26話 ボーナスタイム
三条悠羽は憤っていた。
原因は朝からずっと肌身離さず持っている、一枚の葉書だ。
加苅美凉という正体不明の女から、六郎へと送られてきたやけに親しげな写真付きのそれに、怒りを感じずにはいられない。誰に――六郎にだ。
『今年は遊びに来れますか? ロクくんに会いたいです』
こんな言葉を書いて、わざわざこの時代に葉書を送ってくる。そんなの好きに決まっている。そうじゃなかったらおかしい。
寧音と別れて、次の相手を求めていた。それはまだいい。仕方のないことだと言える。
だが、そんな相手を蔑ろにするかのようにマッチングアプリを使用していたことは許しがたい。なにか理由があるなら、問いたださねばならない。
ぷんすか効果音が鳴るような歩みで学校から出て、スーパーで特売の卵を3パックまとめ買いして帰宅する。
怒っていても安売りの情報は頭から抜けないあたり、ずいぶんと家事が板についてきたものだ。最近では、六郎が手伝う場面はめっきり減った。必要にかられた悠羽が、著しく進歩したためだ。
「浮気目的だったら、ご飯抜きなんだから」
ぶつぶつと唇を尖らせて、勢いよく玄関ドアを開く。リビングに明かり。いつも通り、既に夕刊の配達を終えて帰宅しているらしい。
廊下をいつもより強い足取りで歩き、リビングに入る。
「たのもう!」
「道場破りか?」
パソコンをにらみながら、反射で六郎がツッコミを入れる。脳の容量は割いていないらしく、マウスを動かす手は淀みなく動いている。
脇には結露でびしょ濡れになったコップがあって、テーブルには水たまりができている。長時間作業していることが見て取れた。
「あれ、今日は英語じゃないんだ」
毒気を抜かれたように、悠羽は近づいていく。
六郎はあくびをすると、肩を大きく回して肯定する。
「ちょっと急な依頼があってな。ったく、なんでこんなギリギリによこすんだよ……」
その口調からは強い疲労が滲んでいた。いつもよりずっと、不満を言うトーンが弱々しい。
ちらっと画面をのぞき込むと、大量の画像ファイルをスクロールしているところだった。
「これも仕事なの?」
「いや……仕事っていうか、まあ報酬が出るから仕事か」
妙に含みのある言い方をして、タスクバーを開く。写真と文字が並んでいる。
悠羽にはまだ馴染みがないが、パワーポイントという名前は知っていた。頭が良さそうな人がよく使う、すごそうなもの。
まだ一枚目のスライドを作成しているようで、中央に『蛇殻祭』という文字がある。
「じゃかくさい?」
「いや、ぜんぶ訓読みで『へびからまつり』」
「それって、どこのお祭りなの」
「女蛇村っつう、山間部の小さな村でやってるやつだな」
そこでふと、悠羽は気がついた。
今はやけに、すべての質問に対して六郎の返事がスムーズだ。
さっきまでの口ぶりからして、この依頼はいつものものとは異なる。顔の知らないクライアントからのものではなく、知り合いから頼まれたものだろう。
となると蛇殻祭も女蛇村も、彼に関係のある場所だと推測できる。
もしかしてこれは……作業に集中しているから、いつものように嘘をつく余裕がないのでは?
悠羽の予想は当たっていた。
六郎はつい先ほどまで寧音と会っており、ナイーブになって帰宅したところ面倒な依頼が来ていた。作業に没頭することで憂鬱な気分は無視していたが、極度の精神的疲労によって思考力は低下。普段から頭を使って嘘をついている反動で、かつてないほど本当のことしか言えない状態になっているのである。
仮説を確かめるため、悠羽は全然関係ない話をしてみることにした。
「一番好きな料理はなに?」
「オムライス。形が崩れてても味は変わらん」
「最近の趣味は?」
「古民家を改装して住もうとしてる人の動画を見ること」
「今晩食べたいものは?」
「キュウリの浅漬け」
すごい!
と内心で悠羽ははしゃいだ。普段は面倒がって答えないようなことも、今日はスラスラ答える。なにも考えていないからこそ、六郎の本心が出ている気がする。
キュウリの浅漬けを求めていると情報を得たので、悠羽はさっそく野菜室からキュウリを取り出す。レシピを調べてぱぱっと調理して、味を染みこませるために冷蔵庫へ。
このボーナスタイムを有意義に使うため、再び彼の横に舞い戻る。
「その女蛇村って場所で、六郎は働いてたの?」
「昔な」
「どんな仕事?」
「いろいろだよ。ゲストハウスの手伝いだったり、畑の収穫だったり、町おこしの会議に出たり、頼まれたこと全般」
「加苅さんも、そこにいたの?」
「かがり……?」
ピタリと、動かしていた手が止まる。ズズッ――と、重々しく首を動かして、六郎が悠羽のほうを見た。
怒りに目の色を変えた、羅刹の形相に思わず一歩後ずさる。いったいなにが、彼の表情をそこまで険しくするのか。
「なんでお前が、その名前を知ってるんだ」
「え……ええっと、これ。さっきポスト見たら入ってた!」
あまりの圧に負け、葉書を差し出す。鎌を掛けたりするのは、悠羽にはまだ早かったらしい。
六郎は葉書を受け取ると、いっそう眉間にしわを寄せ、歯を食いしばって手を震わせる。
「こんのクソガキゃぁ……なーにが『ロクくんに会いたいです』だ可愛い子ぶりやがって」
「え、なに、その人、六郎の彼女とかじゃないの?」
「誰がこんな仕切りたがり女と付き合うか!」
スパァン! と葉書をめんこのように叩きつけて、床に落ちたそれを忌々しげに拾い上げる。
悠羽はただひたすらに、困惑するのみである。
「え、でもその人、すっごく綺麗じゃない?」
「いいか悠羽。この世にはな、どれだけ顔が良くても絶対に恋愛対象にはならないやつがいるんだ。それは仕切りたがりであること。謎にクラス委員とかをやりたがる女を、俺は絶対に好きにならない」
なにか嫌なことがあったとしか思えないトーンで、六郎が熱弁する。
「でも、わざわざ葉書くれるなんて……特別な相手にしかしないんじゃ」
「どうせあいつのことだから、『葉書ってなんか可愛くて素敵』くらいしか思ってねえよ。ダルいから返信はメールでする」
こんなに苛立っているだけの六郎も珍しい。怖いという気持ちは湧かず、悠羽はただただ不思議だった。
六郎が苛立ちを見せる相手は、実のところ限定されている。
嫌われてもいい相手か、そんなことじゃ嫌われない相手か。突然の依頼を受けていることから、今回は後者だろう。
「加苅さんって人と、仲がいいんだね」
「なんでそうなる。あいつは俺のこと、役に立つロボくらいにしか思ってないぞ」
「でも、六郎は手伝ってあげるんでしょ。そんなの、仲良ししかあり得ないじゃん」
「ぐぬぬ……」
露骨に嫌そうな顔をするが、それ以上は否定しない。不本意ながら認めざるを得ない、といったところか。
悠羽は自らの怒りが見当違いであることにほっとして、エプロンを着る。
「ご飯、いつぐらいから食べる?」
「もう腹減ってるから、できたら食いたい。あと、今日は徹夜になりそうだから、先に寝といてくれ」
「わかった」
六郎はふらりと立ち上がって、コップにコーヒーを注ぎに行く。その後ろ姿が、一瞬だけやけに弱々しく見えた。擦り切れそうないつかの姿に重なって、悠羽の胸を締め付ける。
大丈夫かと聞こうと思ったが、のみ込んだ。
どうせ六郎は、悠羽に対して弱音を吐いたりしない。
それだけはきっと、どんなに頭が回っていなくても変わらないのだろう。
悠羽ではない、誰かが必要なのだ。彼の弱さを受け止めて、支えられる存在が。
マッチングアプリで六郎が探していたのは、それなのかもしれない。彼にとって寧音は、間違いなくそういう存在だった。
――本当は私が、そうなりたいのにな。
椅子に戻っていく背中を見つめながら、少女はそっと胸に手を当てる。




