34話 女蛇神社
利一と別れ、約束通り悠羽は美凉とガールズトークをする運びになった。
「普通はカフェでやるもんだけど、今日は天気もいいし、飲み物買ってあそこ行こっか」
「あそこって、どこですか?」
「女蛇神社。家の近くだから、帰るついでに行けるしね」
そういうわけで、途中の自販機で炭酸を買ってやってきた。
家から少しだけ行ったところにある山の入り口に、広い参道があった。最近修復されたものだろう。石畳はがっしりしていて、足下に不安は少ない。
参道を進み、階段を上ると鳥居があって、左手に手水舎、正面に拝殿という簡素な配置の神社がある。人の気配はなかった。手水舎の水の音すら聞こえるほど静かで、蝉の鳴き声すら遠い。
「この村の子供はね、ここに集まって遊ぶんだ」
美凉が上を向いたのにつられて、悠羽もそうした。木々が開けて、青空が見える。日光が届かないおかげで涼しいし、そこまで暗くはない。十分な広さもあるし、子供の遊び場にちょうどいいのだろう。
脇の方に置いてある切り株みたいな椅子に座って、二人はペットボトルを開けた。ぷしゅっと炭酸の抜ける音。
一口飲んで、美凉が切り出す。
「ロクくんのこと話すんだっけ。なにから聞きたい?」
「私、本当になにも知らないんです。六郎はなにも自分から言わないから……だから、どんなことでも知りたいなって」
「そっか。じゃあ、その話の前に――悠羽っちは、この村に伝わる嘘つきと蛇の物語を知ってる?」
「嘘つきと蛇……知らないです」
聞いたことのない組み合わせに、悠羽は首を傾げる。嘘つきと聞いてすぐに思い浮かぶのは、自らの兄であるあの男だ。
「そんなに長くないから聞いてくれるかな。観光客向けに、暗記したんだ」
「ぜひお願いします」
美凉は頷くと、静かにに唇で物語を紡いでいく。
「昔この村に、男と女がいました――」
想い合った二人が、一度は大人達の事情によって引き裂かる。女は憎しみで蛇となり、男は彼女に愛を伝え続ける。長い年月の果てに、呪いが解けて二人の関係が周囲に認められていく。
それは身分違いの恋の物語。
それは裏切りと復縁の物語。
それはただ、一途な愛の物語。
語り終えるまでの間、悠羽は自分が息をしていることすら忘れていた。それくらい美凉の語りは流麗で、引き込まれた。
末永く幸せに暮らしました。
その一文が物語を締めてからしばらく、悠羽は黙っていた。
美凉がふうっと息を吐いて、現実に引き戻す。
「どうだった?」
ぼうっとしていた悠羽は、その瞬間にペットボトルの冷たさを思い出す。
「素敵な話だと思いました」
「だよね。10年もずっと毎日『愛してる』って言われるなんて、そんな幸せなことないよね」
力強く共感を示す美凉に、悠羽は少し戸惑ってしまった。
「あ、すいません。そこじゃなくて、女の人が蛇になるのがいいなって思ったんです」
「あれ? そこにグッときたパターンなんだ」
意外そうに言う美凉に、悠羽は曖昧な笑みで頬をかく。
「変ですよね。自分でも、変だって思うんです。……でも、大切な人がいなくなるとき、蛇になってしまうくらい悲しめるのって、すごいことだなって」
二年前、六郎がいなくなったときのことを思い出していた。
初めて喧嘩をして数日後、突然彼はいなくなった。仲直りの暇すらなく、悠羽はただ混乱しているだけで。いつか帰ってくるだろうと思っていたのに、気がつけば六郎のいない生活が当たり前になっていた。
受け入れた自分と、受け入れられなかった物語の女。
どうしてもそれを意識してしまって、おかしな感想になってしまった。蛇になるなんて、普通は憧れることじゃない。
だが、美凉は目を輝かせていた。
「ううん。おかしくないよ。そういうのも、ありだと思う」
「え」
「そっかそっか。そういう考え方もあるよね、うん。利一さんにフラれたら、あたしも蛇になっちゃいそうだし。なんかわかるかも」
「なるんですか?」
「気持ちの問題だよ。なろうと思えば、人はなんにだってなれる!」
「そういう話でしたっけ」
恋物語が、いつの間にか根性論にすり替わっている。美凉はそういうのが好きらしい。
しっとりしたラブストーリーより、熱血アクションの方が好きそうではあるが。
「ちなみに、ロクくんは『くだらねえ』って言ってたよ」
「ほんとに最低ですね」
気に入らなかったにしても、あの男はもうちょっと言葉を選べないものか。
「あの頃はトゲトゲしてたし、今聞いてみたらちょっとは違う答えが返ってくるかも」
「どうでしょうね。私は変わらないと思います」
「なんで?」
「なんとなくです」
確固たる理由みたいなものは思いつかない。けれど悠羽には鮮明に、六郎が「くだらねえ」という姿が想像できた。
美凉は何度か瞬きして、納得したらしい。
「悠羽っちがそう言うなら、そうなんだろうね」
ペットボトルを振る。残ったあと少しの炭酸が抜けていく。
「というわけで、この村にはそんなお話があるってこと」
「はい」
「でね、私たちが運営する『学生町おこし隊』は、それを使ってどうにか観光客を集められないかって考えてたんだ。夏の終わりには、この神社で『蛇殻祭』っていう行事もあるし、絶対なんとかなるって思ったから。
子供達皆で集まって、必死にいろいろ考えて、大人達に提案してみて――全部却下されたのが、二年前」
具体的な数字に、悠羽の集中力が高まる。話の流れが変わった。否、本題に入ったというべきか。
「どうにか状況を打開したくて、外から来たロクくんに相談してみたんだ。それが、あたしと彼の始まり」




