39話 休日
午前中は館内清掃、午後はガキどもから殴る蹴るの暴行を受けながら学習塾ごっこ。そんな日が五日続いて、初めての休みがやってきた。
文月さんの計らいもあって、俺と悠羽の休みの日は揃えられている。ゲストハウスもレストランも、客商売だから人が少なくなるタイミングが同じというのもあるらしい。
朝はいつも通りの時間に起きて、朝食を取って、せっかくだし家の掃除をする。これも二年前に覚えたことなので、別に大変ではない。
そんなことをしていたら、なんだかんだで10時になっていた。
「よしっ、だいぶ綺麗になったね」
窓拭きを終えた悠羽が、満足げに額の汗を拭う。古い建物だけあって、この家にクーラーは数カ所しかない。
女蛇村はよく風の吹く場所なので、夜はそれなりに快適だ。しかし、昼ともなれば日差しが厳しい。この家でせっかくの休日を使うのも……それはそれで楽しいだろうが、今日は外に出ることにしていた。
汚れた水を捨てたバケツを庭の水道において、雑巾を天日で乾かす。
「んじゃあ、そろそろ出発するか」
「やったー!」
青い空の下、燦々と光る太陽に向かって拳を突き上げ、全力で喜ぶ少女。半袖体操服なので、いつもより元気いっぱいに見える。
心なし、この一週間ほどで肌が焼けたか。元が白いので、健康的になっていいことだ。
「どこ連れてってくれるの?」
「のんびりできるところ。ブルーシート敷いて昼飯食ったりするだけの……あれ」
「ピクニック?」
「そうそれ」
あまりに馴染みがない単語なので、咄嗟に思いつかなかった。
「意外。六郎ってそういうの好きなんだ」
「悠羽が嫌なら、山道を無限に走りまくってもいいぞ」
「ううん。今日はピクニックがいい」
「わかった。荷物は用意してるから、自分の準備だけして玄関集合」
「はーい。着替えるから、ちょっと待ってて」
「ゆっくりでいいぞ」
ブルーシートとクーラーボックスを車に積んで、意味もなく庭でストレッチ。最近は勉強くらいしか机でやることがないので、心なし背中のハリも少ない。
10分ほど経ってから玄関が開いて、麦わら帽子に白いワンピースの悠羽が出てくる。風で布が淡く揺れて、帽子の下の瞳が柔らかく微笑む。
「どうかな?」
「土で汚れるぞ」
「そうじゃない……っ!」
めちゃくちゃ苦い顔で睨まれてしまった。
「かわいいって言えばいいのか?」
「言えばいいのかってなに?」
やばい、めちゃくちゃ怒ってらっしゃる。
「かわいいな」
「…………有罪」
「懲役何年だよ」
「二那由他年」
「那由他!?」
また癖の強い数字を持ってきたもんだ。そこまでいくと、いくつ0を並べればいいかもわからない。
「言わされた感満載で言われても嬉しくないし!」
「俺に褒められても、嬉しくないだろ」
「嬉しくなかったらわざわざ聞いてないし。六郎はバカだからわかんないみたいだけど」
「めんどくせえな」
「そういうとこ! ほんっとそういうとこ!」
「別に俺が言わなくても、お前がかわいいのは変わらんだろ」
呆れてつい、妙なことを言ってしまった。後悔するが、遅かった。
悠羽はピタッと固まって、「な、な、な」と故障した機械みたいになっている。
「な、なにおう! 後付けみたいに言われても…………今回は許してあげるけど」
「チョロい」
「チョロいって言うな!」
「お前あれだぞ、このままじゃ将来、絶対にダメな男に引っかかるぞ」
「引っかからないし!」
めちゃくちゃ酷いこと言われた後に「でも君が一番だよ」とか言われたら許しちゃいそうなんだよな。
「六郎こそ、そんなんじゃずーっと独身のままだよ」
「ふんっ。その時は圭次もこっち側に引きずり込むだけだ」
「関係ないところで新田さんに被害が……」
「そして悲しい独身男二人で、地球上のありとあらゆる幸福を妬み、呪い続ける」
「本当にやりそう」
有言実行が俺のモットーなのでね。どんな日常の些細な幸せも許しません。
「いいから乗れよ。外にいるの暑いだろ」
「ん」
悠羽が頷いて、助手席に乗り込む。俺も運転席に乗って、エンジンを入れる。
エアコンを設定して、車を発進させる。
「ほんとに運転してる」
「そう。本当に免許取ったんだぞ、俺」
「すごいね」
「いや、免許自体は金払えばわりとみんな取れるんだけどさ……」
「そうじゃなくて。なんか、いろいろ」
「いろいろ?」
聞いても悠羽は答えない。窓の外を眺めて、風景を楽しんでいるようだ。アクセルを踏めば、すぐに家々はなくなって畑だけになる。そこを抜ければ山の中だ。両脇には木と坂があるだけで、アスファルトの状態もそれほどよくない。
かすれた中央分離帯に気をつけて、曲がりくねった道をのぼっていく。
「そういえばさ、店長が六郎とお酒飲みたいって言ってたよ」
「利一さんが?」
「そう。この間お店に来たときは、ちゃんと話せなかったからって」
「あー……どうしよっかな。酒なしなら」
「六郎、私と暮らし始めてからずっと我慢してるでしょ。いつも頑張ってるんだから、たまにはいいんじゃない?」
「ううむ」
悠羽と暮らしてから、アルコールを一滴も摂取していないのは事実だ。それは帰りが遅くなって家に一人でいさせてしまう、という理由もあるが、あともう一つ。
酒に酔った俺が、悠羽の前で「エチエチお姉さんとエチエチライフするはずだったのによぉ」とか言い出しかねないからだ。そうなったら全てが終わる。さすがの俺でも、そのクズ発言はごまかしきれない。
今の家には文月さんと加苅もいるから、俺が帰らなくても安全。問題は、帰った後だ。めちゃくちゃ遅く帰って、悠羽が寝ているタイミングを狙うか。あるいは……。
「利一さんの家にその後泊まれるなら、ありだな。酔った状態で帰るのは危ないから」
それしかない。なんとか理由をつけて、酔いが覚めるまで悠羽と会うのを避けるのだ。
「イノシシとか出るらしいもんね。わかった。そう伝えてみる」
「いや、後で加苅から連絡先もらうから大丈夫だ」
「そっか。おっけー」
そんな話をしていたら、木々の向こうに目的地が見えた。きらきらと陽光を反射するグリーンの水面。
自然公園でのんびり休日。優雅なもんだ。




