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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
3章 嘘つきと蛇の物語
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38話 名前のないレストラン

 午前中の業務は、チェックアウトの確認とゲストハウス全体の清掃が中心だ。

【白蛇】は古民家を改築した二階建てで、一階が共用スペースで二階が宿泊スペース。


 そもそもゲストハウスというのは、安く寝るためだけの施設なので、普通のホテルとは作りが違う。個室もあるにはあるが、主となるのは男女別のドミトリーと呼ばれる雑魚寝部屋だ。

 二段ベッドが一部屋に六つならんでおり、十二人が一斉に眠ることができる。団体での宿泊にも使えるが、普段は知らない人同士がこの部屋で眠ったりする。


 使用後のベッドシーツを洗濯機に入れて、その間に掃除機をかける。台所やトイレ、シャワー室の清掃も俺の仕事だ。最低でも週に一回は窓拭きもして、洗濯物は外に干す。


「よしっ、清掃終了!」

「今日はやけに早いわねえ」


「頑張った」


 完璧に清掃された館内で胸を張り、業務に一段落ついたことを文月さんに報告する。文月さんは福の神様みたいに笑うと、外を指さす。


「それじゃあ、利一くんのお店に行きましょうかねえ。運転お願いできるかしら」

「もちろん」


 ゲストハウスの外に停めてある軽自動車の鍵を預かって、いざ行かん悠羽の仕事先。

 利一さんに会うのも楽しみだし、今日は柄にもなく張り切ってしまった。助手席に乗った文月さんが、そんな俺を見て言う。


「ゆうちゃんのことになると真剣なのは、変わってないわね」

「なに言ってるのかわからないな。俺はいつだって、地球で一番真剣に生きてるのに」


「ふふっ、そうかもしれないわね」

「出すよ。シートベルトはした?」


「ええ」


 エンジンを入れて、車を走らせる。ここから目的地まで、文月さんの歳で歩いて行くのは厳しいという。

 足腰こそちゃんとして、毎日大量の料理をこしらえていても、老いは着実に体を蝕んでいくのだろう。二年前に比べて、彼女は少しだけ小さく見える。


 女蛇村は田舎だから、信号なんてものはほとんど存在しない。点々とあるそれは、歩行者用の押しボタン式信号だ。通学時間の朝と夕方を除いて、赤になることはほとんどない。


 快適に車を走らせながら、横のレディに話しかける。


「文月さんはさ、俺と悠羽のことなんも聞かないんだね」

「あら。もしかして、聞いた方がよかったのかしら」


「まさか。助かってるって話だよ。俺は別にいいんだけど、悠羽が傷つくかもしれないから」


 両親の離婚話と、そこから引き離されて生活していること。あいつがどれくらい精神的なダメージを受けているか、俺には計りようもない。

 表向きは平気そうにしているが、義理とはいえ俺の妹。嘘の一つや二つついていたって、驚きやしない。


「ゆうちゃんが大切で仕方ないのね」

「俺だって、家族くらい大事にする」


「素敵なことだわ」


 そうこうしている間に、目的地が見えてくる。利一さんの家は知っていたので、文月さんに案内してもらう必要はなかった。看板が立っているあれが、ピザの美味しいという店だろう。


「……あれ、あの看板なにも書いてない」

「利一くんのお店ね、名前がないの」


「なんでまた」

「あの子、けっこう優柔不断なところあるじゃない? それで悩んでいるうちに、お店ができちゃって、看板の工事も始まっちゃって、結局ただの板を掲げることになったのよ」


「そんなことある?」


 看板になるはずだったであろうそれは、少しペンキで色づけされただけの板だ。


「でも結局、名前がない美味しいお店ってことで特別感があるのかしらね。遠くの県からもここ目当てでお客さんが来るらしいわ」

「へえぇ。なんというか、そこまで含めて利一さんっぽいな」


 駐車場に車を停めて、外から店を眺める。煙突のあるレンガ調の、洒落た建物。可愛らしい外見は、きっと女性受けがいいのだろう。山奥という立地も相まって、特別な感じは確かにする。


「そうだ、文月さん。今度なんだけどさ、車借りてもいい?」

「もちろんいいわよ。どこか行きたい場所でもあるのかしら」


「ちょっと悠羽をドライブに連れてってやろうかなと思ってさ。この辺、景色いいから」

「おほほほほ」


「なにその笑い」


 口を手で押さえて、文月さんが聞いたことのない声を上げる。やたら優しいその目はなんですか。


「おほほほ、どうぞどうぞ。ガソリンだけ入れてくれれば、お休みの日には好きにしていいわよ。おほほほ」

「テンションおかしいって」


「美凉が言ってたことがやっとわかったわぁ。これが『尊い』って感情なのね」


 年甲斐もなく目をキラキラさせる文月さんに、どうすればいいかわからない俺。立場が立場なのもあるし、シンプルに歳の数だけ向こうのが上手だ。下手なことをして余計にからかわれるのは避けたい。


「さあ行きましょロクちゃん。まったく、これだから若い子はやめられないのよねえ」


 ずんずん進んでいく文月さんの後ろを、なんとも言いがたい気分でついていく。いやあの、今の文月さんとあのお店に入るのはちょっと抵抗があるなって。

 ……なんか言われたりしない? しないよな。頼む。


 すっと前に出て、店のドアを開ける。先に文月さんに入ってもらって、俺も中に入る。

 開店してすぐということもあって、店内に他の客はいなかった。


 カウンターの向こうで焦げ茶の髪が振り返って、片手をあげる。会釈を返すと、利一さんはちらっと横を見る。


 その方向から、髪を後ろで結ってまとめた悠羽がやってくる。白いワイシャツの上から黒のエプロンというシンプルな仕事服。まだぎこちない動作で、


「いらっしゃいませ。二名様でよろしいですか?」


 と声をかけてくる。ちらっと一瞬目が合ったが、すぐに外された。やっぱり怒ってるのかもしれない。すまんな、俺の性格が最悪で。ちゃんと来ちゃったよ。


「お席の方へ案内します」


 窓際のテーブル席に腰を下ろすと、悠羽がメニュー表をテーブルに置く。


「ご注文お決まりになりましたら、お声がけください」


 一礼してその場から離れていく。

 戻っていく途中でなにかにつまずいて、「うわっ」と声を上げる。ぱっと振り返る赤い顔と、思いっきり目が合った。すまん、ちゃんと見てた。


 でも接客はすごくよかったぞ、という意味で親指を立ててグッジョブサイン。悠羽はめちゃくちゃ睨んできました。煽ってないって。


「嬉しそうね」

「ちゃんとやってけてそうで安心してるんです。成長したなって」


「その様子だと、ゆうちゃんがお嫁に行くときは泣いちゃうんじゃない?」

「…………さあ、どうなんでしょうね」


 少しだけ想像してみて、すぐにやめた。


 メニューを手に取って、どんなものがあるか見てみる。この時間帯だと、ランチセットがおすすめらしい。ドリンクとピザ、サラダにデザートがついて1500円。


 悠羽を呼んで、注文をとってもらう。名物だという山菜の和風ピザを頼んで、しばらく文月さんと話をする。

 内容はただの雑談だ。近頃は寒暖差が激しいとか、近所の誰さんが息子夫婦と一緒に暮らすか悩んでるとか、農家に嫁いでくる女の人が昔より減っているとか。放っておいたら無限に続きそうな話を、そこそこの相づちを打ちながら聞く。


 聞いているフリでも嬉しいものよ、とは文月さんから教わったことだ。まあ、ちゃんと聞いてるんですけどね。文月さんの話はちゃんと聞きます。恩人だし。


 注文が届く頃には、ぼちぼち他の席も埋まり始めていた。地元のマダムがお茶会にやってきたらしい。男女比は女性側に大きく偏っている。


 人気だというピザを一口。


「……おー、これは美味い。なんか新鮮な味がする」


 山菜が持つ味の深みを活かすためか、生地の主張がほとんどない。焼けた小麦の香りはするのだが、口にしてみると和に統一された味がする。


「利一くん、昔から料理上手で有名だったけれど、こんなになるとは思わなかったわよねえ」

「すごいですよね。修行して、帰ってきて、自分の店を持って」


「彼にだったら、安心して美凉を任せられるわぁ」


 この店の店長は今もカウンターの向こうでピザを焼き続けている。そのすぐ横で、加苅は目をハートにしてせっせと働いていた。あんな幸せそうにする労働ってあるんだ。


 利一さんが加苅をどう思っているかは知らないけど、結局はなんとかなるんじゃないかと思っている。いや、なんとかなれ。それくらいなんとかして見せろ、アホ加苅。猪突猛進フルパワーがお前の取り柄なんだから。


 デザートまで堪能して、もちろん会計も悠羽にしてもらって店を出る。ちょっとつまずいただけで、仕事ではなにもミスしていなかった。これはもう、はじめてのおつかいくらい密着カメラをつけるしかないかもしれん。


 店を出て、さあ午後の仕事も頑張ろうと気合いを入れる。


「文月さん、この後はなにをすればいい?」

「今日は子供達が昨日より増えるわよ。『ウチも預けたい』って人が殺到しちゃってるから」


 やっぱやる気でねえわ。

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― 新着の感想 ―
[一言] ゲストハウスって、ユースホステルみたいなものなのかあ。それなりに訪れてくる人はいると。 てぇてぇ、と言われてしまうとは。
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