54話 本当はもう、気がついていたこと
「こっちこっち」
仕事終わり、利一さんと待ち合わせの居酒屋に入ると、奥の席から手招きされた。
会釈して歩いて行き、向かいの席に座る。
「こんばんは」
「お疲れさま。今日も畑仕事かな」
「そうなんですよ。なんでも腰を痛めた人がいるとかで、しばらくは俺が行かなきゃいけないらしいです」
「それは災難だね」
「ほんと、腰痛とか俺も他人事じゃないし。嫌な話ですよ」
首を回すとボキボキ鳴るし、背中を捻ってもボキボキ鳴る。デスクワークが中心の生活を送っていたから、だいぶ全身にガタがきている。
「ロクもお酒は飲めるんだよね」
「ええ。それなりに」
「メニュー見て適当に頼もうか。詳しい話は、一杯飲んでから」
「そうしましょう」
店員さんを呼んで、ビールとつまみを頼んでいく。
乾杯してアルコールを体内に入れてから、ようやく話を切り出す。
「――膝枕についてなんですけど」
膝枕をされたのではないか――という結論に至ったのは、ゲストハウスの清掃をしているときだった。
ベッドのシーツと枕カバーを剥がして、1階の洗濯機に入れて、ぐおんぐおんと回るそれを眺めているときに、電流が流れた。昨晩の俺は、別の枕で寝ていたのではないだろうか。
そんな考えからいろいろと記憶を掘り起こした。朝の不自然な悠羽の反応が真っ先に浮かんで、もしや、となったのだ。
最近のあいつは、なにかがおかしい。
以前なら膝枕などというワードが浮かんだところで、行きすぎた独身男性の妄想だと流せたけれど。
そうじゃない、と思ってしまう。
ちょうどそのタイミングで利一さんから電話が来て、確信に変わって、今に至る。
「する側がどんな気持ちか、だっけ」
「はい。すいません、さっきは仕事中だったのに、変なこと聞いて」
「いやいいんだ。もともと、かけたのは僕のほうだったわけだし」
利一さんはビールを呷ると、ふう、と息を吐く。とろんとした目で、咳払いを一つ。
手元にあった枝豆のさやをいじりながら、呟くように言う。
「膝枕をするのは、す、好きだからなんじゃないだろうか、と僕は思う」
「はぁ」
「な、なんだよロク。なにか言いたげな顔をして」
「いや、俺としてはこう、なにか企み的なものがあるんじゃないかと思ってまして」
「企み?」
眉間にしわを寄せる利一さん。
このへんの説明は、ちょっと難しいな。……たぶん、この相談をしている時点で、相手が悠羽だというのはバレているだろう。あいつの様子が変だったから、利一さんも電話をくれたのだろうし。
隠すだけ無駄か。
「悠羽のやつなんですけど……なんか最近、変なんですよね。甘えたがったり、甘やかしたがったり。意図が読めない」
「へ、へえ……」
レモンサワーで喉を潤して、からあげを食い、再びレモンサワーを流し込む。
利一さんは手元のからあげを箸で突きながら、難しい顔。
「もしかするとロクは、僕に似ているのかもしれないね」
「というと?」
自嘲気味に笑って、彼は焦げ茶色の頭を押さえる。
「勘弁してくれ。それを口に出せるほど、まだ酔ってないんだ」
「酒、追加しますか」
酒飲みの文化が根強い田舎だからか、利一さんは耐性が強い。今だって薄らと頬が赤いだけで、あとは普段となんら変わりない。
俺も弱いほうではないが、そろそろペースを落とさないとまずい。
さらに利一さんが三杯のアルコールを摂取するまで雑談して、話題を元に戻した。
その頃には少し効いてきたのか、さっきよりも上機嫌な受け答えをしてくれるようになっていた。
「それで、さっきのはどういう意味なんですか」
「ロクはさ、悠羽さんのことをどう思ってるんだい」
「どうもこうもないでしょう。悠羽は悠羽です」
「そうなんだよなぁ。わかるよ、その感覚」
なぜか利一さんは首を大きく縦に振る。激しい同意だ。どの部分にだろう。
鈍くなった頭で考えて、もしやと思い当たる。
「加苅っすか」
返ってきたのは、肯定を意味する頷き。
「美凉は美凉だ。僕にとってそうであるように、ロクもそうなんだろう」
「そうなんすかね」
言っていることはなんとなくわかった。だが加苅を知っているぶん、納得するのは難しい。
俺にとっての悠羽が、利一さんにとっての加苅なら――
あのド直球女の恋路は、簡単なものではないだろうから。
「っていうか利一さん、ちゃんと気づいてるんですね。加苅の気持ち」
「いくら鈍くたってわかるだろう。留学に行ったときだって、美凉は国際電話を掛けてくれた。あれが好意じゃなきゃ、なんだって言うんだ」
複雑な表情で微笑んで、グラスに視線を落とす。それだけで、彼女の気持ちに応える気がないとわかってしまう。
なんとなく、わかってしまったのだ。
たぶん俺は、利一さんと同類だから。
「本当はロクも、気がついてるんじゃない? 僕だけ吐かせて、自分は逃げれると思うなよ」
「なにをまた」
「膝枕の理由なんて、一つしかないだろ」
アルコールでよく回る舌に任せて、利一さんは続けた。
「好きだからさ。そんなことは、特別な相手にしかしない」
「…………」
浅くため息をついて、小さめのグラスを手で揺らした。ロックの果実酒。氷が溶けて、結露が指に冷たい。
「本当はロクだって、気がついてるんだろう」
「…………まあ、そうっすよね」
「責めやしないさ。君たちは、きっと複雑な事情を抱えているんだろうから。その年の兄妹だけで暮らすなんて、普通のことじゃない」
きっとこの特殊な環境のせいだ、と思う。
もしかすると、悠羽はどこかで俺たちに血の繋がりがないと理解しているのかもしれない。意識していないだけで、本能のようなもので。
「そうじゃなければいいって、思ってたんすけどね」
利一さんは静かに頷いた。
「呑むか。もう、呑むしかない」
「そうっすね。ほんと、呑むしかない」
男二人で頷いて、何杯目かわからないグラスで乾杯をした。
◇
「……やっちまった」
ぐらつく頭をどうにか安定させて、一歩ずつ家に向かう。
利一さんは明日も仕事なので、家に泊めてもらうことはできない。この状態で帰らねばならないのだ。家まで。
こんな田舎にタクシーはなく、歩くしかない。あったとしても、払う金はないのだが。
幸いなことに、明日は俺は休みだ。二日酔いになっても、休むだけの時間はある。
目下の問題は、この状態で帰れるかということだ。
休み休み進んではいるが、もういっそ道ばたで眠ってしまいたい。真夏だから、虫に刺されることはあっても風邪を引くことはないだろう。
そんな欲求と戦いながら、なんとか体を引きずって行く。
道を半ばまで行ったところに、ゲストハウス『白蛇』がある。一階では旅人たちによる宴会が催されているらしく、まだ明かりが点いていた。
そうだ。この中に混じって、適当に眠ってしまおう。ベッドがなくとも、リビングにあるクッションで眠れる。
誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、ふらっと中に入ろうとした。
その時、後ろから声を掛けられる。
「六郎」
アルコールで曇った思考を、一瞬で晴らすような澄んだ声。振り返ると、ジャージ姿の悠羽が立っていた。スマホを懐中電灯代わりにして、頬を赤くし、息を切らして。
「全然帰ってこないから、心配したじゃん」
「悪い。……でも、なんでこんな時間に」
とっくに日付が変わって、あと数時間すれば空が明るみ出す。いつもなら悠羽はとっくに寝ているはずだ。
「利一さんが連絡くれたの。帰るの大変そうだから、迎えに行ってあげたらって」
「起きてたのかよ」
「私の勝手でしょ」
「そうだな」
「水」
ペットボトルを渡されて、言われるままに飲む。すぐに効果がでるものではないが、それでもいくぶんかはマシになった。
なんとか帰ることはできそうだ。
「ありがとな」
「なにが」
「今日のことも、昨日のことも」
昨日のこと、という部分に反応して悠羽の表情が固くなる。
どうすればいいかわからないのは、俺だって同じだよ。だけど、断ち切れないんだ。
お前との関係だけはなくしたくないから、嘘で包んで大事にしていた。その嘘が意味を為さなくなっても、まだ、ここにいたいと思うから。
手を伸ばして、軽い力で頭を撫でてやる。ぽんと叩くような、短い間だけ。
ポケットに手を入れて、少女の横を通り過ぎる。
「ほら、帰るぞ」




