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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
3章 嘘つきと蛇の物語
50/140

50話 脱・妹計画

 二時間ほどかけて美凉の話を六郎は英語に訳し、クリスへと伝えた。

 話が終わると、そのまま彼ら三人は別の場所へと移動して取材を続行。店には、利一と悠羽だけが残る。


 ランチタイム以降は落ち着いたカフェとなり、店内はマダムの団らんの場になる。旦那の愚痴が四方八方から聞こえはするが、それはどこでも似たようなものだろう。すっかり慣れた悠羽は、マダムたちに相づちを打ちながら仕事をこなす。


「ごめんね。悠羽さんも、ロクたちに着いていきたかったよね」


 利一がそう言ったのは、会計を済ませた客のテーブルを片付けていたときだった。

 皿とコップを流しで洗いながら、悠羽は首を左右に振る。


「いいんです。六郎も、私が見てたらやりにくいでしょうから」

「そうなのかな」


 嘘であった。

 本当は悠羽も着いていきたかったが、仕事を優先するべきだと判断したのだ。どうせ六郎は、自分がいようがいまいが役割は果たす。見られたらプレッシャーを感じる悠羽とは逆で、あの男はそんなものは意に介さない。


 英語で話す姿など、普段は絶対にお目にかかれないプレミアものだ。だが、悠羽には仕事がある。ここでちゃんと働くことが、六郎を支えると決めた自分のやるべきことなのだ。

 そう言い聞かせて、なんとか足を留めている。


「ロクのこと、信頼しているんだね」

「はい」


 いつも通りに答えただけなのに、頬がほんのりと熱かった。その熱を悟られないように、水道水の冷たさに意識を向ける。


「もしよかったら、ロクがどんなふうに生活してくれるか教えてくれないかい」

「普段ですか」


「うん。この村の外で、なにをしているか知りたいんだ」

「私も、最近になってようやく知ったことばかりなんですけど。それでよければ」


 六郎はずっと、同年代の男たちから嫌われてきた。

 それは彼が周囲に対して嫌悪感を隠していなかったからであり、それでいて勉学も運動も一定以上できたせいだった。ほんの少しの嫉妬に、日頃の鬱憤が加わって必要以上に遠ざけられてきた。


 新田圭次という例外的な存在がいたものの、それ以外の友人を悠羽は知らない。

 だから、利一と仲が良さそうなのを知ったときは嬉しかったのだ。


 ぽつぽつと、悠羽は自分の知っていることを口にする。


「六郎は、基本的にパソコンで仕事をしているんです。前は新聞配達もしてたんですけど、私と暮らし始めてからはそっちは夕方だけにして。……なんていうか、いろんなところを合わせてくれるんです」

「あいつらしいね」


 その優しさが六郎なのだと言われて、悠羽は胸が温かくなるのを感じた。

 この人はちゃんと、彼のことを理解してくれている人だ。


「利一さんは、なにがきっかけで六郎と仲良くなったんですか?」

「きっかけ、というほどのことではないけど。美凉から話を聞いてね。面白そうなやつだと思ったんだよ」


「どんな話を」

「『すっごく性格悪いけど、すごいいい人がいる』ってね。あの美凉が、人の欠点から伝えるなんて初めてのことだったから、興味が湧いたよ」


 その時のことを懐かしむように、利一は目を細める。

 利一が昔から知っている美凉は、視野が狭い女の子だった。すべてを善か悪かで判断する傾向があり、人に関しても彼女の世界では「いい人」か「悪い人」しか存在しなかった。


 その、美凉が。

 悪いけどいい人、と初めて称したのが六郎なのである。


「人というのは、皆そうなんだって。その頃から美凉も理解してくれたみたいでね。ロクには感謝してる」

「……大事なんですね、美凉さんが」


 悠羽が目を細めると、利一は首の後ろを掻いた。


「年の離れた妹みたいなものなんだ。心配で目が離せない」


 妹という表現に、悠羽の胸はなぜか痛んだ。その言葉はまるで、美凉を恋愛対象から外しているような――だが、すぐに自分の立ち入っていい領分ではないと思考を止める。


 それでも、胸の奥に生まれたもやもやは消えない。


(六郎にとって私は――なんなんだろう)


 妹だと思われていたら、嫌だな。







「俺は……弱いッ」


 夜の自由時間、俺は畳の上に寝そべって己の無力さを痛感していた。

 強キャラぶってクリスさんに英語を使ってみて、向こうのガチイングリッシュに触れての感想である。


 はきはきしたトーンで繰り出される、流暢な音の波。知っている単語なのに、知らない使い方をされてバグる脳。勉強した難しい単語を使いたくて、ぐちゃぐちゃになる文法。


 なにをとっても全くダメ。辛うじて伝えられたのは、クリスさんが日本に詳しいからだ。これでは、英語で仕事など夢のまた夢。


 予想はしていたが、実際にここまでレベルが低いと萎えもする。

 テキストをたぐり寄せて、亡者のように目を走らせる。


 ……だが、このやり方では限界があることを知ってしまった。


 話さないと、本物に触れないと育たない能力がある。試験で点を取るのは大事だ。でも、その先はテキストに載っていない。

 やはり英会話スクールに通うべきなのだろうか。あれって高いんだよな。


 金を稼ぐには金がかかる。世の中、そういうふうにできている。


「どうしたもんかなぁ」


 天井を見て、ぼうっとする。こんなことをしても意味はないので、テキストを持ち上げて眺める。

 だめだ。ショックで頭になにも入ってこない。


「ゆうはー」

「んー。どうしたの」


 名前を呼ぶと、すぐに襖が開く。てってって、と軽やかな足取りで近づいてくると、倒れる俺を見下ろすように座った。


「くるのはっや。待ってた?」

「はぁ!? 待ってないし」


 見下ろされる形なので、表情は影になってよく見えない。口調でだいたい想像がつくが、これはすごい喜んでるね(適当)。


「じゃあ、なにもしてなかったってことか? スマホもいじってなかった……?」

「乙女はなにもしてない時間もあるんですぅ」


「乙女って言えばなんでも許されると思うなよ。……ったく、まあいいか」


 よっこらせと起き上がろうとしたら、なぜか胸を押されて畳に倒された。ごろん。

 変わらず、悠羽に見下ろされる俺。

 なにかの間違いだと思って、再度起き上がりチャレンジを仕掛ける。

 今度はおでこを押されて、また畳の上に寝かされた。


「なんで?」

「なんとなく」


「理由を言え」

「だから、なんとなく」


 一瞬蛍光灯の光が割り込んで、悠羽の表情が見えた。めっちゃ笑顔だった。怖い。下から見る笑顔すっごい怖い。


「で、どうしたの? 呼ばれたから来たんだけど」

「この体勢で話さないといけないのか」


「うん」


 彼女の口調からは、断固とした意思を感じる。起き上がったら大変なことになりそうで、仕方なく手足を投げ出す。

 脱力するとやけに安心して、ぽろぽろと言葉が溢れてきてしまう。


「や、別に大したことじゃないんだけど……今日、クリスさんと英語で話してみて。……まあなんつーか、足りねえなって思ったんだよ」

「足りないって、なにが?」


「経験値。俺みたいなのは、即戦力になるような状態じゃないと雇ってもらえないんだ。育成枠は大卒が持ってくだろうし。……いや、それは悲観的なのかもしんないけどさ」


 必要以上にネガティブになっていることに気がついて、なんとか軌道修正しようとする。

 だが、それも弱々しい。


 なぜだろう。悠羽に見下ろされている今の状態が、ひどく落ち着く。


「大変だね、六郎は」

「別に、俺だけじゃないだろ。こんなのはよくあることだ」


「でも、大変だよ」

「まあ、それはそうだが……」


 悠羽の手が伸びてきて、優しく俺の髪に触れた。それから何度か、丁寧な手つきで前後に往復する。

 撫でられていると気がついたのは、十秒ほど経ってからだった。


 右手でやめさせようとするが、するりとかわして継続する悠羽。

 寝転がったままなので、動きがままならない俺。いくら男女の差があるとはいえ、体勢が悪すぎる。


「おい、お前なにどさくさに紛れて――やめ、やめろ」

「やめないもん」


「なんでまた急に! お前、撫でるより撫でられたい側の人間じゃなかったのかよ」

「両方!」


「贅沢なやつ!」


 起き上がろうとする俺と、それを阻止しようとする悠羽。子供のように取っ組み合い、最後には不利だった俺が押し倒される。

 どすんと音を立て、背中に衝撃。次いで胸板に、人一人分の重みが降ってくる。


「ぐっ」


 肺が潰されて、呻き声が出た。

 至近距離に、綺麗な黒髪がある。束は顔にものっていて、滑らかな感触とシャンプーの匂いが直に伝わってくる。

 首から下に柔らかい重さがあって、思考が鈍る。


「おい、大丈夫か」

「――だ、だいじょうぶ」


 ぱっと起き上がってそっぽを向き、首をぶんぶん振る。髪がぱたぱた揺れる様は、メリーゴーランドに似ている。

 悠羽が慌てている間に起き上がって、座り直す。


「まったく、なんで急にこんなことを」

「……だって、六郎が」


「俺が?」

「頭撫でてほしそうにしてたから」


「してねえよ」


 なんだその超理論は。


「だいたい俺はな、頭なんて撫でられたことないんだぞ。そんな欲、持つはずがない」

「だから撫でたの」


「さっきと言ってることが違うな」

「どうでもいいじゃん! なんで六郎ってそんなどうでもいいことばっかり気にするの」


「俺が悪いのか……」


 急に勢いを強めた悠羽に押され、ぐらつく思考。

 理由はわからないが、さっきから思考が上手くまとまらない。脳が溶けたみたいにふわふわする。


「六郎は私が甘やかすの」

「なんかまた変な方向に進んでるって」


 暴走、とまではいかないが十分に迷走している。いったい悠羽はなにになろうとしているのか。


 困って額を押さえていると、やっとこっちを見た。唇をつんと尖らせて、瞳に意思を燃やしている。

 この顔をした彼女に、俺は未だ一度も勝てたためしがない。


「気持ちよさそうにしてたくせに」

「……………………いや?」


「悩んだ! 今絶対悩んだでしょ!」

「ちっ、そんなんじゃねえって言ってんだろ」


「嘘ついてる! 今嘘ついてるでしょ!」

「うるせえうるせえ。お前、加苅に悪影響受けてんぞ」


 なんとなくノリと素直さが似てきて嫌だ。一刻も早く加苅は利一さんに引き取ってもらって、家に閉じ込めてほしい。


「ほんとは私で満足したくせに!」

「日本語はちゃんと使おうな! はしょったら違う意味に捉えられるから!」


「意味わかんない!」

「わかんなくていいけどな!」


 逆に伝わらなくて安心したわ。咄嗟に口走ったが、伝わったらけっこう気まずい。


「六郎の嘘つき」

「…………」


 それだけ言い残して、悠羽は部屋に戻っていった。


 最後のに関してはなにも言い返せない。やっぱ嘘つきって損しかねえな。

悠羽に頭を撫でられたい紳士の方々は、下にある☆で評価よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] ジェントルマンにならさせていただきました!
[一言] 妹の方から、覚悟を決めて一線超えようとしてきているのだなあ。事情を知らないでもそうしている分、想いはより強いのかもしれない。 美凉さんの方も、まだまだ前途多難なのか。
[一言]  もうこれ以上★押せない‥‥‥何ということだ‥‥‥。  まあ悠羽に撫でられるのは六郎だけの特権で良いよね。  六郎に撫でられて蕩ける悠羽も見たいものですがw
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