32話 初恋10周年
たくさんの皿が並んだ朝食の席で、文月さんが仕事の振り分けを発表する。ある程度は事前に言われているのだが、いちおう確認のためらしい。
「ロクちゃんには、前と同じでゲストハウスの手伝いをお願いしようかしら。今年は外人のお客様もいらっしゃるから、対応任せるわね」
「……それだけ?」
「ふふふ。私からはそれだけよ」
「なるほどね」
含みを持たせた文月さんの言い方に、苦笑いしてしまう。
ゲストハウスの仕事は、実際のところそこまで多くはない。
だが、文月さんの知り合いがたくさんやってきては、やれ「野菜の出荷手伝いをしろ」だの「病院まで車を出してくれ」だの、しまいには「孫とビデオ電話がしたいが、やり方を教えてくれ」などという依頼まで届くのだ。そういった雑事をこなすのが、よそから来た労働力たる俺の仕事だ。
「ゆうちゃんには、レストランのスタッフをお願いするわ。山奥にある、知る人ぞ知るピザの名店って、最近有名なのよ」
「はい! 頑張ります!」
「美凉も一緒に働いているから、二人で頑張ってね」
「…………」
幸せそうにご飯を頬張っている加苅は、身振り手振りで「私に任せなさい」とアピールする。生意気なリスみたいで、少し面白い。
悠羽もなぜか無言で会釈して、「お願いします」と伝えていた。謎の律儀さだ。
にしても、こんな田舎にピザのレストランね……。
「――なあ加苅、もしかしてその店って利一さんのか?」
加苅は痙攣するように激しく頷く。今日も今日とて、ポニーテールがびったんびったん揺れる。両手をぐっと握って、ふんすと鼻を鳴らすと、熱のこもった口調で一息に言う。
「そう! 利一さん、ついに自分のお店を持ったんです! これがもう大人気! 地元の山菜を活かした創作和風ピザを代表に、本場イタリアで学んだ本格マルゲリータも絶品! 皆さん是非一度ご来店ください!」
「宣伝されなくても行くって」
首を傾げてきょとんとする悠羽に、捕捉しておく。
「大高利一さんっていう、めちゃくちゃいい人が店長だってさ。よかったな」
「そう。利一さんはね、すっごく優しくて格好いいんだよ! ロクくんとは大違い」
「流れ弾の威力が高えって」
うっかりで俺の腹に風穴空いてる。致命傷もいいところだ。
悠羽は手で口元を隠して考え込むと、ゆっくりと尋ねる。
「えっと、もしかしてなんですけど、美凉さんって……」
「うん。利一さんが好きだよ」
言い終わる前に、加苅は肯定した。にっこり笑ったその表情に、一切の曇りもためらいもない。
その横で、文月さんがやれやれと笑顔で首を横に振る。
「美凉はねえ、ゲストハウスを手伝ってって言っても、あっち行きたいって聞かないから……ロクくんたちが来てくれて助かったわぁ」
「ごめんお婆ちゃん。この恋は譲れないの」
「はいはい。あんたは昔っから、これと決めたら譲らないんだから。まったく、誰に似たんだかねえ」
ふくふくと笑う祖母と孫に、見ているこっちまで癒やされる。
加苅はうるさいやつだが、根が真っ直ぐな憎めないやつだ。だからどうしても嫌いになれなくて、それゆえ苦手だったりする。
8つも年の離れた利一さんに恋をしたのは10歳の時らしく、今年で片想い10周年のメモリアルイヤー。
こんなにパワフルな彼女が未だに告白をしていないのは、利一さんの夢が叶うまで邪魔したくないという、なんともいじらしい理由である。
人の不幸を主食とし、人の幸福が致死の毒となる俺ですら応援したくなる。お前はもう幸せになってしまえ。呪うかどうかはその後で検討する。
そんな彼女の様子を見て、悠羽はなにかを思ったのか、ぽつり呟いた。
「なんか、いいなぁ」
IQ3。
◆
六郎がゲストハウスに向かうのを見送ってから、悠羽も美凉と一緒に家を出た。
歩いて行くには遠いからと、庭にあった自転車を足にする。のどかで車通りの少ない農道を、少女二人は並走する。
「悠羽っちはさ、あ、悠羽っちって呼んでいい?」
「いいですよ」
「よかったぁ。あのさ、アルバイトって初めてなの?」
「はい。うちの学校は原則禁止なので、今まではやったことないんです」
「へぇ。じゃあ、わくわくするね」
「はい」
悠羽たちの家庭事情には触れず、美凉は前向きにペダルを漕ぐ。六郎とは相性が悪いようだが、悠羽は彼女に好感を抱いていた。
これくらいうるさいのも、女子同士なら珍しいことではない。相手が元気なら、悠羽もそれに合わせるだけだ。
「美凉さんは、普段なにをしてるんですか?」
「大学生。今は夏休みだから帰ってきてるの」
「町おこしのリーダーだって、六郎から聞いたんですけど」
「おっ! 悠羽っちも興味ある? メンバーは随時募集中だよ~」
「興味というか……六郎も昔その中にいたんですよね。そのお話が聞きたくて」
「あははっ、ロクくんのこと気になるんだ」
何の気なしに放たれた言葉に、刹那、悠羽の頭は真っ白になる。
気になる、きになる、木になる、きになる、気になる?
「べ、別にそんなんじゃないですけど! ぜんぜんっ、あんなの気になんかならないですけどっ」
「そう? お兄ちゃんのことを知りたいのって、普通だと思うけど」
「あ――」
それで、自分が妙な勘違いをしていたことに気がつく。
最近、変だ。特に今日は、さっき美凉の真っ直ぐな恋バナを聞いてしまったからか、なにかがおかしい。思考がどうしても、そっちの方に寄ってしまう。
(そっちの方って、なんだ)
悠羽は小さくため息をついた。あっちもそっちも存在しない。六郎はただの六郎で、兄と呼ばれたくないだけの、ただの兄だ。それ以外の何者でもない。
「なんでもないです。教えてください」
「オッケー。じゃあ、やることが終わったら二人でガールズトークしよ。今日は定休日だから、悠羽っちにお仕事教えるだけだし。時間には余裕あるよ」
「ありがとうございます」
ガールズトークという響きは久しぶりだった。同級生は今、受験勉強のまっただ中でそれどころではない。不登校だったこともあり、半年ぶりに聞く単語だ。
「さ、見えたよ。あれが私たちの職場です」
自慢げに指さす先には、お洒落な煙突のついたレンガの建物。なにも書かれていない看板と、砂利の駐車場。
入り口のところに、痩身の男が立っていた。焦げ茶色の髪を後頭部で結んだ、男にしては長髪な髪型。二人に気がつくと、手を振って合図する。
「利一さーん! おはようございます!」
途端にギアを上げ加速して、一直線に美凉が突撃していく。
その後ろ姿を見ながら、再び悠羽は呟いた。
「なんか、いいなぁ」




