からずっと、この先もずっと、悠羽が可愛くて仕方がない。
まあそれも、とっくにバレちゃいるとは思うが。




