35話 クズとクソガキ
二年前の五月から、六郎と美凉の関係は始まった。
高校を卒業した六郎が、女蛇村で暮らすようになって最初の一ヶ月、彼は生活の全てを労働に捧げていた。万年人手不足に悩まされる田舎だから、少し足を伸ばせば、どこにでも困っている人はいた。ゲストハウスの掃除や受付業務をしながら、彼は他の仕事も山のように引き受けた。
毎日早朝には家を出て、夜遅くに帰ってくる。
美凉にとって六郎は、「忙しそうな居候」でしかなかったのだ。
当時は美凉自身も、今より忙しかった。高校三年生になって受験を控え、おまけに町おこしのためにも奔走していた。来年からは一人暮らしで村を出るから、なんとか今年中に結果を出しておきたい。そういう意味で、焦りもあった。
中学二年生のときに結成した「学生町おこし隊」は、彼女を中心に村の子供で構成されたものだ。五年かけて少しずつ、どんなふうにこの村を活性化させるか考えてきた。
ネットを使って村をPRしたり、難解な昔の言葉で書かれた村の伝承を、今の言葉に直したりもした。彼女たちの活動は一定の注目を浴び、時には新聞に取り上げられることもあった。
少しずつではあったが、彼女たちの話を聞いてやってくる観光客も現れるようになった。
――跳ねるなら、ここしかない。
徐々に盛り上がっているこの空気を、爆発させるタイミング。それが、二年前だと美凉は思った。
「蛇殻祭を大々的にやろう。うちの村の観光の目玉にするの」
前年の祭が終わった段階から、大人たちにそう持ちかけた。
蛇殻祭は、屋台が数軒並ぶ程度の小さな夏祭りだ。地元の子供として参加するぶんには楽しいが、外から来た人を満足させることはできない。
それは皆が感じていたことのようで「なら来年は屋台を増やして、花火でも打ち上げてみるか」という話になった。
祭りに向けて、美凉たちの活動も以前より熱が入っていった。パンフレットを作成して、PR動画なんかも作ったりして、SNSでの広報も毎日した。
愛を巡る物語は、若い層にウケた。初めてバズった時には、全員でドキドキしてパソコンの画面に食いついたものだ。
だが、その全てが――四月の中旬に崩された。
「祭りは例年通りに行うことになった」
村のことを取り仕切る大人たちから、一方的に告げられたその言葉で、子供である彼女たちの努力は簡単に吹き飛んだ。
美凉は怒った。他の子供たちも怒った。
だが、なにひとつ変わらなかった。
「あたし、大人が嫌い!」
昔からそうだ。大人という生き物は頑固で融通が利かず、子供の言うことを簡単に否定する。
父と母がそうだった。彼らは仕事で忙しいとかで、美凉との約束をほとんど守らなかった。どれだけ楽しみにして、何日前から準備していても。その日の朝に「ごめん、仕事が入った」と言えば崩れる。そのことがどうしても許せなかった。だからこうして田舎で、祖母と二人暮らしているのだ。
数年ぶりに、大人たちへの怒りに火がついて――それで初めて、三条六郎という男に焦点が合った。
なにか事情があってこの村に来たという彼は、感情を殺した目をしていた。
噂で聞いた話では、それなりに実績のある進学校に通っていて、その中でも成績上位だったらしい。その彼が大学に行かず、この村にいるというのはきっと、大人に夢を奪われたからなのだろう。そう推測するのは容易いことだった。
美凉は六郎に共感を覚えて、だから話を持ちかけた。
頭がいいという彼なら、どんな意見を言ってくれるだろうか。そう思って帰りを待って、夕飯後に話しかけてみた。
結果は端的に、
「ガキのわがままが断られてキレてんのか」
だけだった。著しく興味のない顔で、六郎はあくびをして、
「じゃあもう寝るから」
とだけ言って自分の部屋に戻っていった。
美凉はぽかんとしてしまった。自分の想像とは全く違う反応に、驚きが隠せなかったのだ。六郎が部屋に戻ってしばらく居間で固まって、ようやく自分がなにを言われたのか理解した。
――ガキのわがまま!?
顔を真っ赤にして拳を振るわせ、般若のような形相で机を睨み付けた。村の大人たちに匹敵するほど、否、この瞬間においては、全人類の中で最も三条六郎に対して怒りを感じていた。
目に涙を浮かべ、美凉は心の中で誓う。
絶対にあの男を引きずり込んで仲間にしてやる、と。
◆
その日から、美凉は六郎にひたすら絡むようになった。朝起きる時間を早くして、家を出る前に話せる時間を作った。帰ってくる時間を待って、一緒に夕飯を食べた。
「なんでお前は嫌いなやつと生活リズムを合わせんだよ」
「嫌いだから!」
「答えになってねえ……」
「あ、そうだ。六郎って名前ちょっと長いからロクくんって呼んでいい?」
「長さ変わってねえ」
どっちにせよ四文字だし、四文字はさほど長くないだろう。と思う六郎に、美凉は、口をへの字にする。
「気持ちの問題ですぅ。馬鹿にはわかんないだろうけど」
「クソガキの分際で人を馬鹿呼ばわりか。だからいつまでもガキなんだよ」
「だぁかぁらっ! なんであたしがクソガキになるのさ!」
「それがわからないからクソガキだっつってんだろ!」
「ぐぎぎぎっ」
「めんどくせえ」
思いっきり睨み合って、ふっと目をそらす。
「ふんっ、また次回!」
「なんで次があるんだよ。意味分かんねえ」
顔を合わせるたびに喧嘩するくせに、何度も何度も話しかけてくる美凉に六郎は戸惑っていた。真意が読めない。怖い。怖すぎる。
一週間が経つ頃にはさすがに精神が参ってきて、六郎は深々とため息をついた。
「なんだお前、俺に謝ってほしいのか? だったらそう言えよ」
「違う。謝罪なんかいらない」
そしてその頃には、どうして自分が彼に突っかかるのか、美凉も理解していた。
「ガキのわがままって言われて、あたし、最初はふざけるなって思った。でも、ただふざけるなって思うだけなら、それで流せるんだ。流せないのは、ロクくんの言ったことが図星だからなの」
「は?」
心底意味がわからないというふうに、六郎は呆けた顔をする。美凉は構わない。
「なんとなく、『そうなのかもしれないな』って思っちゃった。でも、どうしてわがままなのかわからない。だからそれを教えて。お願い、あたしたちの仲間になってよ」
「…………はぁ?」
「仲間になって」
「嫌だ」
「仲間に」
「嫌だ」
「仲間」
「嫌だ」
「な」
「嫌だっつってんだろ!?」
「嫌だが嫌だって言ってるでしょ!」
「んんん!?」
困惑に喉を詰まらせる六郎。ここが好機だと言わんばかりに、美凉はたたみかける。
「あたしの周りには、あたしを否定してくれる同年代の人がいないの! だからロクくんみたいな人が必要! わかる!?」
「わかんねえ」
「じゃあ、わかるように来て。私たちの会に参加してから決めて」
「えぇ……」
そうして強引に、六郎は学生町おこし隊へと参加することになった。




