51話 モノマネ
これはたぶん、俺があいつの頭を撫でてやらなかったからなのだ。
だから願いが捻れて歪んで、「撫でてくれないなら自分で撫でよう」とかいうDIYみたいな思考になってしまったのだろう。
一夜明けて、俺たちは別に気まずい空気にはならなかった。
ただ、虎視眈々と俺のことを甘やかそうとする悠羽の視線を感じるだけだ。
このままではやられる。
悠羽はあれで行動力のある人間なので、やると決めたらやる。頭を撫でられるならまだいいが、膝枕とか言い出したら収拾がつかん。
そうなる前に、俺があいつを甘やかすのだ。
もはやそうすることでしか、この力関係は正常にならない。
最近の俺、悠羽に弱すぎる。
そのためにまずは、昨日はいてしまった弱音を潰す必要がある。
バレた嘘は明かす。知られた弱みは克服する。
これ、強かなクズとして生きていくための必須事項です。
ゲストハウスに赴き、受付のところでチェックアウトをする。このあたりは山奥のわりに道が綺麗で、バイク乗りが客層としては最も厚い。強面のおじさんズをお見送りして、ゆっくり一階に下りてくるクリスさんを迎える。
彼も今日、ここを発つらしい。
加苅から話を聞いて、女蛇村のことは満足したらしい。夏の終わりにもう一度来て、祭りを含めて動画にするんだとか。
簡単な手続きを済ませて、見送りへ移る。
「荷物、バス停まで持っていきますよ」
「ありがとうございます」
気合いを入れないと腰を痛めそうな重量だ。体幹に力を入れてバッグを肩に掛け、クリスさんの隣を歩く。ムキムキ外国人は今日も爽やかな笑顔を浮かべている。
一つ息を吸って、覚悟を決めた。
「あの、クリスさん」
「はい。なんですか」
「俺と友達になってくれませんか」
「もちろん。今度遊びましょう」
「え、あ、はい。いいんですか」
「もちろんデス! ちょうどゲームの人数が足りなくて、困っていたのです」
「ゲームですか……それ、俺できるかな」
途端に目を輝かせてぐいぐい来るクリスさんに、引き気味の俺。コミュニケーションすら、パワーで惨敗している。
この数日、ずっと一緒にいたとはいえ……ここまで距離を詰めるのは、日本人じゃ無理だろうなぁ。
「だいじょうぶ。ノートパソコンでできる、無料のものですから」
「なるほど。……わかりました、じゃあ、また今度やりましょう」
「英語でしかプレイできないですけど。私が説明します」
「ありがとうございます」
そんなの、願ったり叶ったりだ。というか、そうか。ゲームもあったか。
アニメだって映画だって、俺からすれば立派な教材だ。より日常的な英語や、実地での使い方を学べるならなんだっていい。
バス停に到着して、俺たちは連絡先を交換した。
「では、また会いましょう」
「はい。お気をつけて」
乗り込んで、バスから手を振るクリスさんが見えなくなるまでそこにいた。
大きく伸びをして、息を吐く。
「友達いけたぁ~」
クリスさんとはここ数日一緒にいて、話している感触も悪くなかった。いけるという確信はあったが、やはり安心する。
年齢は十歳ほど離れ、国籍も違う。それでも、友達になれた。
外人の友達がほしい、という側面はあったが、もし彼が日本人でも仲良くしたいと思っただろう。彼の生き方は、いろいろと参考になる。
「がんばりますか……」
これでとりあえず、不安は一つマシになった。
大きく息を吸って、目を開く。
さて、今日から午後はなにがあるのかね。
◆
「悠羽っち~、お疲れ~」
「おつかれさまです」
一日の仕事を終え、着替えを済ませた二人は自転車に乗る。
オレンジ色の穏やかな夕暮れに吹く風が、悠羽は好きだった。
隣でペダルを踏む美凉は、いつもよりくたびれた様子で、ハンドルに体重をかける。
「お客さん多くて大変だったね」
「団体さんが来るとは聞いてましたけど、思ったより多かったですもんね」
振り返って言う悠羽の顔はけろっとしていて、美凉と同じ仕事をしていたようには見えない。
「もしかして、悠羽っちけっこう体力ある?」
「そんなことないと思いますけど」
確かに言われてみれば、不思議だった。悠羽も普段よりは疲れているが、美凉ほどではない。寝れば消える程度の疲労感だ。
少し考えて、思い当たる。
「利一さんの前だから、ずっと気を張ってるのかもしれないですね」
「はっ!」
背筋をピンと伸ばし、電流が奔ったように目を見開く。ポニーテールまでピンとなったように見えたのは、一瞬の幻覚だ。
「確かに。利一さんの前だと、可愛くしなきゃって思っちゃう……。自然にやってたから気づかなかったけど、それだよ!」
謎が解けたと元気いっぱいに喜んで、またすぐへにゃっとなる。
「だめだぁ~。今日は疲れちゃった」
「ちょっと休んでいきますか?」
「そだね。ロクくんも帰り遅くなるって言ってたし、そうしよう」
とはいえもう日が暮れる時間だ。この田舎では、居酒屋ぐらいしか開いていない。
自動販売機のところで自転車から降りて、ペットボトルのジュースを買う。
近くのベンチに腰を下ろして、美凉は炭酸飲料をごくりと一口。
「生き返るぅ」
「仕事終わりのジュースって、どうしてこんなに美味しいんでしょう」
「罪悪感がないからだよ! いっぱい働いたんだから、これを飲んでも太らない!」
「なるほど……っ」
説得力のある発言に、納得して深く頷く。
悠羽の手の中で、フルーツオレが揺れた。キャップを開けて飲めば、喉を通るとろりとした甘くて濃厚な味。
「明日も頑張ろうってなりますね」
「悠羽っちは前向きだねえ。ロクくんとは違うタイプだけど、やっぱり似てるね」
「似てますか?」
「うん。あ、でも性格は全然違うよ。悠羽っちは素直でいい子だから、ロクくんみたいに意地悪じゃないし」
慌てて訂正する美凉に、つい笑ってしまう。
「いいんですよ。私も本当は、けっこう性格悪いですから」
「そうなの?」
「そうなんですよ」
六郎の真似をして、不敵に笑ってみせる。ずっと近くで見ていた表情なので、きちんと美凉にも伝わったらしい。
「今一瞬、ロクくんが見えた」
「けっこう自信あるんです。練習したので」
「そんな練習しなくていいって!」
「モノマネって、したくなりませんか?」
「……うーん。言われてみると、あたしも利一さんの真似ならしたいかも」
「見たいです」
「えー、じゃあ特別ね」
まんざらでもない様子で言うと、美凉はキリッと表情を整える。彼女の中で、大高利一は世界一の美男子なのだ。
「それでは――手を洗った後、匂いが残ってないか確認するときの利一さん」
丁寧に洗ってすすいでから、まず手の甲を嗅ぐ。それから手の平。匂いが残っていないことを確認して、顔を上げる。
「どう?」
「わからないです……」
「えっ、すごい似てると思うんだけど」
「いえ、あの、単純にその場面を見たことがないです」
「あーそっか。悠羽っち、まだ働き始めたばっかりだもんね」
一年間働いてもピンとこないと思う、と言いたいのをぐっと堪える悠羽。こういう我慢が、人を大人にするのだろうなと思う。
美凉は気を取り直して、別のパターンに挑戦する。
「じゃあね、エプロンの紐を結び直した後、ついでに髪ゴムを気にする利一さん」
「それも見たことないです」
「えぇっ!? 利一さん三大格好いいシーン集なのに?」
「はい」
恋は盲目とは、このことを言うのだなとしみじみ思った。
美凉はずっと利一を見てきたから、彼女の中での常識がズレてしまっているのだ。あまりに好きすぎて、目の付け所がシャープになっている。わかりやすさが重視されるモノマネにおいては、致命的である。
「モノマネって難しい。……悠羽っちだったら、どんなのにする?」
「ええっとですね」
自分はあんなふうにはなるまい、と高をくくって思考を巡らせる。
モノマネの対象は、美凉も知っている人でなければならないから、やはり六郎だ。
少し考えて、決めた。
「じゃあ、なにを飲むか悩んだ末にコーヒーを選ぶときの六郎やります」
「たぶんそれ、悠羽っちしかわからないよ」
「え……」
盲目とは、盲目であることに気がつかないことである。




