5話 彼の現状
「はぁ……なにやってんだろ、私」
スマホの液晶に額をつけて、悠羽はため息を吐いた。
世間はゴールデンウィークも終わって、徐々に季節は夏に近づいている。
最近は外の公園で時間を潰すのも、暑くて苦しく感じる。どこか涼める場所を探したいものだ。そしてそれは、当然ながら家と学校以外の場所。
パッと思いつくのは、ファミレスだった。だが、財布の余裕を考えると毎日というわけにもいかない。梅雨の時期に屋内へ避難することを考えると、今は外にいるのが無難だろう。
木陰のベンチに座って、今日も今日とて時間を潰す。
母が家にいる日は、こうして学校に行ったフリをしないといけない。パートの日は家でごろごろできるのだが、毎日そうはいかない。
さしあたって、問題が二つ。
快適さと、退屈だ。
前者はまだ許せるとして、耐えがたいのが後者だ。
学校に行かないことによる、圧倒的な時間の余裕。午前八時から午後四時まで。単純計算でも、一日八時間なにもしない時間がある。というのは、なかなかに苦痛である。
スマホのギガも使い放題ではないので、動画など見れば簡単に底をつく。お気に入りの音楽を家でダウンロードして、オフラインで聞くのが精一杯だ。
だから、非常に不服ではあるが……六郎からの返信が早くなったのは、悠羽にとって救いだった。
「あいつ、自分の妹になに本気出してんのよ。ばっかみたい」
トーク画面の中で六郎は、順調に黒歴史を積み上げていた。明らかに付け焼き刃の知識を使い、『モテそうな男』を演じている。
昨日届いたメッセージで『オリーブオイルは五種類常備しています』と言い出したときは思わず笑ってしまった。もこずキッチンでもそこまでの種類は見たことがない。
そんな感じで、滑稽な兄を見ているのは思ったより楽しい。
メッセージのやり取りであれば、そこまでデータを必要としないから、二重に助かった。
『ゆうさんは、料理するんですか?』
というメッセージには、
『一人暮らししたらやってみたいです』
『初心者にオススメの料理ってありますか?』
と返す。これでまた、六郎の黒歴史が増えることだろう。
彼のことだからどうせ、『パエリアは意外と簡単なのでオススメですよ』とか言うはずだ。そうやって次を想像するだけでも、そこそこ楽しい。
くすっと鼻で笑って、その事実に悠羽は虚しさを覚える。
六郎はここにはいない。ここに来ることもない。
彼は彼女が『ゆう』だから会話しているだけだ。『悠羽』だと知れば、尻尾を巻いて逃げ出すだろう。
――なにやってんだろ、あのバカ兄貴は。
晴れ渡る空を見上げて、この街にいるはずの彼に思いをはせる。
そこでふと、思いついた。
そうだ。調べればいいんだ。
偶然にも、悠羽にはそれができる人間関係がある。断られる可能性はあるが、聞いてみるだけならいいだろう。
ラインを開いて、目的の名前を探す。高校三年間で無尽蔵に増えた〝ともだち”の中から、目的の人物を発見。
会ったことは数回しかないが、悠羽は彼女のことを好いていた。トークルームを開いて、メッセージを打ち込む。
『お久しぶりです。悠羽です』
『もしよかったら、今度お茶しませんか?』
送り先の名前は、小牧寧音。
六郎の、高校時代の彼女である。
◆
――お前は幸せにならなきゃいけない。俺とは違うんだから。
「ちっ」
仕事が一段落ついたので、背もたれに体重を掛ける。リラックスした脳に、悠羽の顔がちらついて舌打ちが出た。
どうやら幸福とはほど遠そうな彼女の今に、苛立つ自分がいる。
圭次に頼んでから、三日が経った。さっき連絡があって、もうすぐ電話がかかってくるらしい。
コップに水道水を汲んで戻ると、電話がかかってきた。応答する。
「もしもし、どうだった?」
「もしもしサブ。――っておい、早いな」
「どうだった?」
くだらない冗談を飛ばしている精神的余裕はない。さっさと結果を聞いてしまいたかった。そしてそれが、成績不振とか教師との折り合いが悪いとか、そういう〝まだマシな部類”の問題であることを望んだ。
だが、圭次の返事は曖昧なものだった。
「いちおう、悠羽ちゃんと仲が良かったっつう女子とコンタクトは取ったんだが……なんというか、微妙な返事だったんだよな」
「それを教えてくれ。頼む」
「その子が言うには、『なにかで悩んでいるのはわかった。でも、なにに悩んでるかは絶対に教えてくれなかった』ってさ」
「いじめの可能性は?」
「なさそうだな。真っ先に聞いたけど、学校では普通だったらしいぜ」
「ふうん……」
メールの時点で察してはいたが、これは面倒なことになった。
「シンプルにグレたのか? あいつ……」
「悠羽ちゃんに限ってそれはないだろ」
「お前にあいつのなにがわかるんだよ」
「おお怖い。サブの性格でシスコンは似合わねえって」
シスコンなんかじゃないさ。俺はあいつの兄貴じゃないんだから。
そう言いたいのは山々だが、黙って聞き流しておく。いくら仲のいい友達とはいえ、三条家の醜態をさらそうとは思えない。
質問を続ける。
「ちなみに、どれくらい不登校かわかるか?」
「兆候は一月くらいからあったんだってさ。その頃からぼちぼち体調不良で来なくなって、四月以降は週一くらいになって、GWの一週間前からはまるで登校してないらしい」
「体調不良……か」
「シンプルにそうなんじゃねえの? 俺らの代にもいたろ、睡眠障害と偏頭痛で進級できなかったやつら」
「…………」
その二つに該当しないであろうことは、俺にはわかる。わかるが、それを言うと面倒なことになるので黙っておく。
本人と会話中、なんて言ったら「じゃあそっちで聞けよ」と言われてしまう。正論は嫌いだ。
「まあそんなもんよ、他に質問は?」
「いや、ない。ありがとな」
「お安いご用だぜ。報酬と言っちゃなんだが、今度、サブの彼女と俺たちカップルでダブルデートしようぜ」
「……………………おう。わかった」
まさか未だにメッセージが続くのが悠羽しかいない。とは言えず、絞り出すように頷いておく。
早いとこ適当な相手を見つけないと、大変なことになりそうだ。