21話 寝相が悪いせい(じゃない)
乙女の部屋は進入禁止、リビングは広いから効率よく冷やせない、といった理由で、寝る場所は六郎の部屋になった。
「あんまり場所ないから、並べないと入らないな」
六郎の部屋はそれなりに整頓されていたが、スペースの余りはほとんどなかった。前に暮らしていたワンルームで持っていた私物を、ほとんどここに押し込んでいるためだ。
どうにか距離をとる方法を探したが、そうすると奇怪な寝方をしなくてはならなくなる。
「いいじゃん、昔みたいに普通に並べれば」
「いいのかよ」
やはり六郎は、二人で寝ることにうっすら反対らしい。だが、ここで折れれば彼は熱い中で眠ることになる。
正直、内心で落ち着かないのは悠羽も同じであった。それでも、譲れないものはあるのだ。
「もち……もちろん」
「もちもち論?」
「勝手に繋げるな! 一回切ったでしょ」
むすっとする悠羽に、六郎は「悪い悪い」と謝って、観念したように頷く。
「わかった、じゃあこれでいこう」
リモコンを使って、エアコンを動かす。しばしして、冷たい空気が部屋に流れ出した。
二人で顔を見合わせて、それから噛みしめるように言う。
「快適だ」
「ね」
設定温度は高めにして、寝ている間に冷えないようにする。
時刻は夜の11時。だいぶ眠くなってくる頃合いだ。
悠羽は布団の上に座って、スマホを枕元に置いた。
「それじゃあ、電気消すぞ」
「はーい」
六郎のまったりした声に、なぜか悠羽の心臓は脈を速める。噛まなかったのは、ほとんど奇跡に近い。
途端に暗くなった部屋。隣で、自分より体の大きな男が横になる。タオルケットで体が冷えないようにして背を向ける。
「おやすみ、また明日」
「うん。……おやすみ」
それだけ言うと、六郎はすぐに静かになった。まだ落ち着かない少女の横で、寝息を立て始めるのは数分後のことだった。
自分も眠ろうと思って、悠羽も目を閉じる。だが、いつまで立っても眠れそうにない。
室温は快適だ。疲労も感じる。
だが、気になってしまう。
しばらくすると、暗闇に目も慣れてきた。掃き出し窓から差し込む月明かりで、だいたいのものは判別できる。
呼吸でわずかに動く、青年の姿も。
体を横にして、悠羽は六郎の背中を見つめた。
二年前、家を出ていくときに見せた背中とは、なにかが違う。
かつての六郎は、今にも擦り切れてしまいそうなほど不安定で、頼りない背中をしていた。
だが、今は違う。どんなにふらついていても、ここにいれば大丈夫だと思える。どんな困難も、彼となら乗り越えられる気がする。
その強さは、一体どこで身につけてきたのだろう。
どれだけの孤独な夜の先に、今の姿があるのだろうか。
「六郎のこと、なんにも知らないね」
小さな声で囁く。起こしてしまわないようにそっと手を伸ばして、その背に触れる。
たったそれだけのことで、さっきよりもなにかがわかった気がする。思えば、ちゃんと触れることすら懐かしい。
なにも知らない。
それは六郎が、自分のことについてほとんど話さないからだ。自分から話題にすることはないし、聞いてもはぐらかされる。親友だという新田圭次ですら、知らないことは多い。
あの二年間、どこにいたのだろうか。どんな仕事をしてきたのだろう。
そもそも、どうして家を出ることにしたのだろうか。
――違う。
心の中で、悠羽は否定する。
六郎がしたのは、家出ではないことは薄々察していた。
その証拠に、彼が出ていって父と母はなぜか安心して見えた。六郎のことを話題にするのは、あの家ではタブーだった。
もう二度と会えないんじゃないかと思っていた。
けれど今、手の届く場所に彼はいる。
そのことがただ、嬉しい。
「ちゃんと寝てる……よね」
今起きられたら、相当に気まずいことになる。しばらく待って、音を聞く。六郎は相変わらず背を向けたまま。規則正しい寝息を立てている。
気がつかれないように、悠羽はジャージの裾を掴んだ。
眠くなるまではそうしていよう。
寝る前には離して、自分の布団へ戻るのだと。そう決めていた。
もちろん、そんなことはできなかった。
◇
目を覚ますのにアラームを必要としないのは、昔からだった。
どうやら俺は優秀な体内時計を持っているらしく、だいたい狙った時間に起きることができる。この特技は、朝刊配達の頃に役に立った。起床時間が深夜になるあの仕事は、アラームを鳴らせば近所迷惑だ。
基本的になにもない日は、眠ってから七時間で意識が覚醒する。
だからその日も、いつもと同じように、朝6時頃に目を覚ました。
起きればわりとすぐに意識がはっきるするタイプなので、やけに快適な室内も「昨日エアコンつけて寝たからな」となるし、悠羽が隣で寝ていることも忘れていない。
寝ぼけてなにかやらすことはないので、そこは安心だ。
ところで左腕の感覚がないんだけど。これ、なんで?
視界の端に移っている黒いもので、なんとなく理由はわかるが。
……はい、判明。
「おい、起きろ悠羽」
体ごと揺らして、元凶を起こそうとする。腕はだめだ。完全に痺れて動かない。
やたら顔のいい義理の妹は、勝手に俺の腕をパクって枕にしていた。腕枕ってやつだ。二の腕に頭を乗せて、気持ちよさそうにすうすう寝ている。
そんな状態なので、体の距離も恐ろしく近い。間にタオルケットがなかったらやばかった。世間的に。関係的に。その他もろもろの、すべてにおいて。
これって完全にあれじゃん。記憶にないだけで、昨日なんかあったんですか。
一緒に寝るって、一緒に寝るってことだったんですか!?(最低)
「虚しい……」
朝から一人で続けられるテンションじゃない。
カスみたいな下ネタには、酒と圭次と個室が必要だ。
「たのむー、起きてくれ悠羽。そろそろ腕が死ぬ」
「あと2分……」
「絶対に引き延ばすやつの時間設定!」
「じゃあ5分…………ん?」
むにゃむにゃしていた顔が、急にはっとなる。さっきの会話で、脳が刺激されたか。
悠羽が目を開ける。体勢的に、ものすごい近くに俺の顔もある。いちおう首を使って遠ざけてはいるが、だからなんだという感じだ。
ぱちぱち、と瞬きする悠羽。寝起きの顔が、あっという間に赤くなっていく。
「あ……」
次の瞬間、両手で顔を覆い、悠羽は目にもとまらぬ速度で布団の上を転がった。
「ああああああああ――いたっ!」
ゴロゴロゴロゴロ――ドンッ!
壁に衝突して停止。そのまま手足をフローリングに投げ出して、ぴくりともしなくなる。
「おーい、大丈夫か」
「うぅ……六郎のせいでもうお嫁にいけない」
「いや、俺はなんもしてないだろ」
どう考えてもあの体勢は俺からできるもんじゃない。完全に腕をぶんどって、勝手に枕にしたやつがいる。誰だそいつは――悠羽だ。
真犯人さんは、フローリングにうつ伏せになって呻いている。
「あうぁぁ……もうやだ、最悪、無理、誰か助けてぇ」
「そんなに後悔するならやるなよ」
「違う、違うもん! そう、六郎の寝相が悪いせいだ!」
なにを思ったか、ぱっと顔を上げて一転攻勢。言ってることが意味不明なのは、寝起きのせいだと信じたい。
「なに言ってんだお前」
「うぅ……」
真っ正面からたたき落とすと、悠羽はがっくりとうなだれた。
見てられないな。
「まったく、寝相が悪いにもほどがあるぞ。気をつけろよ」
「……はーい」
ちなみに悠羽はまったく寝相が悪くない。これは昔の情報なので、現在は定かではないが。あの不満そうな返事を見るに、本来悪いわけではないのだろう。
だが、今日は悪いことにしよう。そうしよう。そうじゃないと、俺も困る。
俺の助け船に乗って、不服そうに少女は頭を下げた。
「今日だけはちょっと寝相悪かったみたい、ごめん」
「おう」
俺、優しすぎ。




