55話 キャンプ
二日酔いになってからの一週間は、極めて平和に過ぎていった。
あれからもほぼ毎日畑に顔を出し、重労働を乗り越え、待ちに待った休日。
「……じーっ」
朝から落ち着かない様子で、悠羽がこっちを見ている。
二度寝しようと布団に倒れたら、耳元で畳をぱんぱん叩かれた。なんとしても遊ぶという強い意志を感じたので、さすがに考えてやらないといけない。
ゲストハウスとレストラン、という職場の都合上、俺たちの休みは土日ではないし、基本的にまとまってもいない。
だからこの期間に一度だけある、二日続けての休日はとても貴重なものだ。
それが今日と明日、というわけである。
「やりたいこととか、あるのか」
「なんかしたい」
「お前やば」
「やばって言うなー」
「考えなしに俺を叩き起こすの、どう考えてもやばいだろ」
「うっ……じゃあ、もうちょっと寝る?」
「おかげで目ぇ覚めたわ」
あんまりにも遊びたいオーラを向けてくるから、眠気さんも自粛してしまった。また今夜会おうねって言ってたから、あと半日は眠くならない。
「村のガキ共と遊ぶってのは――無しだよな。わかった。わかったから怒らないでくれ」
みるみるうちに膨らんでいく悠羽の頬に気圧されて、すかさず謝罪へ切り替える。このへんの危機管理能力は、もう一流だ。
「じゃあどうするよ。ドライブってのもひねりがないよなぁ」
ただの散歩なら、仕事が早く終わった時にもしている。これでも悠羽は女子高生。そんな老後みたいな休日は嫌だろう。
「ドライブ!」
「や、俺が無理だ。今日は疲れてる」
「ドライブ……」
「そういう鳴き声かよ」
目に見えてがっかりするあたり、よほど気に入ったらしい。
そのへんはまた、気が向いたときに連れて行ってやるとしよう。
「せっかくの連休だからな。ちゃんと考えとけばよかったな」
今更後悔しても遅い。昨日までは帰ったら体力が尽きていたし、悠羽も祭りの手伝いで忙しかった。今日になってようやく「そういえば二日続けて休みじゃん」と気がついたのである。
「いきなり言っても難しいよね……ごめん」
「まあそう気を落とすなって。なんか考えるから」
あまり金を使うことはできないし、そもそもこんな田舎じゃ散財のしようもない。
平凡な案がいろいろと浮かんで、結局、有識者に聞いてみることにした。加苅の出番である。
今日はレストランが定休日なので、彼女はゲストハウスで働いているはずだ。
レストランの方を趣味とし、ゲストハウスを手伝いとする彼女に休日はない。そもそも本人に、労働だという意識すらなさそうだ。仕事を面倒がる姿は、見たことがないし想像もできない。
メッセージを送ってみると、返信はすぐに来た。
『キャンプ場とかいいんじゃないって、お婆ちゃんが言ってたよ!』
「……だそうだけど」
画面を悠羽に見せると、ぱぁっと表情が明るくなる。
蛍光灯も点けず、ほの暗い室内でその笑みは際立つ。
「行く! 行こ! 行きたい!」
「レッツゴー三段活用かよ。んじゃ、キャンプ場の人に電話してみるか」
話には聞いていたが、女蛇村には元々キャンプ場があるらしい。昨今のブームに合わせて、去年リニューアルしたんだとか。
リニューアルするといっても、基本的にはテントを張って寝るだけの場所なのだが。
文月さんのゲストハウスとは、また違った客層を集めて上手くやっているらしい。テントの貸し出しもしているようだし、バーベキューも手ぶらでできるという。
なるほど完璧な案だ。
電話をして、対応してくれたのは知っている人だった。
ゲストハウスに子供を預けた親の一人だ。相手が俺とわかると「あら、ロクお兄さん? ぜひいらっしゃい。バーベキューのお肉なんて、今から用意すれば間に合うんだから。マシュマロもつけとくわよ」なんて調子で歓迎してくれた。
サンキューガキ共。お前らの相手しててよかったぜ。
「――というわけで、いろいろ急だがキャンプに行くか」
「やったー」
無邪気に喜ぶ悠羽を横目に、立ち上がって伸びをする。
「一時間後に迎えに来てくれるらしいから、準備して玄関集合。できるだけ長袖長ズボンな。虫除けは俺が持ってくから、あとは自分で必要なもん持ってくるように」
「はいっ」
背筋を伸ばして敬礼。くるりと回れ右して、自分の部屋に戻っていく。
それを見送ってから、俺も着替えをする。
白シャツの上に、麻でできたベージュのワイシャツを重ねる。下はネイビーのズボン。こっちも麻でできている。麻の生地は夏場において最強。
着替えは終わり。歯ブラシとタオル、洗剤セットは売店で買うとして、夜のジャージと着替えを入れれば準備完了だ。
遊びに行くまでの時間は、勉強でもしていよう。
テキストを取り出して英語を読み込む。大まかなテーマを掴んだら、斜め読みで全体を把握する。与えられた問題に答えながら、内容をより深く理解していく。
毎日のように繰り返しているから、さすがに脳が慣れて速くなってきた。単語力は緩やかにしか伸びないが、意味を類推する力はそれを底上げする。
ここ最近は、読解問題でようやく力がついてきたのを感じる。
そんなことをしていたら、一時間はあっという間に過ぎた。
荷物を持って、外に出る。
淡い水色のカーディガンに、ジーンズ姿の悠羽は俺より先に外で待っていた。よほど楽しみだったのか、手に持ったトランプを見せてくる。
「これ、夜やろ」
「修学旅行かよ」
「似たようなものでしょ」
「そうか?」
「そうなの」
力強く首肯する悠羽。まあ、彼女がそう言うならそうなのだろう。
修学旅行か……。言ってはみたが、もう昔のことすぎて思い出せない。高校を卒業してから、今年で三年だ。時間の流ればかりが早い。
俺が高校を出て、そして今年は悠羽が高校を出る。
きっとすぐに彼女も20歳になって、立派な大人になっていく。そうしていつか、俺の元を離れ……離れるのだろうか。
――好きだからさ。そんなことは、特別な相手にしかしない。
利一さんの言葉が、頭をよぎった。
「ろくろー」
目の前に、悠羽の顔がある。大きな瞳の水晶に、難しい顔をした俺が映っていた。
「どうかしたの?」
「さっき読んだ英文の訳し方が納得いかなくてな。考えてただけだから」
「どんなの?」
「環境問題についての文章だな。割り箸を使わないことで得られるメリットは、実はあんまりない、みたいな文章」
「それを英語で読むんだ。すごいね」
「ほんとはもっと難しいのを読まなきゃいけないんだよなぁ。がっつり専門用語とかが出てくるようなのを」
「六郎はさ、英語が好きなの?」
「日本語と同じで、好きでも嫌いでもないけど」
ただ嘘をついただけなのに、なぜかそこから話が広がっていく。
俺の嘘、あまりにも自然すぎるだろ。年季の入った巧さで、我ながらドン引きだ。
もう収拾がつかないので、このまま続けることにした。
「ただ英語を教えてくれた人に感謝してる。それだけだよ」
「そっか」
目を細めて悠羽が笑う。真夏の太陽が、彼女の真上で燦々と光る。
「それだけでこんなに頑張れるから、熊谷先生は六郎が好きなんだね」
「男に好かれたって、別に嬉しかないけどな」
苦笑いして答える。
じゃあ女に好かれたら嬉しいのか、とくだらない自問自答を無意識にしてしまう。
本当にくだらない。
問いかける自分に、内心で吐き捨てた。
エチエチお姉さんしか興味ねーよ。
女蛇村編もだいたい後半戦、キャンプ編です。




