33話 大好きオーラ
大高利一は、焦げ茶の髪を後ろで結び、あごひげを蓄え、茶色いフレームの眼鏡をした、いかにも職人といった佇まいをしていた。28という年の割に老成した見た目で、それでいて瞳には少年心を残す、アンバランスな印象を悠羽は感じた。
「紹介するね、こちらが店長の大高利一さん」
「こんにちは。僕が店長です」
柔らかく微笑んで、短く自己紹介をする利一。声の感じだけで、優しい人なのだとわかる。
「よろしくお願いします。三条悠羽です」
「ロクの妹なんだってね。期待しているよ」
「はい。頑張ります!」
背筋を伸ばす悠羽に、利一は、
「まあ、そんなに力まないで。気楽にやってもらっていいから」
「わかりました」
「うん。じゃあ、さっそく中に入ってもらおうかな。書類を書いて貰わないといけないんだ。印鑑は持ってきているかな?」
「持ってきました」
悠羽は知らなかったのだが、ちゃんと六郎が準備していたらしい。『三条』と刻まれた印鑑を持つと、なんだか自分も大人の世界に触れた気がする。
定休日の店内は、カウンター上のライトが点いているだけで薄暗い。その裏側感に、悠羽はここで働くのだと実感した。
「書類を読んで、大丈夫だったらサインと印鑑を押して。こっちは住所とか電話番号を書いてもらう方ね」
渡された紙は思ったよりも多く、悠羽はこくこくと頷いて応じる。
「細かい書き方は美凉から聞いて。僕は少し畑に行ってくるから」
「どーんと任せてくださいな。ついでにホールの仕事も説明しちゃっていい?」
「うん。それに関しては、もう美凉の方が詳しいからね。制服も更衣室にあるから」
「じゃあ、後はあたしでなんとかなりそうかな」
「じゃ、よろしく」
「いってらっしゃーい」
説明を終えると、利一は外に出て行く。背中が見えなくなるまで美凉は手を振り、ぱっと悠羽の方を向いた。セミロングの少女は、聞きたいことがあるらしい。
「店長って、畑もやってるんですか?」
「このお店の裏にね、ハーブとかを育ててる畑もあるんだよ」
「へえ。すごいですね」
「でしょ。利一さん、すごいんだ。私たちもたまに摘みに行ったりするから、後で見に行こうね」
「はい」
好きな人が褒められると、自分まで嬉しくなる。そんな様子の美凉に、悠羽はやはり癒やされる。年上だけど、可愛い人だなと思う。
「よーし、じゃあビシバシいくぞ!」
「お願いします」
◆
お昼の時間を少し過ぎた頃に、だいたいの仕事内容は説明が終わった。
「後は働きながらだね。質問はある?」
「ないです」
走り書きのメモを確認しながら、悠羽は頷く。美凉はそれを確認して、ぱんと手を叩いた。
「よーし、じゃあ今日はおしまい! 利一さん呼びにいこっ!」
店内から出て、同じ敷地にある畑の方へ移動する。悠羽がいろいろ教えてもらって、だいたい三時間が経った。作業を終えたのか、利一はもういない。
畑はコンビニエンスストアほどの大きさだ。農家にしては小さく、家庭菜園には大きすぎる。
ぱっと見でわかる作物は、隅の方に植えられているトマトくらいだ。ハーブ関連はスーパーでしか見たことがなく、生えているものに悠羽は疎い。
「ここが利一さんのお洒落畑です。どう? すごいでしょ。格好いいでしょ」
「格好いい……かはわからないですけど、綺麗ですね」
「うふふ。毎日手入れしてるからね」
美凉は自慢げに言って、ぐるっと首を回す。やはり目の届く範囲に、利一の姿はない。
「ここにいないってことは、おうちかな。昼ご飯作ってくれてるのかも。行ってみよっか」
畑を挟んだレストランの向こう側に、一軒の和風建築が建っている。近頃リフォームされたらしく、ベージュの壁が小洒落ている。瓦屋根だが、歴史はほとんど感じなかった。
チャイムも押さずに美凉がドアを開ける。
悠羽は一瞬ドキッとしたが、田舎ではこれが普通なのだとすぐに納得する。
廊下の向こうから、ふわりと食欲をくすぐる匂いがした。牛乳と卵の甘い匂いと、コンソメが絡み合った洋風の香り。
「利一さーん。今日はもう終わったよー」
奥の方に話しかけながら、流れるように靴を脱いで中に入っていく。
(それなら、入ってから話せばいいんじゃないのかな……)
悠羽は自らの疑問を胸の内にしまいこんで、美凉の後をついていく。許可なく人の家に入るのは気が引けたが、後で「なんで入ってこないの?」と言われるのも据わりが悪い。
ダイニングに入ると、焦げ茶色の頭髪が見えた。
「ああ、ちょうどいい。昼ご飯作ったから、食べてから帰りなよ」
「やった! 利一さんのご飯だ~」
「美凉はほぼ毎日食べてるだろ」
「あれはまかない、これはお家料理。同じご飯でも、全く意味合いが異なるザウルスなのです」
「異なるザウルスかぁ」
意味不明な語尾を反芻して、利一はこくこく頷くだけだ。ツッコむつもりは毛頭ないらしい。
「悠羽さんは、シチュー食べれる? グリーンピースは苦手?」
「いえ、シチューもグリーンピースも食べられます」
「ならよかった。美凉、スクランブルエッグをよそってくれるかい」
「らじゃらじゃデカジャタルカジャマハラクカジャ~」
「よく覚えてるなぁ。あのゲーム、昔貸したんだっけ」
「利一さんとの思い出は、全部覚えてるよっ」
「それは嬉しいね」
悠羽にはなにもわからない呪文を唱えながら、二人は昼ご飯の準備をしていく。端から見ても息の合った、いいコンビである。
8歳差だけあって、確かに見た目はアンバランスではあるが、美凉から発せられる「利一さん大好きオーラ」によってそれもかき消されている。
六郎を相手にしているときとは、話し方も声のトーンも違う。
そんな二人の連携に混ざれるはずもなく、悠羽はその辺をおろおろしてしまう。
「悠羽さんは座っていていいよ」
「あ、すいません。ありがとうございます」
ぺこっとお辞儀して、目の前にあった椅子に腰を下ろす。
少し気まずい。と思ったが、すぐに美凉が利一に雨あられのように言葉を投げかける。自分への意識が完全になくなると、悠羽は少し落ち着いた。
シチューとパン、スクランブルエッグが食卓に並んだのは、それから5分後。
三人で机を囲んで、遅めの昼食だ。
「「「いただきます」」」
木製スプーンでシチューを一口。あまりの美味しさに、悠羽は目を丸くする。ぱっと横を見ると、美凉と目が合った。
「美味しいでしょ」
こくこく頷いて、飲み込む。
「すごく美味しいです」
「それはよかった」
利一は満足げに頷くと、自分も一口。目を閉じて、一人静かに考え込む。
どうしたのかと不思議に思う悠羽に、美凉が声をかけた。
「どうすればもっと美味しくなるか、考えてるんじゃないかな。いつも通りだから、気にしないで」
「わかりました」
気にしないでと言いつつも、美凉は利一を凝視している。
今が目に焼き付けるチャンスだと言わんばかりの眼光に、悠羽はなにも言えずパンをかじった。




