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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
3章 嘘つきと蛇の物語
42/140

42話 よすが

 昼食を取って少しして、六郎はブルーシートの上で眠りに落ちた。

 連日の疲れと、先ほどのことで安心もあったのだろう。ごろんと横になって、悠羽になにも言わず寝息を立て始めた。


 無防備に寝顔を晒す青年の前髪を指先でつまんで、そっと持ち上げる。


「ぐっすり寝ちゃって。私は暇なんだぞー」


 相変わらず、だだっ広い公園には悠羽たち以外に誰も居ない。二人きりの時間は、静かで心地よかった。


 子供みたいに気持ちよさげに眠る六郎を見下ろし、そういえば、ちゃんと寝顔を見ることは滅多になかったなと思う。

 クーラー問題があるため、二人は同じ部屋で眠っていた。が、就寝時間は六郎のほうが遅く、起床時間は悠羽のほうが遅い。寝顔を見られるのは、一方的に悠羽であった。


「ぐぬぬ……」


 そんなことを考えていたら、少し恥ずかしいしなぜかムカついてきた。

 人差し指を六郎の頬に突きつけ、ドリルみたいに回転させる。


「乙女の寝顔はただじゃないんだぞぉ」


 夢まで声が届いたのか、露骨に不愉快そうな顔になっていく。このままでは起きるかもしれない、と手を離す悠羽。


 退屈になって、自分もブルーシートに寝転がる。白いワンピースが汚れないように、入念に土は落としてある。主に六郎が手を使って全体を確認していたので、安心だ。

 横向きに寝転がって、少女は目を閉じる。


(大丈夫だよ。私はいなくならないから)


 言葉は伝えないけれど、思いだけは伝わってほしい。

 六郎のことを一人にはしない。この瞬間、彼のことを支えられるのは自分しかいないのだと。悠羽の中に新たな感情が芽生えていた。


 母との電話で、苦しそうに歪んだ横顔を見て思ったのだ。

 ――この人には、私がいなくちゃだめなんだ。


 電話の内容は、聞かずともわかった。母から「一緒に暮らさないか」と誘われるのだろう。同じ兄妹のはずなのに、また、悠羽だけが連れて行かれる。

 六郎を愛さない両親を、もはや信頼することはできなかった。霧のような不信が心に広がって、怖いなと思う。


 きっと同じようなことを、彼も思っていたのだろう。悠羽が勝手に電話を代わる直前、六郎の顔には怯えが見て取れた。


 彼は決して、強い人ではない。

 強くなることでしか、生きられなかった人だ。


 もしもちっぽけな自分が隣にいることで、一つでも六郎に絡みつくものを遠ざけられるのなら。ここにいよう。

 自分と離れることを辛いと思ってくれるのなら、どんな誘いだって断ろう。必ずここに帰ってこよう。


 いつか、彼のことを守ってくれる誰かが現れるその日まで――







 生きることに執着している。

 中学、高校と勉強に力を入れたのは、生きる道を手に入れるためだ。


 人生が最高にクソだった時期ですら、常に頭にあったのは「生きたい」という感情だった。


 死にたくない、と言い換えることもできる。

 まあ、結局のところその二つはそう大差ない。


 言えることは単純で、俺は生きたいから生きられているということだ。


 そして、その執着をくれたのが――

 他でもない、悠羽だった。





 初めてかかったインフルエンザが、地獄のような辛さだったことを覚えている。


 あれは小学校の三、四年の頃。俺が家族の秘密に気がついて、わけもわからないでふわふわしていた時だ。


 熱は三十九度まで上がり、咳をすれば喉や頭、全身の関節が軋んだ。体中に熱した鉄を流したように熱く、そのくせ背筋には寒気が住み着いていた。立つこともままならず、水分補給で体を起こすことすら一人ではできなかった。

 共働きの両親は仕事を休まず、俺は家に置いていかれた。


 そのとき初めて、俺は死というものを実感した。孤独で泣いたのも、初めてのことだった。


 当時の俺は、どうすれば自分も愛されることができるかばかり考えていた。悠羽ばかりが大切にされる環境に、苛立っていた。


 三個下で、まだ年齢が一桁だった彼女が歪みに気がつくはずもないのに。

 純粋な目で俺を「お兄ちゃん」と呼んで、当たり前のように慕ってくる彼女が鬱陶しかった。妬ましくて、俺はあの頃、悠羽のことが嫌いだった。


 痛みで満たされた布団の中で、悠羽のことを憎んだ。俺がいなくなった後、より幸せに生きていくだろう彼女を呪った。


 眠れないまま苦しみと格闘していた。両親に帰ってきてほしかった。一人は嫌だった。

 玄関のドアが開く音がして、慌ただしい音がした。ドタドタリビングまで来て、荷物を投げる音がして、そのまま俺の部屋に入ってくる。


「お兄ちゃん、だいじょうぶ!?」


 帰ってきたのは、悠羽だった。顔を真っ赤にして汗を流して、横たわる俺の顔をのぞき込んできた。冷えた柔らかい手でおでこをペタペタ触って、「あつい」と何度も呟いた。


「待ってて! タオル、持ってきたら気持ちいいって聞いたから。持ってくる」


 部屋を飛び出して、風呂の桶に水をためて、体を拭くための大きなタオルをびしょ濡れにして、床もびちゃびちゃにしながら、悠羽が部屋に入ってくる。

 タオルの端っこをつまんで、俺の額に載せる。余った部分は悠羽が抱えていたから、彼女の服まで濡れていた。


 腹が立った。どうして自分は、こんなに惨めな思いをしなければならないのだろう。

 親から愛されず、その愛を奪った少女に哀れまれる。


 ――全部、お前のせいなのに。

 そう思って、必死に声を絞り出した。


「なんで……こんなこと…………やめろよ」


 力の入らない手でタオルをどかしたら、ぐいっと戻された。再び頭が冷やされて、気持ちいいのがムカついた。

 だが、その怒りはすぐに収まった。


 目の前にある悠羽の表情が、歪んでいたから。まだ幼くて、なにも理解していない彼女は、大きな両目にいっぱいの涙をためていた。


「インフルエンザって、放っておいたらしんじゃうって友達が言ってた。帰ったら、お兄ちゃん、しんじゃってるかもって、だから、だから走って帰ってきたの。ねえ、お兄ちゃん、しんじゃわないで」


 そこまで言うと、悠羽はわっと泣き出した。声を上げて、俺の声も聞かず、しがみついて離れない。

 抱きついてくるその温度が、心地よかった。


「……なんで、泣いてんだよ。いみわかんねえ」


 浮かんでくる涙の理由がわからなかったのも、それが初めてだった。ただ胸が温かくて、泣くのをやめられなかった。


 意味もわからず二人で泣いて、疲れ果てて眠りについて、起きたときには嘘みたいに楽になっていた。


 悠羽が救ってくれたのだ。

 父も母も助けてくれなかった俺を、一番幼い彼女が救ってくれた。

 俺が死にそうなとき、彼女だけが泣いてくれた。


 生きていたいと思った。あんなふうに泣く悠羽を、もう見たくなかったから。







 オレンジ色。


 思ったよりも長い間眠っていたらしい。日が傾いている。日陰にいたはずなのに、陽の光が顔に当たっている。眩しくて目を細めると、すぐ近くに見慣れた寝顔があった。

 お互いの寝相が噛み合って、見つめ合う形で昼寝をしていたらしい。


 悠羽は気持ちよさそうに、少し抜けた顔で眠っている。


 彼女のことが、心の底から大切だと思う。

 俺が悠羽を守っているんじゃない。俺はずっと、守られ続けているのだ。あの日だって、今日だって。


 綺麗な黒髪が垂れて、小さく開いた口に入りそうだ。手を伸ばして、それをすくって元に戻してやる。


 その途中で、手の平が彼女の頬に触れた。

 パチッと、大きな目が開く。焦点の定まらない瞳が、その中心に俺を捉える。


「ろく、ろう……?」


 時間が止まった。そんな気がした。


 寝ぼけているのか、悠羽はヘにゃっと笑う。


 それでようやく、正気に戻った。体を起こして唾を飲み込む。

 息を深く吸って吐けば、さっき湧き上がってきたなにかは収まっていく。


「そろそろ起きろ。帰るぞ」


 疲労のせいだ。そう思うしかない。

 あんなに悠羽が綺麗に見えたのは、きっと。

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― 新着の感想 ―
[一言] お互いに、まず相手のことを考えている、という所では似た者同士であるか。 他の誰かではなく、二人がともにある事こそが、二人の幸せであると真に理解するのは、まだ先なのかな。
[一言] この2人にはどんな形であれ、今以上に幸せになって欲しいな。
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