29話 旅
悠羽のバイト解禁祝いをファミレスでして、その次の日はほとんど一日かけて出発の準備をすることになった。
「六郎! 冷蔵庫を空にするの忘れてた! 今日だけじゃ使い切れないかも……」
「なにぃ!?」
こんなに長期間家を空ける経験は悠羽にはなく、キッチンはそんな彼女に一任してしまっていた。冷蔵庫を開けると、確かに今日で使い切れる食材の量ではない。
「どうしよう、これ全部置いてったら腐っちゃうよね。ごめんなさい、お金、無駄にしちゃって……」
「いや大丈夫だ。なにも問題ない」
スマホを取り出して、目的の人物にメールを送る。返信は光の速さできた。
夕方になって、玄関のチャイムが鳴る。ドアを開けると、二人の男女が立っていた。
「悠羽ちゃんの手料理が食えるってマジか?」
「お前はよく彼女の前でそんながっつけるな」
「ち、違うんだ奈子ちゃん! これは浮気とかそういう意味ではなく……」
「ふふっ、圭次さん」
「名前だけ呼ぶのやめて! すごく怖い!」
大学デビュー丸出しの姿が三年目に突入した悪友の新田圭次と、なんでそれと付き合ってるかわからん美人の荒川奈子さん。
最初に会ったときは、男性の後ろを三歩下がって歩くような人なのかな、と思っていたが……このやり取りを見る感じ、完全に圭次が尻に敷かれているらしい。
まあそうか、この男に奈子さんを引っ張るだけのパワフルさがあるとも思えない。
「ちなみに圭次の飯は、いつから野菜室にあるかわからんほうれん草のソテーだ」
「すごく怖い!」
「奈子さんは嫌いな食べ物とかないか? アレルギーはないって圭次から聞いたけど」
「私、嫌いな食べ物はシュールストレミングしかないんです」
「あれ食べたことあるんだ……」
ふんわり笑っているのに、底知れない圧を感じる。これに惚れてしまったら、確かに圭次のようになってしまうのかもしれない。
二人をリビングに通す。足りない椅子は、俺と悠羽の部屋から持ってきた。
奈子さんは悠羽と、
「最近は料理のほう、どうですか?」
「はい。だいぶ慣れてきました」
「待っているのも落ち着かないので、手伝わせてもらってもいいですか」
「助かります。といっても、後はサラダだけなんですけど」
みたいな和やかな会話をしている。
カウンターを挟んで、そのすぐ隣にあるリビングで俺と圭次は、
「サブは悠羽ちゃんと旅行だろ……。いいなぁ、俺も奈子ちゃんと旅行してえなぁ」
「お前も住み込みで働けばいいじゃん。リゾートバイトなんていくらでもあるだろ」
「居酒屋のシフトもう組んじまったんだよ」
「いい気味だ……間違えた。ドンマイ」
「しっかり言った後に訂正してもおせえ!」
「落ち着けよ圭次。俺は『いい気味だ』と言っただけで『いい気味だな』とは言っていない」
「100パーセント同じ意味に聞こえるのは俺だけか!?」
などと無価値な会話を繰り広げる。きっと俺たちは未来永劫、なんの生産性もない会話を続けるのだろう。なるべく早めに縁を切ったほうが、たぶん地球のためにはなる。
無能な男たちでしばらく談笑していると、テーブルに料理が運ばれてきた。せめて配膳くらいは、と立ち上がって準備して、四人での食事が始まった。
悠羽の料理に気合いが入っていたこともあって、テーブルの皿はあっという間に空になっていった。
「いやぁ、悠羽ちゃんの料理がこんなに美味いなんて知らなかったよ」
「最近練習したんです。六郎と暮らすようになったから」
「かーっ、兄妹愛、見せつけていくねえ。サブだけはころす」
「なんでだよ」
感動してたじゃん今。
「最近になって気がついたんだが、やはりどんな状況になってもサブの幸せは願えん」
「それで親友名乗ってるのはどういう心理なんだよ」
「いつか来る結婚式の友人代表挨拶で、すべてぶち壊すために決まっているだろう!」
「お前だけには頼まねえよ!」
もっとまともなやつにするわ。そう、俺にだってまともな友達の一人や二人……あれ。
いやいや。まあ、これからね。これから作ればいいんだ。トモダチ……ってなんだっけ。
そのやり取りを見ていた悠羽が、微笑んで言う。
「本当に二人は仲良いよね」
「「どこが!」」
「そーいうとこ」
くすくす笑う女子二人に、俺たちはなにも言い返せなかった。
◇
無事に食材問題をクリアして、圭次と奈子さんの帰宅後も一息つく暇はない。荷造りの最終チェックをして、始発バスに間に合うように早めに眠る。
五時に起きて服を着替え、顔を洗って歯磨き。家中のありとあらゆる電化製品を停止させ、すべての鍵を施錠する。荷物を持って外に出て、鍵を閉めたら出発だ。
一ヶ月という長期間だから、必然的に荷物も増える。特に女子はいろいろあるようで、悠羽のぶんは俺の二倍近くあった。これでも削ったほうだというのが恐ろしい。
予約したタクシーに乗って、駅前へ。早い時間だが、行き先が都会なので乗客はそれなりにいる。俺と悠羽は最後尾の座席二つで、悠羽を窓側に座らせる。
そこまで来て、ようやく一息。
目を輝かせて窓の外を見ている悠羽の隣でぐったりする一般男性、俺。スマホでこの後の乗り換えを確認して、ハードな現実に潰されそうになる。
女蛇村は、ド田舎の中のド田舎だ。車を持っているならまだ救いはあるが、交通機関を使う場合は度重なる乗り換えと、膨大な待ち時間を覚悟しなければならない。
始発バスで出発しても、向こうに着く頃には日が沈んでいるだろう。
二年前に一人で向かったときは、暇すぎておかしくなるかと思った。
今日は悠羽もいるから……悠羽もおかしくなるのだろうか。そうならないよう、頑張りたいとは思う。思うのは自由なので。
バスが動き出す。高速道路に乗る頃には、悠羽は隣で眠っていた。
イヤホンをつけて音楽を流し、俺も眠りにつくことにした。
三時間ほど揺られて、一箇所目の乗り換えポイントに到着。
「次のバスは二時間後な」
「…………はーい」
その頃には悠羽も、この旅の過酷さに気がついていたらしい。諦めたような笑みを浮かべて、ただ現実を耐え忍ぶ目をしている。
バスターミナルの近くにあったカフェに入って、一杯ずつドリンクを頼む。さすがに外のベンチは固すぎた。
スマホをいじる悠羽は、今日の行き先について調べているらしい。
「女蛇村って、若い人たちが町おこししてるんだってね。最近盛り上がってるらしいよ」
「……ああ、そうなんだ」
「え、なにその反応。嬉しくないの?」
「いや、嬉しいか嬉しくないかで言えば嬉しいんだが……なんというか、やっぱなんでもない」
「気になるやめかたしないでよ!」
身を乗り出して、悠羽が迫ってくる。やばい。今日はこの先もずっと移動だから、向こうがその気になれば永久に聞かれ続ける。そして聞かれれば聞かれるほど、こういうことのハードルは上がっていく。
まあ、どうせ向こうに行ったらバレることか。
「その若い人たちのリーダー格が、加苅美凉ってやつなんだよ」
「へぇ~。そうなんだ。……あれ、ってことはもしかして」
なにかに気がついた悠羽に、俺は頷いてみせる。
「六郎も、それに関わってたの?」
「まあ、そんなところだ。つっても半年だし、よそ者だし、大したことはしてないけどな」
「そうだったんだ。六郎は、やっぱりどこに行っても六郎なんだね」
「どういう意味だよ」
「ふふっ、内緒」
◇
再びバスに乗り、都会から一気に田舎まで移動。すっかりくたくたになった俺たち。だが、まだ終わりじゃない。
「次は路線バス、一時間待ち」
「うぅっ……」
完全に心が折れた悠羽と、最初から覚悟の決まっていた俺。精神的ダメージは、正直どちらも変わらない。
日が暮れ始めて、ようやく路線バスに乗車。まったり進む車内に、乗客は俺たちとご老人しかいない。
バス停の間と間があまりに広く。運転手さんに頼んで何人かはなにもない場所で降りていた。田舎あるあるなのだろう。
山道を左右に揺られて、あたりが薄暗くなってきたところでようやく目的。降りますのボタンを押したら、感動で涙が出そうになった。ドライアイじゃなかったら泣いてたね。
「着いたぞ」
「やっと着いた……」
地面に座り込んで疲労で倒れてしまいそうな悠羽。その荷物を持ってやって、畑の向こうにある一軒の家を示す。
「あそこが今日からお世話になる家な」
「あれ、向こうから誰か来てない?」
顔を上げた悠羽が、なにかに気がついて指を指す。その方向から突進してくる人影を見て、思わず俺は眉間を押さえた。
突進してきたなにかは、俺の姿を認めるや否や、最大音量で声を発する。
「ロクくんひっさしぶり! あたしのこと覚えてる!? って、忘れるわけないよね。あたしって、一度会ったら忘れられないタイプらしいから。おっ、そっちにいるのが妹さん? 可愛い! よろしくね。あたしは加苅美凉。今日から一ヶ月、二人と一緒にお婆ちゃんの家で暮らす人だよ!」
「開幕からうるせえ! お前の声は、頭に響くんだよ!」
「頭だけじゃなくて、心にも響いてほしいなっ!」
「まじでうるせえ……っ」
頭を抱えて呻く俺を、悠羽は困惑した目で見ていた。
な、こいつが彼女なんてあり得ないだろ?




