43話 弱点
文月さんの家に帰って、夕飯を食べ、風呂に入って自分の部屋に戻る。
それ以降はいつもと同じように、英語と格闘だ。明日には、文月さんが言っていた外国人の客が来るという。どこまで自分の英語が役に立つのか、試してみたい。
勉強だけじゃ、結局足りないんだろうな。とは思っている。
大人のための英会話教室。なんてのも最近はあるくらいだし、紙の上で学べることには限界がある。
その意味で、明日からの数日は大事にしたい。
観光案内の依頼もされているので、ちびたちの相手はその間お預けだ。
辞書を片手に英字新聞を読んでいると、入り口がノックされた。悠羽の部屋からではない。障子に映るシルエットで、加苅だとわかった。
「ロクくん、今からお話しできる?」
「もうちょい待ってくれ。キリついたら行く」
「ほほーい。居間で待ってるよん。悠羽っちは来れる?」
「はい。大丈夫です」
夜なので加苅の元気も控えめだ。ずっとああだったら、もうちょっとあいつとも仲良くやれる気がする。
ま、これ以上仲良くしたいとかは思わないので、どうでもいいのだが。
政治に関して書かれた文章をいちおう最後まで読んで、立ち上がる。
理解できたのは甘く見積もって四割くらいだ。向こうの情勢について、基礎知識がないと読めない部分が多すぎる。
英語で仕事をとろうと思ったらそういう知識も必要なんだろうな。
「時間が足りねえ……」
学ぶべきことは山のようにあるのに、一日に進められる量は微々たるものだ。こればっかりは仕方がない。仕方がないが、焦りはある。
ため息を吐いて部屋を出て、居間へ移動する。
ちゃぶ台を囲んで、悠羽と加苅が向かい合っていた。
「でねでね、利一さんがね……」
と、加苅が熱心に話しているのは彼女の思い人についてだ。他の女子もそうなのかもしれないが、加苅の恋バナは特に熱量が凄い。付き合っているわけでもないのに、一生惚気続けてくる。俺なら3分で限界がくるハイカロリー。
だが、悠羽も女子だから耐性というか共感というか、なにかがあるのだろう。こくこく頷いて、真面目に加苅を受け止めていた。
そんな中に俺の登場。ちょっと気まずい。
「終わったから来たけど、タイミング悪かったか?」
「全然そんなことないよ。ロクくんにも聞いてみたいんだけど、利一さんの髪型って、結んでないときのほうがキュンとしない?」
「男にキュンとしたことがないからわからん」
気を遣った俺が馬鹿だったらしい。スペースが三等分になるような場所に座って、あぐらをかく。
「じゃあさじゃあさ、あたしは結んでるのとそうじゃないの、どっちがいい?」
「興味ねえなぁ」
「すーぐそうやって心を閉ざす! 世界は君に笑いかけてるぞ!」
「俺が暗いみたいな言い方やめろ」
興味のないやつに興味ないと言っているだけだ。他意はない。
「なら悠羽っちの髪型だったら、なにがいいと思う?」
「悠羽……?」
二人分の視線を受けて、少女はぴっと背筋を伸ばしていた。口もきゅっと結んで、少しばかり緊張しているようだ。
「そういえばお前、髪結ばなくなったよな」
久しぶりに会って以来、悠羽が髪型を変えているところを見ていない。最近では少し伸びてきて、セミロングとロングの中間くらい。そのままでも似合ってはいるが、なにか心境の変化でもあったのだろうか。
「せっかくだし、悠羽っちの髪型で遊んでみよう!」
「あの、なにかお話があるんじゃ……」
「加苅の言うとおりだ。おい、リボンと髪留めありったけ持ってこい」
「らじゃらじゃザウルス!」
「え、六郎まで?」
勢いよく居間から飛び出していく加苅と、びっくりした顔の悠羽。なんだその、マトモ枠だと思ってた人が変人だったことに気づいちゃった。みたいな顔は。
確かに普段の俺の行動からは、想像できないだろう。だが、これはいい機会なのだ。
「今後の参考にするから。ちょっと加苅のオモチャになってくれ」
「なんの参考にするもり」
「俺が傷つくから言えない」
「そんな雑な逃げ方ある!?」
必要とあらば、こういう雑な手段も使います。ほんと俺って最低。
本当のことをいえば、悠羽へのプレゼントを選ぶときのためだったりする。
よくよく考えれば、もう彼女も成人したわけだし。それくらい、祝ってやりたいとは前々から思っていたのだ。
その下調べに、このチャンスを活かさない手はない。
廊下を疾走して、加苅が戻ってくる。
「これ、ありったけです!」
机の上にどさっと置かれる髪留め、シュシュ、ただのゴム紐、あとなんかいろいろ。男の俺には、ぱっと見で着用時のイメージができない。
「利一さんがくれたやつじゃなかったら、何個かあげられるよ」
「へえ、そんなのプレゼントされたんだ。けっこう脈ありそうじゃん」
「ふふふ。クリスマスの半年前から圧をかけてもらったのじゃ」
「脈潰れちまうって」
なんでそこで猫かぶれないんだよ。秘めろよ恋心。恥じらえよ乙女。
「六郎も、私にプレゼントしてくれるの?」
目をぱちぱちさせて、悠羽が小首を傾げる。まずい。バレた。
「…………」
「じーっ、あ、これ図星の顔。あたしわかるよ、ロクくんのこの顔は、完全にやられた時の顔だって」
「うるせえうるせえ。誰もそんなこと言ってないだろ」
「ふへへ。そんな恥ずかしがらないで、素直に言っちゃえばいいのに」
「笑い方キモいんだよ。オタクかお前」
「ひひひっ」
「化物じゃねえか」
山姥みたいな笑い方をする加苅から遠ざかれば、反対側にいるのは悠羽だ。せっせと髪を結んで、見せてくる。
後ろで縛った束を、左肩から垂らす。喫茶店にでもいそうな、洒落た髪型。
「どう?」
「いや、だから別に、そういうのを買うとは一言も言ってないわけで……」
「違うの?」
一転してめちゃくちゃ悲しそうな顔をする悠羽。
慌てて両手をばたつかせて否定する。
「いや買う。買うから。めっちゃ参考になってるから、今」
「似合う?」
「ああ。似合ってる。その髪型もたまにやったらいいと思うぞ」
「そっか。うん、やってみる」
俯き気味ではにかんで、大事そうに髪を撫でる少女。その頬が、ほんのりと赤い。なぜかは知らんが、よほど嬉しかったらしい。
無様に動揺して、普段なら絶対に言わないことを言ってしまった。なにやってんだ俺。ああもう、ほら、加苅がとんでもないビッグスマイルを浮かべている。
「へえ、ロクくんって悠羽っちにはこんなに弱いんだ。いいこと知っちゃったあ」
「それ以上調子に乗ったら、利一さんにあることないこと吹き込んで、お前の印象を地の底にたたき落とす」
「そんなのあたしと利一さんの仲には通用しないもん! 運命の赤い糸をなめるな!」
「運命の、赤い、糸だぁ? んなもんあるわけねえだろうが。メルヘンも大概にしやがれ。じゃないとお前、近いうちにメンヘラになっちまうぞ」
「あーでたでた。上手いこと言ってやったシリーズ。すーぐ調子乗っちゃってわかったようなこと言っちゃってさ。世の中には、素敵な夢とラブとピースがあるんですぅ」
「小学生と戯れてたら、思考まで小学生になっちまったかぁ。まるで話が通じねえや」
「ムキイィッ!」
「グギギギッ!」
流れるように言い合いに発展する俺たちの間に、悠羽が両手を差し込む。
「ストップ! 二人とも落ち着いて!」
情けない俺たちは、いつも通り年下に仲裁してもらって落ち着く。
まじでなんなんだ、こいつの絶対喧嘩したくなるなにかは。相性が悪すぎるのか、良すぎるのか。少女マンガだって最近はここまでやらんぞ。
「六郎はしばらく黙って! 美凉さんは、そろそろ話をしてください!」
「そうだよ! そのために集まったんじゃん」
「加苅が変なこと言うから」
「六郎!」
「……っす」
ぴしゃりと叱られたら、黙るしかない。そんな俺の様子を見て、加苅はまたけらけら笑っている。非常にムカつくが、俺は大人なので見逃してやるとしよう。そう。俺は大人ななのだ。
こんなクソガキと、同じ土俵で戦ってやる必要はない。
大人しく腕組みして黙る。加苅は正座に組み直して、背筋を伸ばした。
その顔は、さっきまで喧嘩していたとは思えないほど真剣だ。
「ロクくん、悠羽っち。二人とも、お祭りを作る側になってみない?」




